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返事は保留にしてもらったが、思い返してはドキドキした
浮かれ気分で昼休み中に届いたメールをチェックしていると、多数の未読メールの中に、珍しい差出人を見つけた
差出人は安斎
内容は、今晩の食事のお誘いだった
(千円でこんなにご利益あっていいもの?!)
芦花はニマニマしながら何度もメールを読み返した
安斎は、篠崎とはまた違った魅力のある大人の男性だ
きっと楽しい時間になるにちがいない
だが、相手は管理職である
自分ごときが食事を共にして、間が持つだろうかと逡巡していると、
「藤堂くん」
振り向くと、南出が心配そうに芦花を見ていた
「何か唸ってたけど、大丈夫?」
「いえ、あの、仕事ではないんですけど‥」
芦花は、安斎から食事に誘われたことを南出に打ち明けた
「行きたいんですが、安斎さんに誘われる理由がいまだにわからなくて‥」
「あはは。そんなの藤堂くんを落としたいからに決まってるじゃん」
「え?!え?!」
「そんなにおかしくもないでしょ。僕もソッチだし」
南出が事も無げに言った
突然のカミングアウトも、それをあっけらかんと話す姿にも目が回りそうだった
「‥そんな大事なこと、俺に教えて大丈夫なんですか?」
芦花が心配して聞くと、南出は
「君が勇気を出せるなら」
とウインクした
※※※
【昨日は楽しかった。また誘ってもいいかな?】
安斎からのラインを受けて、芦花は通勤バスの中だというのに、顔のにやけを止められなかった
南出に背中を押されたこともあって、芦花は昨日安斎と食事を共にした
安斎はたまに思わせ振りな態度を取ってきたが、あくまでも紳士的で、常に芦花が居心地悪くならないようリードしてくれた
「おはようございます‥っと」
早速返信を打っていると、
「やけにご機嫌だな」
いつの間にか隣に立っていた上佐野がジロリと芦花をにらんだ
「酒臭い」
「あ、昨日会社の人と飲みに行ってー」
「俺との話は中途半端なままで?男に戻ったからって浮かれてんな」
あまりにひどい言いように、芦花は無性に腹が立ってきた
「上佐野さん、申し訳ないんですが、俺はあなたのこと存じ上げていないんです。だから‥あれ‥?いま男に戻ってって‥」
芦花はハッと上佐野を見上げた
上佐野の顔を見た瞬間、芦花は心臓がえぐられるかと思った
上佐野は、まるで今しがた恋人に振られたかのような、暗く絶望的な目で芦花を見つめていた
「ごめ‥」
芦花が謝ろうとすると、上佐野は
「会社終わったらメールくれ」
そう言い残すと、混んできたバスの中を奥へと移動していった
※※※
仕事を終えてエントランスホールに出ると、上佐野が待っていた
上佐野は会社に程近い路地裏にある小さな蕎麦屋に芦花を連れて行った
「カレー南蛮がうまいんだ。藤堂、好きだったろ?」
「どうしてそれを‥」
「知ってるよ。3年もつるんでたんだし。本当に何も覚えてないんだな」
上佐野は朝とは別人のように穏やかだった
二人は揃ってカレー南蛮を頼んだ
「性別の話だろ?」
オーダーを取りに来た店員が離れていくのを見てから上佐野が言った
「『男に戻った』って、あれは一体どういう意味ですか?」
芦花は1日そのことばかり考えていたが、答えは出なかった
上佐野はそば茶が入った湯飲みで手を暖めながら、
「そんな大事なことも忘れちゃったのか」
と悲しそうに呟くと、
「お前は元々男じゃないか。女になっていたのがおかしかったんだよ」
と言った
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