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第2話
薫は天斗と別れ家に帰った。すっかり暗くなっていたが、家の中は既に電気の明かりが点いている。透はいつも薫が淋しい想いをしないようにと早めに帰宅し薫を待っていた。それを知って薫もなるべく早くには帰らず、少しでも透が友達と長く遊んでこられるようにと、外で時間を潰す日々が続いていた。薫にはほとんど一緒に遊んでくれる友達が居ない。一方従姉妹の理佳子には沢山の友達が居た。わりとおとなしめだが、優しく穏やかな性格で女の子の友達には人気があった。なので、気の荒い薫を交えて遊ぶとなるとみんな敬遠して理佳子とは遊べないとなってしまう。そのため、薫が他の子と遊ぶと言って一人自ら理佳子の元を離れてしまうのだった。理佳子はそうとは知らず薫にも友達が居るのだと思い込んでいた。
薫が玄関の引き戸をガラガラと開けて
「兄ちゃんただいま~」
透は簡単な夕飯を作って待っていた。
「おぉ、薫。今日も簡単で悪いけど、チャーハンと味噌汁出来てるから、手を洗って先に飯食え」
「兄ちゃんありがとう。父ちゃんは今日も遅いんだね?」
「まぁ、いつものごとく遅いだろうな…」
父の矢崎拳(やざきけん)は自営で小さいながらも建築の会社を起業し、数人の職人を雇っている。そのため、誰よりも早く仕事に出かけ、誰よりも遅くまで仕事をして帰ってくる生活をしていたので、透と薫をほとんどかまってやる時間を作れずにいた。母親はまだ二人が幼い頃に出て行ってしまったので薫には全く記憶が残っていない。辛うじて透には微かな思い出があるくらいだ。
「薫、黒崎の手応えはどうだった?」
「うーん…ちょっと変わってるかな?」
「どういう風にだよ?」
「うーん…先ず最初に恒例の鬼バット浴びせてやった。そしたらやっぱり泣いたからまたコイツもダメかって思って追い返そうとしたら、あいつ今度は泣かないから止めないでって…」
「ほう…それで合格か?」
「なんかさ…あの子…よくわかんないけど…私に似てる気がして…他人じゃないみたい…」
「お!お前そこに気付いたか?そうなんだよな…あいつ…すげぇ孤独に慣れてるっつーかよ、ずっと悲しみとか苦しみの中で生きてきたような目をしてんだよ…あいつは…きっとお前と運命の出会いなんだと思ったんだよ…」
「運命の出会い…かぁ…そうなのかな…」
「まぁ、とりあえず飯食え。そのあと宿題はちゃんとやっとけよ!」
「兄ちゃんはすぐそれだ…」
「親の代わりに俺が言わなきゃお前の将来どうなっちまうかわかんねぇだろ?」
「別に…」どうだっていいよ…私の人生なんか…
薫の心の声は透にはわかっていた。誰も薫のことを受け入れてくれない孤独感…痛いほどわかるが、透には薫の淋しさを埋めてやる術がない。せめて母親の温もりを感じさせてやれたらどんなにいいか…しかし自分達を捨てた母親を探すのは勇気がいる。どんな想いで出ていってしまったのか…今どんな生活をしてるのか…薫の気持ちも考えてやらなければならない。今の薫にはとてもデリケートな問題なのだ。薫が食卓テーブルの席に着き夕飯を食べ始めた。
「薫、今度遊園地行こうか?」
「え?遊園地?いいの?」
薫が目を輝かせている。
「あぁ、今度可奈子姉ちゃんに頼んで連れてってもらおう!」
可奈子姉ちゃんとは、従姉妹の理佳子の母親…つまり透と薫の母の姉にあたる。姉ちゃんと呼ばせているのは、単におばさんとは呼ばせたくなかったからだった。
「うーん!理佳と一緒に行ける!兄ちゃん可奈子姉ちゃんに頼んで!」
「わかった!必ず連れてってもらうから、楽しみに待ってろ」
「兄ちゃん、理佳は絶対先にお化け屋敷入るって言うよ!そして最後の締めにまたお化け屋敷って…」
「お前はお化け屋敷苦手だろう?」
「うん、すっごい大っ嫌い!でも…理佳を一人で入らせるのはかわいそうだから…我慢するよ…」
いつも薫は理佳子の為に全ての犠牲を払って我慢した。一人っ子の理佳子が決してワガママを通す性格だったわけではない。薫が理佳子を妹のように想っていたからだ。そして理佳子も薫を誰よりも大事に想っていた。どんなことも、どんな悩みも、全てお互い話し合ってきた。ただ友達が居ないことだけは伏せて…
透はそんな薫を不憫に感じながらも、唯一の理解者である理佳子に何も言わなかった。
一方黒崎天斗は、家に帰っても電気は点いておらず、自分で家の鍵を開けて電気をつけ、テーブルに置いてある数百円のお金を握りしめ再び家を出た。近くのコンビニに入って一番安い弁当とペットボトルのお茶を一本買って家に帰る。一人で食事をするのは日常茶飯事で、たまに母親が家に居ても天斗の存在すら無いかのように誰かとダラダラ電話して出かけてしまったり、飲んで寝てしまうだけだった。父親もほとんど家には帰らず遊んでもらった記憶は全くない。天斗にとって家はただ食事と寝るだけのスペースでしかなかった。愛を知らない天斗だったが、薫との出会いによって愛情を知っていくことになる。自分の存在価値など全く見出だせなかったが、この日初めて人から認めてもらえる喜びを噛みしめていた。
かおり…あの子は…凄く怖いけど、本当は凄く優しいんだと思う。友達居ないって言ってたな…友達…かぁ…弱い男は嫌い…強くならなきゃ友達で居られなくなる…あの子を守れる力がなきゃ友達で…なるよ…誰よりも強く!じゃなきゃまた独りぼっちになっちゃうもん…
この日の夜、透は薫が寝たのを確認してから理佳子の母、可奈子に電話をかけた。
「もしもし、可奈子姉ちゃん?」
「どしたの?こんな時間に。薫に何かあった?」
「いや、そうじゃないよ…今度さ、遊園地連れてってくれないかな?薫…凄く淋しそうだから…口には出さないけど…やっぱりあいつ母が恋しいんだなって感じるんだ…」
「うん、わかったわ。私はいつでもいいわよ!次の日曜日とかでも良いし。透達の都合の良い日に決めてちょうだい」
「ありがとう、可奈子姉ちゃん…」
可奈子は透がまだ何か言いたそうな気がして尋ねた。
「透?まだ何かあるの?」
「実は…教えて欲しいんだ…母さんのことを…何故俺達を置いて出ていってしまったのか…今どんな生活をしてるのか…独りなのか…それとも…」
「透…」
可奈子は妹がどこでどんな生活を送ってるか全て知っていた。しかし本人から子供達の口から聞いてくるまでは何も報せるなと念を押されていたので、今まで黙っていたのだ。
「やっと聞いてくれたわね…」
可奈子は重い口を開いた。
「透…あなたの母は真紀よ。真紀はね…あなた達を置いて出てったんじゃないの…あなたのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがあなた達を手放さなかったのよ…真紀は透も薫も連れて出ていこうとしたわ。だけどそれを阻止されて真紀が追い出されるような形で…」
「どうしてさ?何があったの?」
可奈子は真紀のことを考えると涙が溢れてきて言葉に詰まる。
「可奈子姉ちゃん?」
「ごめんなさい…真紀は…透…この先は直接真紀から聞いた方が良いと思う…」
「会える?母さんに…」
「もしあなたが真紀に会いたいと願うなら…必ず会わせて上げるわ…」
「会いたいよ…会いたい…会ってちゃんと全てを聞かせて欲しいよ…でも、薫は俺が母さんに会ってちゃんと話を聞いてから考えるよ…」
「そうね…私もその方が良いと思うわ…」
「可奈子姉ちゃん…平日でも会えるの?」
「どうして?学校は?休みじゃダメなの?」
「休みの日は、なるべく薫の側にいてやりたいんだ…あいつ…実は友達居ないから…」
「え?そうなの?理佳の話では薫はいつも友達と遊びに行っちゃうって…」
「可奈子姉ちゃん…理佳子には黙っておいて…薫は薫なりに考えてるんだ…理佳子に凄く気を遣ってるんだ…」
「………透がそう言うなら私からはなにも言わないわ…」
「ごめんね、だから平日に母さんに会わせて欲しい…」
そして後日に透は母真紀に会う段取りをつけてもらう事になった。
翌日の放課後、薫は河川敷で一人天斗が現れるのを待った。
もしかして…あいつ来ないかなぁ…昨日はずっと友達とか言ってたけど…結局あいつも皆と同じなのかなぁ~…いつまで待っても姿を現さない天斗に疑念を抱き始めた。その時透がチャリで薫の所へ来た。
「なんだよ薫!今日は黒崎とは遊ばないのか?それとももうフラれたか?」
「兄ちゃん!あいつここに来いって言ってあったのに、どんだけ待っても来ないんだよ!結局口だけだったんだよ!」
それを聞いて透は
「おい…あいつ…まさか…また例の奴等にいじめに合ってるんじゃ?」
「え?兄ちゃん!あいつ何処に居るの?探しに行こうよ!」
「薫後ろに乗れ!」
そして二人は昨日黒崎がいじめにあっていた場所に急いで向かう。到着したそこには、やはりボロボロになった天斗が倒れていた。
「たかと~~~!」
薫はチャリを降りて転がるように駆け寄った。
「天斗?大丈夫?またやられたの?」
顔中アザだらけになった天斗を見て薫は修羅のような顔付きに変わっていた。
「天斗!あんたをやった奴等はどこに行った?教えて!」
「か…かお…り…大丈夫…俺は…大丈夫…」
「何言ってんだよ!あんたをこんな目にあわせた奴等は絶対許さない!」
「良いんだ…かおり…俺…ちゃんとあいつら全員…ブン殴ったから…もう…あいつら…きっと俺にかかって来ないよ…俺は…誰よりも強くなるって…決めたから…誰よりも強くなって…かおりと…ずっと友達でいられるように…かおりのことを守れるように…」
そのとき数人の中学生らしき少年らが、さっき天斗に殴られた同級生と一緒にゾロゾロと歩いて来るのが見えた。
「おうおう!アイツか?俺の可愛い弟ぶん殴ってくれた奴は!」
そう言いながら肩で風を切って近寄ってくる。薫は怒りで突進して行こうとするのを透が止めた。
「薫…お前は下がってろ!お前の仇は俺が取ってやる!」
「兄ちゃん…」
「あ?ガキは大人しく下がってろ!痛い目見んぞ?俺達はそこのボロ雑巾に用があんだよ!」
「こいつがボロ雑巾に見えるなら、お前らの目は死んだサバと変わらないな!」
「あ?調子に乗んなよテメェ!」
「おいそこのクソ弟!お前、よってたかってたった一人にやられておきながら、更に腐ったサバ連れてきて恥ずかしくないのか?かっこわりぃなぁ!」
「テンメェ~、俺だけじゃなく弟まで侮辱して生かしちゃおかねーぞコラァ!」
中学生数人が一気に透に向かってきた。そして…一分も経たない内に全員が川の中に浸かっていた。小学生の弟達は恐くなり全員逃げ出していた。
「薫、黒崎を家まで連れていけ!怪我の処置してやるぞ」
「兄ちゃん…コイツら大丈夫かな?」
「放っておけ!どうせバカなんだから風邪も引かないだろ」
この日の記憶を天斗はいつまでも忘れることはなかった。本当の強さ。それがどういうものなのかを目の当たりにして、自分もいつか透のようになりたいと強く願うのであった。
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