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1.美咲
「今、どこにいるんだろ。まだ会社なのかな」
テレビから溢れる虚ろな笑い声を聞きながらそっと呟く。約束の時間はとうに過ぎている。美咲はぼんやりとスマホの画面に目を遣った。
(もうすぐ二十二時。今日は二十時にはこっちに来るって言ってたのに)
スマホの画面を開いては閉じる、さっきから何度もその仕草を繰り返していた。こちらから連絡を取ればいいのだが恋人の悟は残業中に連絡するとひどく機嫌が悪くなる。最近忙しいらしく決めていた時間に遅れることも多かったが今日は流石に遅すぎる。一緒に夕食を摂る予定で準備していたのに。美咲は思い切ってメッセージを送信した。電話まで架ける勇気はない。
――お疲れさま。まだ残業かな? 待ってるね。
たったそれだけの文章を打ち込むのにかなり時間がかかった。どう打てば彼の機嫌を損ねずに済むか、考えに考えていたから。五分ぐらい経つと電話が鳴った。悟からだ。
「もしもし? ごめん、残業中だった?」
おそるおそる尋ねると背後からざわざわと人の声が聞こえてきた。どう考えても会社ではない。
「ああ、悪い。さっき残業終わって上司に無理矢理付き合わされちゃってさ。今日はキャンセルで」
それだけ言うと悟は慌ただしく電話を切る。その瞬間、「誰に電話してんのよぉ」という女性の声が聞こえた。女性の上司かもしれないし、と美咲は自分に言い聞かせる。
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