日輪草

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「これで五体目だな。目玉を抉られた死体が見付かったのは」  龍の気の毒そうな声が隣で響いて、燕はこみ上げていた吐き気をなんとか呑み込む。  狭い路地裏には血の臭いが充満していてろくに息もできなかった。よほど苦しんでのたうち回ったのだろう、薄汚れた壁にも吸い殻だらけの地面にも血痕が飛び散っている。  それだけで燕は気分が悪くなってしまったというのに、同じ新人の葵はけろりとしていて、案外女のほうが心が強いのかもしれないと呑気に考えた。  酸化して黒ずんだシミの真ん中には、女の体がくったりと横たわっている。  未だ断末魔をあげているかのように張り裂けんほど口を開けて、がらんどうの眼窩を燕に向けていた。  おどけたような滑稽なポーズと顔にぽっかり空いた穴はあまりにもちぐはぐで気持ちが悪い。生理的な嫌悪感に、一度は呑み込んだはずの吐き気がまた戻ってきて、燕は耐えきれずに口を抑えた。 「おいこら新人、吐くなら現場から離れてからにしてくれよ」  こういった反応はよくあるのだろう、龍は燕を一瞥することもなくそっけなく告げる。燕は死人のような顔色で、大丈夫ですとむりやり虚勢を張った。 「この様子じゃ、また生きたまま目を抉り取ったみたいですね。犯人の目的はいったいなんなんでしょう」  グロッキーな燕をよそに、葵はどこまでも冷静だった。龍は対象的な後輩二人を見比べると、さあねぇと呟いて肩をすくめる。 「異常犯罪者の考えてることなんざ俺にはわからんさ。ただ一つわかることがあるとすれば、きっと署長はお怒りになるだろうなってことだな」 「ええ。なにも犯人の手がかりがつかめないまま、五人もの人間が殺されるのを許してしまいましたから」 「それもある。が、それだけじゃない」  意味深な言葉に二人揃って龍を見やると、面倒なことになったとその顔が語っていた。 「お前ら、第一発見者の話は聞いたか」 「はい。第一発見者が駆けつけたとき、まだ彼女には息があったと聞きましたが」 「そうだ。彼女にとってはこれ以上ない不幸だっただろうが、俺達にとっては幸運だった。なにせ、彼女は犯人の手がかりを言い遺してくれたんだからな」  朗報にも関わらず龍の表情は冴えなかった。訪れた沈黙に耐えきれず葵が続きを促せば、彼は重たそうに口を開く。 「ヒマワリが咲いていたと言ったそうだ」 「……は? ヒマワリ?」 「ああそうだよ。犯人の目にはヒマワリが咲いていた。そう彼女は言い遺したんだ」  あまりに非現実的な証言に、燕は吐き気も忘れてあんぐりと口を開ける。目に花が咲くだなんて話あるわけがない。だがこんなときに冗談を言う人ではないことも、燕はこの数ヶ月でよくわかっていた。 「そんな証言、署長に報告するつもりですか」  さすがと言おうか、立ち直ったのはやはり葵のほうが先だった。クールな問いかけに龍はかぶりを振って、それから苦い顔で頭を掻きむしる。 「報告するさ。いや、こんな証言だからこそ報告しなくちゃいけない。こいつぁ間違いなくあいつら(・・・・)向きの事件だ」 「あいつら?」  燕の問いには答えず、龍はわざとらしく息をひそめた。 「いい機会だ、俺が連れてってやるよ。燕、たぶんお前の方があちらさんも気に入るだろうな。俺と一緒に来い」  名指しで呼ばれて驚く燕に、龍はさらに畳みかける。 「ただし署長の雷をくらう覚悟はしておけよ。あいつらを頼らなくちゃあいけなくなったからには、あの人の機嫌が傾くのは絶対だからな」 「さ、さっきからなんの話をしているんですか」  決まってるだろう、と龍は片眉を上げた。 「餅は餅屋。花は花屋だ」  かったるそうに吐き捨てて、龍は現場を葵に任せて足早に立ち去る。  燕は葵と顔を見合わせてから、慌てて彼の背中を追いかけるのだった。  
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