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第1話
薫…幸せになれよ…
黒崎天斗(くろさきたかと)は旧姓重森薫(しげもりかおり)の幸せそうな花嫁姿を見て一人寂しげにその式場を後にした。伝説の男とまで謳われた男の中の男の目にはこぼれ落ちそうな程の大粒の涙が溜まっていたが、決してそれを落とすことはなかった。
「おい!お前がそんなんだから俺達もお前をこうするしかないんだぞ!全部お前が悪いんだよ!わかってるな?別に俺達はお前をいじめてるわけじゃないんだぞ?」
小学三年生だった黒崎天斗は同級生の5人組に囲まれてうずくまって泣いていた。顔には鼻から血が流れていて、頬は赤く腫れ上がって何とも痛々しい姿だった。服はあちこちに転がされた時に付着した草がたくさん付いて、酷い目に合っているのは一目瞭然だった。
「ちゃんと言われた通りにあの店から万引きしてこいよ!お前が俺達に嘘ついたりしなかったらちゃんと友達で居てやったんだぞ!」
ある人気のない河川敷でおよそ30分にもわたって暴行を受けてる黒崎天斗…そのイジメを目撃した小学六年生の矢崎透(やざきとおる)がその集団の中へ
「おーい!何やってるんだ?おーい、どうしたお前!」
うずくまって泣いている少年に声をかける。5人組はそそくさと足早に去っていった。
「なぁ?お前何泣いてんだ?随分と派手にやられてんなぁ…」
天斗は自分の情けない姿を見られまいと後ろを向いて立ち去ろうとした。すかさず透は天斗の肩を掴み声をかけた。
「まぁ待てよ!ちょっとお兄さんに話してみないか?ずっとそんなじゃ辛いだけだろ?俺が何とかしてやるよ!」
天斗は誰かに助けを求める気も、この状況を誰かの手で変えて欲しいという気持ちも全くなかった。幼い頃から誰かが自分に対して何か手を差しのべてくれることもなかったし、誰からも期待などされたこともない。自分などこの世に無くてもいい存在なのだと諦めの境地の中で生きてきた。天斗の両親は全く子供には興味も示さず野放しだったし、家庭環境は荒んでいた。生に対してもなんの執着もなかったし、着ている服も全てが人からの貰い物だけだった。親からの愛情など全く知らず、友達も仲間と言える存在も何もなく、ただただ何となく生きる毎日が続いていた。そんな中、初めて自分に対して興味を示し助けてくれた人…それが彼の運命の出会いとなるのであった。
「なぁ?お前、名前は?もしかして口が聞けないのか?もしかして…耳も聞こえないのか?とりあえずこれで鼻血を拭け」
そう言って透はポケットからハンカチを取り出し天斗の顔を拭いてやった。天斗は人から優しくされることになれてはいないから透の手を払おうとしたが、透が更にその手を抑えて強引に拭き取った。
「ちょっと俺についてこい!お前は俺が強くしてやるよ!実際には俺の妹だけどな!」
そう言ってニヤリと笑いながら天斗の手を無理やり引いて薫の元へ連れていく。
「薫…こいつ…黒崎天斗だってよ!しかもお前と同級生だぞ!顔は似ても似つかねぇけど、面白い偶然だよな!」
「ふーん…また弱虫連れてきたの?兄ちゃん…」
「まぁ、そう言うな!世の中皆が皆、心が強い奴ばかりじゃないさ。お前、こいつ鍛えてやれよ!」
「えぇ!やだよ…私は弱虫大っ嫌いなんだってば!」
「わかんねぇぞ!こいつはもしかしたら化けるかもしれん!」
「兄ちゃんいつもそういうけど、みんなすぐに逃げだしちゃうじゃん!」
「そりゃお前のやり方の問題だろ?お前はやり過ぎるんだよ!」
「兄ちゃんが言うか…女の私をスパルタで鍛えといて…お嫁に行けなかったら一生恨むからね!」
「そんときはこいつに貰ってもらえ!」
そう言って透は大声で笑った。
その時が天斗と薫の初めての出会いとなり、天斗の心の中に激しい衝撃が走った。人には全く興味を示さなかった天斗が薫を一目見た瞬間…
この女の子…今まで会った人達とは何か違う…何だろう…ものすごく温かいオーラを感じる…なんか…なんかわからないけど…この子好きかも…なんか…俺と同じような人種かも…どこか凄く淋しそうで…悲しそうで…なんか他人じゃないみたい…
その時薫が天斗のことをジロジロと見て、
「なんか弱そう…兄ちゃんやっぱりダメだよ!コイツもすぐに逃げ出しちゃうよ!」
薫のその言葉を制して透が天斗に声をかける。
「なぁ黒崎!この女は鬼も逃げ出すほど冷血女だが、お前が強いことを証明すれば必ず認めてくれるから!頑張れ!な?やれるよな?」
天斗は黙っていた。が、その心の中は強くなることよりも薫と一緒に居たいという気持ちがあった。
「すぐに兄ちゃんは人にめんどさいことを押し付けて…」
「そう言ってやるなよ。どうせお前だって女子からは相手にしてもらえないんだから丁度いい遊び相手だろ?」
「そのオモチャがみんなすぐに居なくなっちゃうからつまんないんだってば!」
「薫、よーくこいつの目を見ろ!今までの奴とはどこか目の力が違うと思わないか?まるでお前の目を見てるようで気味が悪いよ…」
「兄ちゃん!それどういう意味?私が気持ち悪いって言いたいの?」
「いや、そうじゃねえょ…なんつーか…この眼差しには…お前と似たような陰があって…ずっと悲しみを背負って生きてきたような…きっとお前とウマが合うぞ!」
そう言って透はどこかへ行ってしまった。薫は天斗の瞳を覗きこむ。
たしかに…ちょっと淋しそうな…悲しそうな…きっとこの子も家庭環境に恵まれずに育って来たんだろうな…そんな印象を受けてとりあえず天斗に声をかける。
「ちょっと付いておいで。先ずはあんたがどのくらい根性あるか見てやるから」
そう言って黙って先に歩きだし、天斗もその後を無言で付いていく。そして薫の家の庭に到着した。
「先ずは私が兄ちゃんに最初にやられた特訓ね。名付けて鬼バット!このプラスチックのバットでフルスイングするから、死ぬ気で避けてみな。一応言っとくけどプラスチックと思ってなめたら痛い目みるよ?これ、ガチで痛いから!行くよー」
そう言っていきなり天斗の顔面めがけてバットを思いっきり振った!!!天斗はそれを避けきれず額に直撃した。
ガコォーーーーーン!
天斗はぶっ飛び頭がクラクラして倒れこむ。この女…マジで手加減とかの概念がない…あの5人組に殴られた時よりずっと痛いぞ~~~!思わず自然と目から涙がこぼれた。
「何男のくせに泣いてんだよ!泣くならもう止めるよ?私は弱い男は大っ嫌いなんだから!」
天斗はすぐに涙を拭い立ち上がった。初めて誰かと関わりを持ちたい…この子と離れたくない…いや…離れちゃいけないと感じたのだ。それが何故かははっきりと天斗にはわからない。しかし、今ここでこの子との関わりを切ったら、もう一生人と繋がることは出来ない…そんな直感が天斗の心の中で音を立てて鳴り響いている。俺も…この子も…二人にとってきっとこの出会いは運命なんだ…お互いにとって共感し合えるものがある…俺達は…離れちゃいけないんだ!
「もう一回…頼む…今度は絶対に泣かない…だから…止めないで…」
薫はその言葉に声を詰まらせた。薫にとってもそんな言葉が返って来たのは初めてで、天斗の目には恐怖も後ろ向きな気持ちも微塵も感じなかった。何だろう…この不思議な感覚…この吸い込まれるように真っ直ぐな眼差し…コイツ…イジメがいがある!!!薫のドS魂に火が点いた。
「天斗…良いねぇ…弱いけど私はあんたみたいなの嫌いじゃないよ!んじゃあ、今度は絶対泣くんじゃないよー!」
薫は再びフルスイングで天斗の顔面めがけてバットを振った!
ガコォーーーーーン!
今度はもろに顔面を直撃してしまった。薫は少しやり過ぎたかと思うほどのドストライクな当たりにぶっ飛んだ天斗の側へすぐに駆け寄った。
「大丈夫か?」
天斗は倒れこんだがすぐに立ち上がり手で顔を抑えながら「泣かないよ…」と小声で返事した。その抑えてる手を薫はすぐに掴んで天斗の顔を見た。鼻から血が流血しながらも堪えてる天斗に思わず笑ってしまった。
「天斗…私…あんた気に入ったよ…あんたを認める。ちょっと待ってて!」
そう言って走って家の中へ入っていった。そしてすぐに戻って来て
「天斗これ、上げる」
そう言ってハンカチを差し出した。天斗は薫からハンカチを受け取り鼻を抑えて血が止まるのを待った。
「ありがとう…でも、ゴメン…俺の血で汚しちゃった…きっと洗っても取れないよ…」
「だから上げるって言ったじゃん!」
この日天斗は、矢崎透と矢崎薫から人からの親切心というものを学んだ。誰からも心配されず相手にされない淋しかった日々は、今日この日から一辺することになる。薫は天斗の鼻血が止まるのを待って河川敷に連れ出した。二人は川辺に座った。
「ねぇ…天斗は何でいじめられてた?」
「……………」
「親は?兄弟は?」
「……………」
「私さ…こんなんだから女の子の友達とか居ないんだ…で…男の子からも恐れられたりして…あんまり遊んでくれる子も居なくて…唯一姉妹みたいに思ってくれる同級生の従姉妹だけが私のことわかってくれるんだよね…」
それを天斗は笑うこともなく黙って聞いていた。やっぱりこの子…俺とどこか似てる…友達も仲間もいない…ずっと孤独を背負って生きてきたんだろう…そして天斗は口を開いた。
「あのさ…俺達…友達になろうよ…」
その言葉を聞いた瞬間薫に激震が走った。今まで透が連れてきた数々の男子は、皆薫のスパルタという名の暴力に恐怖し去っていった。しかし、天斗はあれだけ痛い目を見ながら自ら薫と友達になりたいと申し出てきたのだから、困惑するのは当然のことだった。
「君のこと…かおりって呼んでもいいかな?」
「いいよ…天斗って…幼稚園の頃に幼なじみが居てさ…その子も黒崎天斗って同姓同名なんだ。その子とよく遊んでたんだけど…従姉妹が小学生にいじめられてたのを助けてやれなかったって責め立てたことがあってさ…それっきり疎遠になったことがあったんだ…普通に考えれば幼稚園児が小学生三人相手に敵わないのは当然なんだけどさ…私の父ちゃんはどんな時でもどんなことがあっても男は女を守るもんだ!っていつも言っててさ…だからつい弱いアイツを責めちゃったんだよね…私にとっては従姉妹はかけがえのない存在だから…頭がカァーっとなっちゃって…でも、従姉妹はその天斗が大好きだったんだ…天斗もいつもお嫁さんにするとか言っててさ…それで…弱いくせにお嫁さんにするとか言うなって怒鳴っちゃって…そのせいで従姉妹にも近寄らなくなっちゃって…」
黙って聞いていた天斗が口を開いた。
「かおり…俺は…どんなことがあっても、どんな時でも…君から離れない…どんな辛いときでも淋しい時でも…俺は君を裏切らない…俺はいつだって君の友達でいる」
天斗には薫の気持ちがわかっている。自分の性格が災いして友達が出来ない淋しさをわかっている。薫にとって一番欲しい言葉を理解していた。
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