九十九花

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 燕が植物園に足を踏み入れると、立ち並ぶ花々が一斉にこちらを向いた。  葵の襲撃にほとんどの花が散らされてしまっていて、残されたのはほんのわずかだけだった。以前はあれだけお喋りだった花々はなにやら落ち着きがなく、顔があるとしたら不安げな表情で、助けを求めるように燕を見詰めている。燕は大丈夫だよと花びらを撫でてやり、困り果てた様子で揺れる花の道を突き進んでいった。  燕は大切なことをなにも覚えていなかった。幼いころに迷い込んだこの花の園のことも、一人でうずくまって涙をこらえていた子供のことも。  燕が花霞に連れられて植物園を訪ねたときに花が騒いでいたのは、なにも珍しい客人にはしゃいでいたからではない。数年ぶりの再会を歓迎していたのだ。そんなことにも気付かなかっただなんてと自嘲しながら園の奥を目指していた燕は、あのブルーアイが咲き乱れる場所までやってくると足を止めた。  ブルーアイは燕の存在に気付くと、助けてと言いたげにこちらを見下ろす。  その中心、ブルーアイに守られるようにして、花霞が横たわっていた。  花琳の忠告は当たってしまっていた。  今まで呑み込んだ種がついに芽生えてしまったのだろう、彼の体は数多の花で覆われてしまっていた。  オシロイバナ。リナリア。ビオラ。勿忘草。アネモネ。黄色のチューリップ。翁草。白いゼラニウム。けして胸の内を明かさない花霞の心情を代弁するように、花々は美しく、雄弁に咲き誇って燕の目を奪った。  なにより目を惹くのは、左胸で開きかかったトラユリの蕾と。  その右目に咲いた、ヒマワリの大輪だった。 「──ああ、来てしまったのか」  掠れた声で花霞が呟く。意識があるのが不思議なくらい花に侵食されているというのに、その左目はしっかりと燕の姿をとらえていた。  燕が記憶を取り戻すことも、そしてここにやってくることも、花霞は覚悟していたようだった。覚悟したうえで、迎えてしまった現実に絶望しているようだった。小さな口から漏れる呼吸はか細く、不安定で、彼の命がもう残り少ないことが燕にもわかってしまった。 「君はもうすぐ死ぬのか。それとも、怪物になってしまうのか」  燕が問うと、そのどちらもだと花霞が薄く微笑む。 「だから、君には会いたくなかった」  その言葉は、だから君に恋をしたくなかったのだと暗に語っているようにも聞こえた。  
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