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In the wee small hours of the morning
会いたい……せめて、あなたの声が、聞きたいの……。
ここのところ寝床に就くと、
そんなことばかり思って以前のように眠れなくなった。
たった半年前までは、このまま誰も好きにならず、
仕事を恋人にして生涯を生きる……そう考えていたのに……。
そう、それはちょっとした……〝お遊び〟みたいなことから始まったのだ。
こっちで一番古い友人、それでも、親友って程の仲ではなかった…と思う。
高校時代、一年の間だけクラスが一緒だった同級生……彼女は今、
わたしの幼なじみと結婚し、今でもたまに連絡をくれる。
やっぱりそんな彼女から電話があって、
突然、仕事場の近くで飲むことになった。
この日、彼女は妙にテンションが高く、
ジョッキ二杯飲み干したあたりで、いきなり声高に言ってきたのだ。
「ほら、見てみなさいよ! 男なんて、そこら中にウジャウジャいるじゃな
い!」
周りにいるサラリーマンらをモノともせずに……。
すぐにでも恋人を作れと声にして、
勝手にわたしのスマホにアプリを入れた。
恋活アプリ〝ウキウキ〟!?
顔画像を貼り付けて、後は嘘か真か……身長に体重、
さらにしている仕事や相手の好みなんかを書き込んでいく……らしい。
わたしは、アピールコメントをちょっとだけ読んで、
年収二千万? クルマは三台持ってます!?
――何よこれ、ばっかじゃないの?
わたしは今年で三十五歳だ。
だから決して、こんな怪しげなモノには手を出さない……筈、だった。
ところがそれから数日後、
まさしくいきなり、わたしの人事異動が発表される。
まるで畑違いの部署へ行け!
これこそ今のわたしにしてみれば、左遷以外のなにものでもない。
――いったい、どうして?
そんなショックで仕事にならないわたしの席へ、
とびっきりの笑顔で同期の男が近付いてきた。
彼はわたしの席の前に立ち、だから思わず声にする。
「なに? わたしの左遷を笑いに来たの?」
「違うよ。これまでキミは、充分頑張ってきたんだからさ……」
――だから、後輩の男に、わたしの居場所を譲れってことね?
「そのご褒美に、少しゆっくり働いてもらってさ……」
――そうして、できた時間で男を探して、結婚退社、しろってか?
「それで英気を養って、また営業に、復帰すればいいじゃない?」
――その頃あんたは、ずっとずっと上に、行っちゃってるわけか……。
こいつにだけは負けたくないと、そう思い続けた部内で唯一の同期入社。
実際、仕事だって負けてない。
売り上げだけなら、わたしの方が上ってくらいだ……けど……。
――わたしはどうしてたって、あいつのようにはできなかった。
「どう? 今夜、軽くみんなで、飲みに行かない?」
勤続三十年の女性部長がそう唱えれば、課長クラスはまず出席。
さらに、その場にいる女性の部下はわたしだけだから、
「あら、ごめんなさいね〜、ねえ、みんな、彼女にばっかり、気を使わせちゃ
ダメじゃない!」
なんてのは、だいたいにして初めだけ。
そうして結果、いろんなことがあったのだ。
いつしかわたしは誘われなくなり、
そうしてあいつは、いつでもそんな時間の中心にいた。
当然、気分は最悪で、その日はまっすぐ帰る気になれない。
だからわたしにしては珍しく、例の友達を会社のそばまで呼び出したのだ。
ただただわたしが喋りまくって、いつしかとことん酔っ払い。
そうして次の日、彼女からの電話によって驚きの事実を知らされた。
「ねえ、どうだった? あいつ、信用できそう?」
「え? なに、あいつってなによ?」
「ええ〜なにってあんた、ぜんぜん覚えてないの?」
「うん、残念ながら覚えてない……」
二軒目の居酒屋で、彼女は勝手に恋活アプリを起動させ、
「勝手にじゃないわよ! ちゃんと了解もらったじゃない! それにね、自己
紹介に使った画像は、あんたの一押しに、したんだからね!」
そうして様々な情報を入力し…わたしは、恋人募集を開始した。
「とにかくこの電話切ったら、すぐに自分のスマホを確認しなさいよ!」
昨夜、わたしの情報を公開してから、あっという間にメッセージが届いた。
送り付けてきたのは、七つも歳下のサラリーマンだ。
『よかったら、会いませんか?』
アプリを開くと、そんなメッセージが目に飛び込んでくる。
しかしわたしが驚いたのは、そんなメッセージのことじゃない。
『いいよ〜♡ いつ? どこで会う? 日曜なら、わたしまるっきり、フリー
だよ〜♡』
――絶対……嘘だ。わたし、ハート♡まで使っちゃってる!
それからちゃっかり、待ち合わせ場所を指定して、
二人の目印をどうするかって話になった。
『プロフィールの画像、あれって、なにか加工してる? それとも、今のじゃ
なくて、十年前のやつだったりする?』
――わたしの一押しって、どの画像を貼ったのかしら?
『え? そんなこと、していませんよ(笑)』
――十年前のなんて、スマホの中には入ってないし……多分だけど……。
『じゃあ、きっと大丈夫。僕の方で、あなたをしっかり見つけますから……』
――そうしてあれだ……わたしを見つけて、声をかけずに去っていく。
そんな思いを引き摺りながら、
指定された場所にドキドキしながらわたしは立った。
ところが彼は言葉通りに、すぐにわたしを見つけてくれる。
それからど緊張のわたしに向けて、
「わかりませんか? 僕を見て、思い出さない?」
そう告げてから、彼はなんとも優しげな笑顔を見せた。
そうしていつも通りの日常が、その日から一気に輝き始める……。
「僕……ケンイチの弟、コウジです……」
ケンイチと言えば、幼なじみの悪ガキの名だ。
その弟のコウちゃんは、いつでもケンイチのそばにくっ付いて、
ピーピー泣いてばかりいた……それが、どうして?
その日から、わたしの夜は、徐々に変わっていったのだ。
疲れ切って、寝に帰るだけのはずだった。
もちろん今も、上司と飲みには行かないけれど、
新しい部署でも必死になって働いているから帰りはいつも遅くなる。
コンビニ弁当も変わらずで、
着古したパジャマだって何から何までおんなじだ。
それでも、なぜかわたしは幸せだった。
「東京の大学に行くって聞いて、もう、夜も眠れなくなってさ……」
その頃彼は、まだ小学校の高学年だ。
「でも、年に何回かは戻ってきたでしょ? だから俺、あなたの家の周りをウ
ロウロしてさ……こうなりゃもう、完全にストーカーってやつだね……」
高校生になってもそんな気持ちを失わず、
彼はとうとうわたしと同じ大学を受験する。
そしてちょうど同じ頃、ケンイチの彼女がわたしの同級生だと知った。
「彼女もさ、僕の兄貴のことが昔っから好きで、それで高校の頃、兄貴と仲の
良かったあなたのそばに、いたんだぜ……」
――え? そうなの?
高校時代、たった一年間だけ、おんなじクラスだった……同級生。
――きっと、わたしの姿を通して、ケンイチのことを見てたんだ。
そうしてとうとう、大好きだった彼とゴールイン……。
「え? ちょっと待って……それじゃあ……」
そう続けて、冷えたコーヒーを一口啜った。
「あの恋活アプリって、まさか、計画的だったって、ことなの?」
言い出したのが、どっちだったかは、いまだに知らない。
ただ少なくとも、彼女がアプリを勧めてきたのは、
「そう……僕の、ためなんだ。ごめん……」
ショックだった?
ううん……確かに、驚きはしたけど……不思議と、嫌な感じはしなかった。
会いたい……せめて、あなたの声が聞きたいの……。
「結婚、しよう」
「え? わたしたち、まだ付き合って半年だよ?」
「僕が、何年待っていたと、思ってる?」
確かにそうね、ずいぶん、待たせてしまったわ…。
世界が眠ってしまったように思える…深い夜。
どこからか漂う……春の香気に包まれながら、
わたしはあなたを想って、眠れない。
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