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第1話 現実
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https://estar.jp/novels/25887592
本作は、拙作↑『ヘブンズ・スクエア』の続編となっております。
お時間ありましたら、この機にご一読いただければ幸甚と存じます。
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「行ってきます」
リビングの両親に声をかけると、僕は6月の曇天の下、クロスバイクにまたがった。
梅雨入りしたからだろうか、灰色の雲が今にも頭上に落ちてきそうだ。
ビアンキのペダルが今日はやけに重い。 心なしか、チェーンが不快な音を立てて軋む。 僕の通学は いつも叙事的だ。
僕の住む芹沢市は、今から3年前に財政破綻した。
人口2万人、高齢化率60%の、しみったれた街だ。
駅前のシャッター街を通り抜けると、田舎には似つかわしくない、巨大な廃墟が見えてくる。
かつてこの街のシンボルとして巨額を投じて建設されたものの、結局赤字を垂れ流し続け、開館から僅か7年で閉鎖してしまった。
今では芹沢市の負の遺産として、街の中心部にポツンと取り残されている。
当時の市長はそれでも懲りずに多額の税金を費やし、公共施設や道路をバンバン造り続け、財政破綻寸前に任期を満了し、無事逃げおおせた。
今は優雅に晴耕雨読の生活を送っているという。
財政調整基金まで使い果たし、文字通り無一文となった芹沢市を立て直すべく、後任を引き継いだのが、まだ若い、イケメン市長だ。
学生時代の事故で重度の障がいを負い、苦労しながらも勉学に打ち込み、政治家を志したのだという。
当選した頃は物珍しさもあり、よくメディアに取り上げられていた。
しかし市長の健闘も虚しく、今なお人口流出も高齢化も歯止めが効かない。
(でも、まあ、良いか)
僕は思った。 僕の居場所はここじゃない。 市長が孤軍奮闘しようと、芹沢市の赤字が膨らもうと、ちょっと暮らしが不便になる程度だ。 きっと政治ってそんなものなんだろう。
中央橋を渡り、相良川を横目に望みながらビアンキを漕ぐ。
やはりペダルが重い。 面倒くさいが、家に帰ったら油を差そう。
今日も相良川の水面には波一つなく、静かに、絶えず流れている。
10分ほどクロスバイクを走らせ、ようやく白波高校に到着する。玄関で上履きに履き替え、3-1の教室のドアを開いた。
今日もまた、平穏で怠惰な一日が幕を開ける。
「望月 洋介」
「はい」
これが今日、僕が学校で交わした、たった一つの会話だ。
会話といっても、先生が取った、ただの出欠確認だが。
「はい」
それが今日、僕が発した唯一の言葉。
いや、今日だけじゃないな。 もうかれこれ半年ほど、学校では誰とも喋っていない。
僕は学校では誰とも言葉を交わさず、目も合わさない。
(まぁ、べつに良いか)
僕は思った。 僕の居場所はここじゃない。 iPodに入れたサイモン&ガーファンクルを聴きながら、自分を納得させる。
そして僕は、一つの岩になる。 僕はぽつんとした島だ。
冗長で退屈な授業が終わると、僕は逃げるように帰途についた。
「ただいま」
リビングの母に告げると、そのまま自室に駆け込む。
パソコンの電源を入れると、『HEAVENS'SQUARE』と書かれたアイコンをダブルクリックする。
呼吸が荒くなり、一気に胸が高鳴る。
そういえば自転車に油を差すのを忘れてしまったが、そんな事もうどうでもいい。
「そうだ」
僕はつぶやいた。
「ここが、僕の、本当の居場所なんだ」
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