いいよ

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 不明  私夢を見たの。とても長い夢だった。とても愛しい夢だった。だから久しぶりに日記を書きます。  目が覚めたらそこは中学校でした。懐かしいと同時に違和感を覚えたのです。見渡す限り男子しかいない。男子校(中高一貫)でした。そういえば、父から昔は男子校だったと聞かされたいたのを思い出しながら、私が校舎を歩いていると(皆さも私がいることが当たり前のように素通りしていくのです)後ろから名前を呼ばれました。やけに溌剌とした声にはどこか聞き覚えのある江戸っ子の語尾が混じってました。  振り向くと私は驚きました。目の前に山本さんが学ランを着て立っています。白髪混じりの髪は真っ黒で、青みがかって艶がありました。いつも猫背だった背もピシッと伸び、胸を張っています。こころなしかその体躯ががっしりとしています。への字眉も羅漢眉で剛毅そうでした。  事実、接していくと彼は真正直に愚直で愚かなほど真面目でした。まるで別人でした。クラスの中心でよく後輩をいじり、率先して行事を行っていました。  なぜか、夢のせいか、彼は私をひどく気に入り、よく昼飯を一緒に食べていました。初めて声をかけられたのもそれが理由です。  「やっぱね、静香くん。オレァあの先生はいけすかねぇな。いつも中島をいじめてきやがる」教師の風上にも置けねえ。と山本さんは鼻を啜って食堂のうどんもすするのです。  一緒に過ごしていくうちにわかったのですが、中島というのは彼の親友で野球部のエースだそうで、今は過度の練習で日射病で倒れ入院しているとか。  「水分補給は推奨されるべきだとおれぁ思うよ。今時ふるいんだあの先生」彼の話に私も同意すれば、彼はへへっと破顔し「お前ならわかってくれるとおもったぜ」と衣ばかりのエビ天を一つくれるのだ。初めて彼のこの笑顔を見たとき、私は彼のことが好きになりました。それは決して恋愛的な意味ではなく、愚かで愛しいと思えたのです。行先が気になったのです。  その日、事件が起きました。山本さんが野球部の顧問の車に火をつけたらしいのです。授業中、突然の爆発にクラス中、全学年がざわめき立っていました。駐車場に停めていた顧問の車が爆発したのです。教職員が慌てて噴射する消化器のシュシューという音がこちらにまで聞こえてきました。「静かにしろ!」と教室にいた先生がみんなに必死に注意するのをよそに、私は変だなと思って山本さんへと目を遣れば、彼は青白い顔をして机上へと俯いていました。組んだが手がこわばり、少し開いた口元が固く結ばれ、何か決死た覚悟をその瞳に映していました。  私はそれを見て、これは彼がやったことなんだと思いました。    結論から申しますと、実際に車を燃やしたのは中島くんと野球部の後輩たちでした。冷静に考えればそうです。だって車が爆発したとき彼は授業を真面目に受けていたのですから。  ですが、警察や教師に詰問された際、中島くんは主導者は山本くんで自分は命令されてやった。と泣いて土下座し、そう懺悔したらしいのです。  後輩も腕を痛めて退部した子供っぽい山本くんより、世渡り上手の気立てのいい中島くんを支持していたのでしょう。それともなにか脅されていたのか今となっては夢なので曖昧ですが、もちろん、山本くんは否定すると思いました。ところが、私の元へ来た噂では山本くんは主犯を認めらしいのです。  そこから山本くんの人気は一気に、メッキが剥がれるようにボロボロと崩れていったのです。高校はもちろん退学、彼のいないクラスでは彼のことを教祖様とあだ名をつけ(教唆→カルト信仰→教祖様となったのでしょう)たちまちそれはクラスの隠語となりました。  それでも私は彼を信じていましたし、確信もあったので親友さえも寄り付かなくなった彼を見捨てることはありませんでした。 「推薦がなくなっちまった。遊べると思ったんだがなあ……」  一度、彼は河川敷で微苦笑を浮かべて私にこぼしました。民度というのか程度の低い高校に通い直した彼はやつれていました。心なしか黒漆の学ランが白く汚れていました。よく見るとそれは靴裏の形をしていました。私は君なら大丈夫だと鼓舞して肩を叩きました。彼なら推薦がなくとも楽勝だと本当に思っていました。    結果は、不合格でした。滑り止めで受けた大学も全てダメでした。私が高を括って彼が落ちぶれた。可笑しな話です。近所は物笑いすらしない、ただ哀れだと内心蔑んでいたのでしょう。  それから彼は変わりました。髪を金髪に染め、傍若無人に町を闊歩し、不義理不道徳を繰り返してはその悪名を轟かす。彼の実家は議員か何か国や県のお偉いさんでお金があるらしく、よくそれで彼の悪事をもみ消していたらしいのです。  そして、ついに彼は人としての一線を越えました。人を殺めてしまいました。中島くんです。  この時中島くんは学生で、山本くんが目指していた志望大学より偏差値は劣りますが、彼にとってはとにかく充実して見えたのでしょう。隣の芝生は青すぎたのです。そりゃあ、隣の栄養も奪ったのだから当然の結果なのですが。  「助けてくれ……」家の固定電話から聞こえる彼の声は泣いていたのか震え、嗚咽まじりでした。  それが久しぶりに聞いた彼の声でした。指定されたアパートに行くと近くの電柱に彼が立っていました。夜中です。蛾が舞う電灯の青白い光が彼を悪夢へと歓迎しているみたいで腹が立ちました。私が彼の名前を呼びながら駆け寄ると山本くんは両手で私の肩を掴み開口一番「すまん……」と、  「助けてくれ」彼が何を言いたいのか私はすぐにわかりました。土気色の不健康そうな肌は青白く光り、やつれきった瞼で彼は私を見下ろします。  彼がいじらしく思って私は思わず莞爾として頷きました。  「いいよ」  自分でも驚くほど慈悲深く、沈むようにやさいしい声色でした。 「すまん、……本当にすまん」彼は譫言のように謝罪を繰り返すばかりで、私が遺体はどこにあるの? と聞けば、顔を私へと背いたまま斜め後ろのアパートを指差し「あいつの部屋、……本当にすまん」とまた謝罪を繰り返すのでした。  私は彼から中島くんの部屋番号を聞き出し、今日のことは悪い夢だよ。大丈夫。君は大丈夫。素敵な人だよ。と背中をさすってやって山本くんを帰しました。さすってやっている最中、彼はつきものが落ちたみたいに子供のように肩を震わせて泣きじゃくっていました。  そこで私は目が覚めました。最初、山本さんが誰だかわかりませんでした。とても懐かしい、まだ若い。捻くれていた時に出会った山本さん。彼のことを思い出した時、初めて悲しくなったのです。失恋というわけでない。昔の勇敢で若い、将校のような彼が恋しくなったのです。  どうか、この夢が正夢ではなく。当たり障りのない幸せを喜び、花を愛し、都合のいい人だの罵られて劣等感を募らせようとも、影で応援している人に気づくことがないまま退職していく山本さんであってほしい。今も昔も、人間味のある山本さんでなく、気弱な山本さんであってほしいと願うばかりです。
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