父亡き後に、猫もどき

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 頭から猫耳が生えてきた。  父が死んで、一週間経った日の話だ。 「…………」  ベッドに座り込んだまま、髪の合間から生えているそれをそっと指でなぞる。くすぐったい。ちゃんと神経が通っている。夢じゃない。夢じゃないとなると……。 「何、これ」  膝を抱え、一人溜息を吐く。うら若き女子大生の頭から猫耳が生えてくるなんて災難もいいところだ。カチューシャのように着脱できそうな気配もない。奇病の(たぐい)だろうか。何科を受診すればいいのか見当もつかない。  時計を見る。一限目の講義まであと三十分。幸い一人暮らしなので、このまま引き(こも)っていれば人の目に留まることはない。ないけれども。 「そんなわけにもいかないしな……」  とはいえこんな異常事態を前にこのまま外出する気にもならず、悩んだ末に同じクラスの友達にメッセージを送って代理出席を頼んだ。ひとまず今日はサボろうと決めてスマホをベッドに投げ出し、改めて状況を整理する。 「……さて」  今一度触れてみるも、紛れもない猫耳である。鏡で見ると、色は白に近いグレー。ふわふわした毛の感触までリアルだ。実家で飼っている猫の頭を撫でた時の感触に似ている。  昨日まではなかった。今朝起きて頭部がやけにくすぐったいことに気が付き、触ってみたらそこに生えていた。ちなみに元々の耳、つまり人間としての耳は依然としてある。外を行き交う車の音や時計の秒針なども問題なく聞こえる。そこに新しく猫耳が一対追加されたわけだ。意味が分からない。  ベッドに寝転んだままここ数日間の自分の行動を反芻(はんすう)し、心当たりを探る。変なものを食べた覚えはない。猫の霊に祟られるようなことをしたわけでもない。外的な要因は何一つ思い浮かばなかった。……となると。  精神的な問題だろうか? 「……まさか」  関係あるのだろうか。先週、父が他界したことと。  考えながら寝返りをうったはずみに、お腹が鳴った。 「……」  空腹に負け、のそりと起き上がる。不可解すぎて考えるのが面倒臭くなった。とりあえず今後の方針が決まるまで、今日は一日家で大人しくしているのがよさそうだ。  半分ほど残っていた苺ジャムの瓶を引っ張り出し、食パンの袋を掴んでテーブルへと向かう。適当に塗りたくったそれをもそもそと咀嚼(そしゃく)ながら、私は一週間前にこの世を去った父のことを思い返していた。      *  *  *  父が死んだ。先週の今日、夕方に実家の母から訃報を受け取った。覚悟はしていたものの、いざその時が来てしまうと本当に呆気なかった。葬儀も遺品整理も一週間かけて私と母で協力して行い、気がついたら終わっていた。  半年ほど前、胃に悪性腫瘍が——いわゆる(がん)が見つかった父はそれ以来入退院を繰り返しており、最後の一カ月はほぼベッドの上で過ごしていた。父の見舞いにはもっぱら母が赴き、大学の授業とバイトで忙しかった私は時間の空いた時だけ父の病室を訪れた。見舞いと言っても元々無口な父と私の間でとりわけ会話が弾むわけでもなく、大学はどうだとか一人暮らしで困っていることはないかとか、そういった当たり障りのないことをしわがれた低い声で訊いてくるだけで、私もそれに対して当たり障りなく答える。そうして二言三言交わした後、身体には気ぃ付けろよ、と言って私を帰すのだった。帰る直前に往復分の交通費を無言で渡してくる父の手は、骨ばっていて細かった。  だから、訃報を受け取った時に私から漏れたのは涙でも溜息でもなく、そっか、という小さな呟き一つだった。たった一人の血を分けた父親が空に昇っていったその日、私は自分でも驚くほど冷静で、そして(うつ)ろだった。  そのことに対する鈍い罪悪感だけが、心の隅に今も残っている。      *  *  * 『朝っぱらから暇そうだな』  突然聞こえたしゃがれ声に、はっと我に返る。散らかった部屋を見渡すも当然誰もいない。窓の方に目をやると、狭いベランダにすっかり昇りきった日差しが入り込み、その光を背に受けて小さな影が見えた。  猫だった。体長40センチほどの茶トラ。安アパートの1階に位置するこの部屋のベランダに野良猫が入り込むのは、別に珍しいことではない。しかしそれ以外に人影らしきものはどこにも見当たらなかった。  気のせいか、と思った矢先、 『何か食えるもんあるかい。腹減ってんだ』  茶トラが喋った。間違いない。はっきりと喋った。  正確に言えば、茶トラの鳴き声が人間の言葉として私の頭の中に入ってくる。何を話しているのかが分かる。奇妙な感覚だった。脳内で同時通訳をされているような、今までに味わったことのない感覚。 「食える……もん?」  と、私の反応に茶トラが目を丸くした。 『何だ? あんた俺の言ってること分かんのか……。よく見りゃ、頭にいかしたもん付けてるじゃねえか』  そう指摘されて思い出す。今朝の私には、普段生えていないものが生えている。となれば普段は聞こえないはずのものが聞こえるのも道理だ。猫の耳が生えたことで猫の言葉が聞こえる——理屈としては通っているように思えた。 『なあなあ、食えるもんくれ食えるもん。同じ耳生やしてるよしみでよぉ』  しつこくねだる茶トラに根負けし、冷蔵庫の奥に眠っていたサバ缶を持ってくる。茶トラはしばし夢中でそれを平らげた後、満足そうに口回りを舐める。 『恩に着るよ、暇なお姉さん』 「……好きで暇してるわけじゃないんだけどね」  私が愚痴を漏らすと、茶トラはふむ、と真面目な表情になる。 『確かに。一口に暇と言っても本人が望んだ暇とそうでない暇があるからな。一括りにするのは無粋だ。お姉さん、見かけによらず哲学的じゃないの』  勝手に納得する茶トラを前に私は今一度溜息を吐くが、ふとその言葉の一端が耳に残り、思考を巡らせる。  望んだ暇と、そうでない暇。  ……後者に身を置いたまま人生を終えた人を、私は知っている。 『ま、俺たちは基本、望んだ上で暇なんだけどな。それじゃ、お邪魔様』  と、茶トラはものの数秒で哲学的思考を放棄し、一言残してベランダから去っていった。その奔放さはまさに野良猫の(かがみ)と言える。  珍客の去ったベランダ前で一人、私はしばらく空のサバ缶と向き合っていた。      *  *  *  私が父について知っていることは少ない。元気だった頃の父を知る母の話だけが、かろうじて私の中の父のイメージを形作っている。  父は典型的な「窓際族」だった。とりたてて優秀な会社員だったわけでもなく、目立った業績も残していない。一時期は管理職にも就いていたらしいが、仕事のできる若手が入ってくるといつしかそのポストからも外され、その後は大きな案件を任されることもなく重要度の低い事務作業や外回りなどを黙々とこなしていたらしい。人付き合いも決して得意ではなく、昼休みには会社付近の公園のベンチで一人静かに弁当を食べているような人だったという。  一部の同僚からは「暇の権化」と呼ばれており、本人もそれを認識していたらしいが、そのことで父が愚痴をこぼしたことはないという。言わなかったのか、それとも言えなかったのか——今となっては確かめるすべもない。      *  *  *  昼過ぎ。私は家の外に出た。  少し大きめのパーカーを羽織り、フードをすっぽりと被ることで猫耳をごまかす。バレないかどうか不安はあったが、それよりも興味の方が勝った。先ほどの茶トラとのやりとりを経て、確かめたいことがあったのだ。  最寄り駅から実家方面の鈍行に乗り込む。1人暮らしといっても、実家とは電車で1時間ほどしか離れていない。実家の5駅ほど手前で環状線に乗り換え、そこから2駅目で降りる。父の職場がある駅だった。  うろ覚えの記憶を辿りながら父が務めていたオフィスのあるビルを見つけ出し、通りを挟んで反対側のそこそこ大きな公園に辿り着く。平日の昼下がり。公園内には子どもを遊ばせている母親と散歩中の年配者くらいしか見られない。しばらく公園内を歩き回り、私は探した。日当たりが良くてなおかつ人の目につきにくいような場所に、おそらく1匹くらい……。 「……いた」  立ち入り禁止の植え込みに、ふてぶてしく腰を据えて日向ぼっこをしているハチワレ猫の姿があった。私は周囲を見渡して人の目が向いていないことを確かめた後、しゃがみ込んでさりげなくそのハチワレに話しかける。 「……今、お暇ですか」  少しの間の後、ハチワレが億劫そうに口を動かす。 『が忙しそうに見えるんなら、姉ちゃん重症だぜ』  やはり、言葉が分かる。フードを被っていてもはっきりと。複雑な気分になりながらも、私はひとまず話を続ける。 「ここには、よく来られるんですか」 『そうだな。尻尾の調子がよけりゃ来るし、(ひげ)の調子が悪けりゃ来ない。晴れてりゃそのまま居座るし、雲行きが怪しけりゃ早々にずらかる。そんなこんなでまあ、ほぼ毎日だな』  ハチワレの返答はややまどろっこしいが、とりあえずコミュニケーションは成立しているようで安心する。私はもう一歩だけ植え込みに近寄り、訊きたかったことを尋ねる。 「2カ月くらい前まで、昼によくここでお弁当を食べていた中年のサラリーマンをご存知ないですか」  ハチワレはわずかに目を細めた後、思い出したように答える。 『あいつか。スーツ姿のままここに居座るやつなんてそうそういないからな。覚えてるよ。いつ見ても暇そうな顔してたけどな。最近見かけねえってことは、出世したのか』 「他界しました。一週間前に」  端的に事実を伝える。 「私の父です」  そこでハチワレは初めて興味を惹かれたようにこちらを見た。 『なんだ、あの親父くたばっちまったのか。暇人が長生きするとは限らねえんだな』  随分な物言いに、私は苦笑する。 「やっぱり、暇に見えましたか」 『見えたねえ。暇というより、どことなく居場所に困っているような、所在なさげな匂いを感じたけどね。正直そこまで興味なかったし、遠くから見てただけだから詳しくは分からん』  そこでハチワレは大きく欠伸(あくび)をし、やや気だるげな声で付け足した。 『思い出話が聞きてえなら、俺よりも「サムライ」に聞いた方がいいぜ』 「……サムライ?」 『噴水脇のベンチの下か、もしくは花壇の辺りにいるよ。あいつの定位置だ』  言われた通り、サムライは噴水脇のベンチの下にいた。  グレーのサバトラの猫だった。額にひときわ目立つ太い縦縞模様があり、見方によってはちょんまげに見えなくもない、やや太った身体を横たえ、ベンチの隙間から漏れる光に目を細めている。私はサバトラを刺激しないようそっとベンチに腰掛け、前を向いたまま声を潜めて話しかける。 「……サムライさん、ですか」  ややあって、ベンチの下から返事が返って来る。 『あらやだ。人間にそう呼ばれたのは初めてだよ。誰に聞いたんだい』  思いのほか高い声。どうやらメス猫のようだ。サムライなのに。 「植え込みの所のハチワレさんから。……少し、お尋ねしてもよろしいですか」 『構わないよ。人間なんて久しぶりだ」  サムライに了承を得て、私は切り出す。 「少し前まで、ここでよく昼にお弁当を食べていたサラリーマンがいたと思うんですけど」 『ああいたとも! 暇人の旦那だね。丁度このベンチに座ってよく黄昏てたもんだ』  ハチワレに引き続き、サムライも父のことを「暇人」として認識していたらしい。わが父ながら、なかなかの言われようだ。 「私の父なんです。先週、他界しました」  するとサムライは少し沈黙した後、そうかい、と少しトーンの落ちた声で呟いた。 『そうかい。旦那、胃が悪いって言ってたもんねえ。待ってりゃまたいつか来るかなと思ったけど、もうとっくにお空の上か。そうか』  その言葉を聞き、私は驚く。 「言ってた、って……父は、あなたとお話してたんですか」 『うんにゃ、ほぼ独り言だよ。ベンチの下の私に向かって、ぼそぼそとね。私は旦那の言葉が分かるけど、旦那には私の言葉が分からないだろう』  そう指摘され、確かに、と思い直す。会話が成立しているこの状況の方が異常なのだ。 「父は、どんな人でしたか」  そうだねえ、とサムライが言う。 『本当に、ただそこに居るだけって感じだったね。飯を食って片付けて、後は時間が来るまでぼーっとしてたよ。新聞を読むわけでもなし、煙草(たばこ)を吹かせるわけでもなし。昼休みどころか、半端な時間にふらっと足を運ぶこともあったよ。会社のお膝元で堂々とサボるなんて、見上げた根性だと思ったけどね』  サムライの口から、私が思っていたのとさほど変わらない父の人物像が紡ぎ出される。半端な時間に、というのはおそらく外回りのついでだろう。社内で人の輪から外れ肩身の狭い思いをしていた父は、できるだけ会社の外にいたかったのかもしれない。 「猫の目から見ても、父は暇人だったんですね」  私が苦笑しながら言うと、不意にベンチの下からサムライが顔を出し、こちらを見上げてきた。 『あんたね、暇を舐めちゃいけないよ』  それはどこか、子どもを諭すような口調だった。 『暇ってのはね、この世で至上の幸福であるのと同時に、至上の苦痛でもあるんだ。本人がそれを望んでいない場合は特にね。望んでない暇を抱えるってのは、相当な覚悟がいるもんだ』  サムライの言わんとしていることが掴めず、私はその丸い目を見返す。 『例えば……例えばだよ。いくら仕事ができなくて窓際に追いやられてたとしても、毎日出勤してりゃひとまず給料は貰えるさね。出勤したところでろくな仕事も回されず、暇人だと後ろ指をさされて肩身の狭い思いをしながらも、それでも旦那は勤め続けたんじゃないのかい。家族を支えるために、自分の体裁なんか二の次にしてね』  その指摘に、私は返す言葉を見失う。  言われてみれば、父から直接仕事の話を聞いたことなどほとんどないのだ。本人が何を思って働いていたかなど、私には知りようがない。  そんな私の胸中を見透かすように、サムライは続ける。 『もしそうだとしたら……その思いを推し量ってやるのが、娘の役目じゃないのかい』      *  *  *  パーカーのフードを押さえながら、私は歩く。実家の最寄駅の改札を抜けて、歩き慣れた住宅街を通って。公園から真っすぐ一人暮らしの自宅に帰る予定だったのに、結局来てしまった。頭の中でサムライが言っていたことを何度も反芻して、分かったような分からないような気になって。実家に着いた時、日は既に傾きかけていた。  母はまだ帰って来ていないようだった。普段はほとんど使わない実家の鍵を差し込み、中に入る。夕陽の差し込む廊下。リビング。部屋の隅のクッションに埋もれるようにしてちょこんと座る、小さな影があった。 「ただいま、佐助(さすけ)」  私が声を掛けると、佐助はむくっと顔を上げこちらを見る。オスの黒猫。私が高校生の頃からずっとうちにいる。しばらく見ない間に少し太ったようだが、その呑気そうな(たたず)まいは相変わらずだった。 『これはこれはお嬢。急なご帰宅、いかがなされた。父上殿の遺品整理の続きでござるか』  佐助の言葉(ことば)を聞くのは初めてだが、その口調に少し笑ってしまう。サムライよりよほどサムライっぽい。私がフードを取ると、佐助は私の頭に生えた猫耳を見て目を細める。 『なんと……お嬢に、(それがし)と同類の耳が。これは一体』 「こっちが聞きたいよ」  私が溜息を吐きながらソファに座ると、佐助はますます興味を持ったようにこちらを見つめる。 『しかも、某の言葉がお分かりになる。これはなんとも摩訶不思議』 「まあそうだけど……はとりあえず置いといて。後でなんとかするから。それよりも」  と、私は佐助の方に身を乗り出す。 「聞きたいことがあるの。お父さんは……佐助の知ってるお父さんは、どんな人だった?」  佐助は少し目を瞬かせた後、ふむ、と呟いて尻尾を軽く振った。 『改めて聞かれ申すと、何と言えば良いか……寡黙な御仁でござったからな』  それは私も知っている。 『どうにも仕事は不得手のようで、会社ではお世辞にも重宝されていたとは言い難いようでござったが……詳しくは存じ上げぬ』  それも知っている。黙って聞いていると、佐助は少し首を捻りながら続ける。 『後は……そうでござるな。あれほど不器用な御仁も、珍しい』 「え?」  私が聞き返すと、佐助はよっこらせと腰を上げてこちらに歩み寄り、私の足元にあった座布団に再度腰を下ろす。 『子煩悩であるにも関わらず、それを決してお嬢の前では口にされない。(はた)から見ていて実に歯がゆかったでござる』 「ちょ、ちょっと待って」  私は慌てる。佐助が何を言っているのか分からなかった。  子煩悩? あの無口で無愛想な父が? 「……私のこと、話してたの?」 『いかにも。某を撫でている時などは、お嬢のことしか話されていなかったでござる。某が父上殿のお勤めについて詳しく存じ上げぬのもそのせいにござる。父上殿の口から出てくるのは、ひたすらお嬢の近況を案ずる言葉のみ』  私の近況を……案ずる? 『お嬢が進学のために家を出られてからは、特に著しかったでござる。大学で友達はできているのか、きちんと身の回りの家事をこなせているのか、それから……お嬢が、今後一生を添い遂げるような殿方と既に出会えたかどうか』  私は耳が赤くなるを感じた……もちろん人間の方の。要するに父は、私の彼氏の有無を気にしていたらしい。……あの父が? 『お嬢はお嬢で、父上殿にあまり近況をご報告されなかったであろう。たまにお帰りになっても母上殿とばかり話されて、父上殿はさぞかし寂しかったかと』 「……だって」  私のことなんて、そこまで興味がないと思ってたから。そんなそぶりも見せなかったし。家での父の印象なんて、佐助を膝に乗せながらぼんやりとテレビの時代劇を見ているくらいで……あ、だから佐助はこんな喋り方なのか。 『とはいえ、父上殿が入院されてからのことは某も知りようがござらぬ。お嬢、忙しいながらも折を見ては父上殿のお見舞いに行かれたのでござろう。母上殿から聞き申した。いかがでござったか。病室での、父上殿のご様子は』 「…………」  思い出す。父の骨ばった細い手。しわがれた低い声。言葉少なに当たり障りのないことばかり訊いてきた父。そして……帰り際、交通費とともに必ず私に掛けてくれた言葉。 ——身体には、気ぃ付けろよ。  その言葉に込められた思いも、今となっては確かめられなくて。 「……もっと、ちゃんと聞くべきだったな」  私は自分の手を軽く握る。 「お父さんのこと、もっとちゃんと聞くべきだった……お父さんの口から直接。言葉足らずだったのは、私の方だ」  でも、もうお父さんはいないから。その声を聞くことは叶わないから。  だから、この耳が生えてきたのだろうか。父のことを知るから、生きていた頃の父の欠片を少しでも集められるように。 『お嬢』  佐助が口を開く。 『後悔されているでござるか?』  私は首を振る。 「しない。……しそうになったけど、やめた。いなくなってから後悔なんて、お父さんに失礼だから。……代わりに、元気だった頃のお父さんのこと、お母さんからもっと聞いてみる。何が好きだったとか、嫌いだったとか……私とお母さんのこと、どう思ってたかとか」 『左様でござるか』  佐助は微かに頷き、その場で大きく欠伸(あくび)した後、 『……良かった。俺がいなくても大丈夫そうだな』  しわがれた低い声で一言、そう言った。 「……え」  私は思わず顔を上げる。 「佐助?」  みゃあご、と佐助が鳴いた。それはもう言葉ではなく、ただの鳴き声。はっとして自分の頭に手をやると、つい今しがたまで生えていたはずの猫耳が跡形もなく消えていた。  私が呆気にとられていると、玄関の扉が開く音が聞こえ、ややあって少し驚いた顔の母が姿を現す。 「びっくりした……急にどうしたの? 帰ってくるなら連絡くれればいいのに」  私はうん、ちょっとね、と曖昧な返事をする。座布団の上では佐助が何事もなかったかのように居眠りを始めていた。 「お母さん」  私は顔を上げ、母に向き直る。 「お父さんの話……聞かせて」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!