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冬音は急ぎ足になりながら、バス停に向かっていた。
『行ってらっしゃい』
誰かに、行ってらっしゃい、と言ってもらえたのはいつぶりだろうか。
バス停に着いた冬音は、腕時計を一撫でした。
「お母さん、楓……」
冬音は一人呟くと、それを掻き消す様にバスが音を立てて停車した。
「市立図書館経由牛山行き、市立図書館経由牛山行き」
アナウンスの声に合わせて、冬音はバスに乗り込んだ。一番奥の窓側はいつも冬音が座っている。今日もいつも通りの場所に座った。今日のバスは昼の時間ともあってか、いつもより混んでいた。
座るとバスが動き出した。バスが揺れる。この緩やかな揺れに、いつも冬音は心が落ち着いた。
窓の外を見ると、昼休憩から帰るであろう会社員の男女、散歩中の老夫婦、ランニングに励む学生など。街路樹の奥で光る喫茶店や美容室、百貨店。かわるがわる景色は変わっていく。
冬音は瞼を閉じ、バスの揺れる音や車内アナウンス、人々の声に耳を傾けながら、目的地までの時間を過ごした。
「終着牛山、終着牛山。お降りの際は足元にお気をつけ下さい」
車内アナウンスが流れ、冬音は目を開けた。あれだけ込み合っていた車内に残っていたのは、冬音ただ一人だった。
バスの料金箱に付属されたICカードリーダーに交通ICカードをかざして、冬音はバスを降りた。
「ふう。今月も無事来れた」
冬音は一息つくと、バス停のすぐ後ろにある寺へと向かった。寺へと続く道は、昔からの店がいくつか軒を連ねていた。
その内の一軒、冬音は花屋に寄った。
「この白いカーネーションの入った花束を二つ、お願いします」
冬音はすぐに会計を済ませ、寺へと向かった。
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