5

1/1
前へ
/5ページ
次へ

5

 窓の外で雀が囀っている。心地良い眠りが襲って来る。 「バカか、お前は」  真っ白な病室で転寝をしていると、誰かに頭を叩かれた。  顔を顰めて目を開ける。そこには、警察官の先輩、城田が立っていた。 「初っ端から大騒動かよ」 「城田さん」 「だから言ったろ、お前みたいなタイプは一番に死ぬって」 「いやあ、死んでませんよ」 「怪我してるじゃねえか、このアホ」  指摘されて、「まあ、そうですけど」と返す。  交番勤務初日の出勤途中、路線バス内の事件に遭遇した章太は、肩を十数針縫う怪我をした。それ以外に大きな負傷はなかったが、念の為に一日入院をする事になってしまった。しかし、今日の午後には退院し、明日は通常通りの出勤だ。  バス内で暴れていた男は、アルコール依存症だった。仕事がなくなり、自暴自棄になっていたらしい。そこで、些細な事からバスの運転手と喧嘩になったのだ。  運転手は、男に絡まれた弾みで、ガードレールにぶつかる事故を起こした。その際、胸部を強く打ち付けて肋骨骨折。章太が奮闘している時も、身動きが取れなかったようだ。  章太は、椅子に座った城田を見た。相変わらず眉間に皺を寄せているが、わざわざ病院に赴いてくれたのだ。見舞いに来てくれたのだろう。  城田が言った。 「お前、素手で戦ったらしいじゃねえか」 「はい、まあ」 「警棒とかあっただろ」 「それが、鞄の中にしまってたんですよ。鞄は原付に置きっぱだったし」  正直に話すと、城田が溜息を吐いた。 「だから、そういうところが駄目だっつってんの」  言い返す言葉もない。確かに、警棒や銃を持っていたら、戦い方も変わっていただろう。 「そもそもな、お前は暴走し過ぎ」 「そうですかね」 「あのな、まだ新人のお前は知らないだろうけど、人質の立て篭もり事件には魔の四十五分ってのがあるんだよ」 「四十五分?」 「事件を起こした人間ってのは、極度の興奮状態が四十五分続くって言われてんだよ。その時は何やってもヤケクソ起こす可能性があるから、こっちも下手に触らない。ちょっとした話をして時間稼ぎするんだよ」 「へえ、そうなんですか」 「まあ、状況にもよるけどな」  言われる通り、今回は少年に怪我がなかったから良かったが、もし最悪な事態が起きていたら大変な事だ。男が激昂して、大惨事になっていた可能性もある。後になって考えると、反省点しかない。  黙っていると、城田が紙袋を投げてきた。 「何ですか、これ」 「差し入れ」  見てみると、雑誌だった。成人男性向けなのだろう、裸の女性があらゆるポーズをとっている。 「これがですか?」 「刑事課の伝統なんだよ。それ見て元気出せっていうな」  そんなものなのかと納得しつつ、ページを捲る。どこを見ても艶かしいシーンばかりで、ついどきりとする。  章太は「あの」と前置きし、雑誌を閉じた。 「江原さんは今回の俺の事、知ってますかね?」 「そりゃ知ってるよ。すぐ無線で連絡入るし」 「何か言ってました?」  憧れの刑事がこの度の騒ぎをどう評価しているのか気になり、問うてみる。  城田は目を細めた。 「なに。お前、江原さんが気になるの?」 「はい」 「何で」 「格好いいじゃないですか。いつもクールで仕事出来て」 「そうかあ?」 「そうじゃないんですか?」 「いや、まあそうなんだけど」  特に否定する気もないらしい城田が頷く。  章太は続けた。 「理想の正義のヒーローなんですよ」 「へえ」 「俺も、ああいう刑事になりたいんですよね」  いつも淡々として、そつなく仕事をこなす。しかし、熱い思いを秘めた、芯のあるヒーロー。  章太は、その姿に憧れている。たとえ今の自分がそれとは掛け離れているとしても、いつか近付きたい。そして、市民から頼られる存在になるのだ。 「お前さ」 「はい?」 「警察法二条、覚えたのかよ」  将来の自分の姿を思い浮かべていると、城田が現実へと引き戻してきた。 「ああ、えーと」 「だから覚えとけっつったろ」 「いや、いつも急だから」  言い訳をすると、また城田に睨まれる。  その時、城田の胸ポケットに入れた携帯電話が振動した。 「噂をすれば」  城田が電話を見て呟く。江原からメッセージが届いたらしい。 「何かあったんですか」 「いや。今日の昼飯はどうするんだ、って」  「ほれ」と見せてくれた電話の画面には、確かにそう書かれていた。  そういえば、もうお昼時だ。病院内の昼食も、そろそろ運ばれて来る頃だろう。 「まあ、でもな」  椅子から立ち上がり、城田が言う。 「ただの野球坊主から、警察官になったんじゃねえの」 「え?」 「みんなを守る、正義のヒーローってやつにな」  先輩刑事が、僅かに笑う。 「警察法二条も、簡単に言えばそんな仕事だ」  そして、背を向けて手を上げた。  「頑張れよ、変身したてのヒーロー」という言葉を、付け加えながら。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加