いいよ

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 5月2日   今日も山本さんはいじめられていた。近所に住む同郷の体育教師(私もよく名前が飼い犬と同じということでからかわれていて苦手だ)が、にやけ顏で背後から近づいて山本さんの尻を蹴りつけ、「しゃっきとしろ」と心にも足蹴する。その衝撃で山本さんはよろけてこけそうになるも踏ん張り、教師へと振り返ってへりくだったふにゃりとした笑みを浮かべている。箒の柄の先に両手を乗せ「沢村さんは今日も元気ですな〜、何か秘訣があるんですかい」と律儀に返している。私なら朝の疾うから仕事の邪魔をされたら眉間に皺が寄るのにな。腰が低い猫背を見ていると苛々する。  6月21日  クラスの女子が山本さんに挨拶した。山本さんはいつものようにふにゃりとへりくだった笑みで返す。彼は私たち相手でもへりくだって物腰も低い。「もうすぐ運動会だね、水分補給を忘れちゃダメですぜ」女子はそれに間延びした返事を返して、通り過ぎた後私の耳元へ「キモッ」と吐き捨てた。お前が気持ち悪い、熱中症になって学校から消えてくれ。真後ろの山本さんに同じ女と思われるのが癪で私は苦笑するしかなかった。  7月20日  放課後、掃除当番の駐輪場に山本さんがいた。駐輪場の真向かいにあるプレハブ小屋のようなゴミ捨て場へゴミを捨てにきたらしい。扉のつまみを捻って中に入っていく。そのまま投げ捨てて帰ればいいものの、分別整理でもするつもりか。そこへ男子二人組がやってきた。A,Bとしよう。 Aが鞄から縛ったコンビニ袋を取り出した。その隣で自転車を引いていたBが立ち止まる。少しへちゃげて座布団のようになっている袋をAはフリスビーのように開け放たれたゴミ捨て場へと投げ込んだ。それが山本さんの背中に当たるのが早いか、Aは彼に気がついて「あ、やべ」と発してその場から逃げた。走って自分を置き去りにしたAにBは焦り、自転車に乗って追いかけていく。同じく竹箒を持った当番達もその光景を見ていてクスクスと笑っていた。校内での自転車運転は禁止だバカたれ、最後くらい守れ。夏休み明けに神隠しにあって消えてくれ。  山本さんは地面に落ちたカサリとした音で気づいたように鈍臭く振り向いてビニール袋を拾い上げてはキョロキョロしてた。そして何事もなかったかのようにまた捨てられたゴミ袋の仕分け作業を行っていた。  8月7日  宿題も適当に済ませ、暇だから山本さんのことを書こうと思う。そもそもこれは単なる山本日記だ。暇つぶしだ。だから書こうと思う。  山本さんを初めて意識したのは一年生の時だった。花壇の花を潰したことを謝りに行ったのが出会い。三階の教室から鞄を投げ捨てた、いけ好かない奴の鞄をこっそり投げ捨てた。重たい鞄は重力に引っ張られ下のふかふかの花壇の土へと落っこちた。花を潰し、土埃を吹かせて隕石ごとく落ちた鞄。鉢植えを行っていた山本さんは突然目の前に降ってきた鞄にたじろぎ、スコップ投げて後ろへ尻餅を付いて倒れた。私は血の気が引いた。もし頭上に落ちていたら。カランと鉄製のスコップがコンクリの地べたに転がる。鞄から私へと顔を上げた山本さん。窓から前のめりになって覗き込む私と目があった。私の「大丈夫ですか?」と強張る瞳は真っ直ぐと山本さんを見下ろしている。口をあんぐり開けていた彼は私のそんな表情を見た途端、一瞬、瞠目した瞳を私に向ける。すぐに歯を見せふにゃりとほころんだ。「大丈夫だいじょうぶ! 危ないから窓際に物を置いちゃダメですぜ〜!」と地べたにへたり込んだまま私へと手を振っていた。重たい腰を上げて立ち上がり、猫背のその腰をさすりながら落ちたスコップを拾い上げていた。私は急いで三階から一階靴箱へと駆け下り、花壇の前でしゃがみこんでいる山本さんに声を掛けた。息を切らしながら私が「すいません」と平謝りを繰り替えすも、彼はただ笑って「いいよ〜、いいよ〜」と優しく手を上下に振るだけだった。彼はいつもふふと笑う。それがなんだがすべて諦めたような疲れ切った息の吹き方で、私はなんだか癪に障った。  9月21日  またいつもの「いいよ〜」がでた。体育館裏で不良にお金をたかられていた。四人の不良が山本さんを囲って急かすように手先を何度も曲げていた。彼は別段怒ることも怯えることない。ただへにゃりと細く口元を開けて笑っていた。低姿勢でガマ口から四つ折りにした一万円を渡していた。体育教師もよく「この前は助かったわ」と一万円を返していた。実家が金持ちなのだろうか。やたら羽振りがいいと伺える。  それとも断れない人なだけだろうか。以前職員室で教師が「あいつは本当良いやつだよ」と歯を見せた。周りは嘲笑に近い鼻笑い。彼らが言っているのは都合のいい奴のことだろう。  不良たちに物笑いされても彼はふふと笑って竹ぼうきで掃き掃除を再開していた。その笑い方は初めて会ったときのような諦めたような、どこか遠くを見つめた笑い方で、私はなんだかやきもきした。言いたいことがあるのならはっきりと言えばいいのに。そしてどこか見下したような態度が癪に障る。  
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