浄土の花

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 後部座席のドアが開き、車体がかすかにきしんだ。バックミラー越しに視線が絡み合う。 「若松町へ」 「わかりました」  瀧本はエンジンをかけた。日の暮れかかった繁華街は、居酒屋やカラオケ店を探す人々であふれている。瀧本も後ろに乗る日高も「いかにも」な風貌ではないが、シルバーの高級外車には象徴的なものがあって、すでに出来上がっている若者の集団すら、目を合わせないようにして道路の端へ避けていく。  幹線道路に出ると、瀧本はアクセルを踏み込んだ。ミラーには手帳を眺めながらどこかに電話をかけている日高の姿が映っている。レンズの細い眼鏡を掛けた端整な面差しからは想像しにくいが、剣道の有段者でスーツの下には鍛えられた肉体があることを瀧本は知っている。  組長(オヤジ)が急病で倒れ、余命幾ばくもないと判明すると、組周辺がにわかに慌ただしくなった。日高は組長の実子で若頭としての実力も十分にあり、後継者として申し分ないはずだが、なにぶん若すぎるために反発する者もおり、叩き上げの幹部を後継に推す動きもある。  日高は見えぬ相手とまだ議論している。穏やかな声だが、苛立ちをどうにか隠そうとしているなと瀧本は思った。  会話のないままドライブは終わりに近づいている。自動車は住宅街に入り、曲がりくねった道をゆっくりと進んでから、高い塀の前で音もなく停まった。瀧本は素早く車を降り、後部に回ってドアを開ける。革張りの座席から立ち上がった日高は、瀧本の背丈よりほんの少しだけ高い。 「1時間ほどかかるだろう。連絡するから適当に流していてくれ」  命じてから、日高は瀧本の姿をまじまじと見つめた。夕闇の中とはいえ、皺の寄ったジャケットを見透かされているような気がして、日高は気恥ずかしくなった。無駄に敵を作らないため──それは自分だけでなく日高のためでもあった──にうだつの上がらない運転手を演じているが、いざとなれば日高を護るための鍛錬は怠っていないし、鉄砲玉になる覚悟もできている。  しかしはじめて逢ったときから、日高の眼差しには弱い。瀧本は感情を読まれないように身を硬くする。 「もう大丈夫なのか?」 「え?」 「墨を入れたところだよ」  半月前、瀧本は体に刺青を彫ったのだが、その部分が酷く腫れて熱が出てしまい、数日間寝込んでいた。一昨日からようやく仕事ができるようになったが、日高にはずいぶん迷惑をかけたと思う。 「はい、もうすっかり」 「そうか。ならあとで見せてみろ」  腰のあたりを触られたような気がして、瀧本は半歩後ずさった。顔を上げると日高は既に屋敷の門をくぐっていた。
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