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5
窓の外で雀が囀っている。心地良い眠りが襲って来る。
「バカか、お前は」
真っ白な病室で転寝をしていると、誰かに頭を叩かれた。
顔を顰めて目を開ける。そこには、警察官の先輩、城田が立っていた。
「初っ端から大騒動かよ」
「城田さん」
「だから言ったろ、お前みたいなタイプは一番に死ぬって」
「いやあ、死んでませんよ」
「怪我してるじゃねえか、このアホ」
指摘されて、「まあ、そうですけど」と返す。
交番勤務初日の出勤途中、路線バス内の事件に遭遇した章太は、肩を十数針縫う怪我をした。それ以外に大きな負傷はなかったが、念の為に一日入院をする事になってしまった。しかし、今日の午後には退院し、明日は通常通りの出勤だ。
バス内で暴れていた男は、アルコール依存症だった。仕事がなくなり、自暴自棄になっていたらしい。そこで、些細な事からバスの運転手と喧嘩になったのだ。
運転手は、男に絡まれた弾みで、ガードレールにぶつかる事故を起こした。その際、胸部を強く打ち付けて肋骨骨折。章太が奮闘している時も、身動きが取れなかったようだ。
章太は、椅子に座った城田を見た。相変わらず眉間に皺を寄せているが、わざわざ病院に赴いてくれたのだ。見舞いに来てくれたのだろう。
城田が言った。
「お前、素手で戦ったらしいじゃねえか」
「はい、まあ」
「警棒とかあっただろ」
「それが、鞄の中にしまってたんですよ。鞄は原付に置きっぱだったし」
正直に話すと、城田が溜息を吐いた。
「だから、そういうところが駄目だっつってんの」
言い返す言葉もない。確かに、警棒や銃を持っていたら、戦い方も変わっていただろう。
「そもそもな、お前は暴走し過ぎ」
「そうですかね」
「あのな、まだ新人のお前は知らないだろうけど、人質の立て篭もり事件には魔の四十五分ってのがあるんだよ」
「四十五分?」
「事件を起こした人間ってのは、極度の興奮状態が四十五分続くって言われてんだよ。その時は何やってもヤケクソ起こす可能性があるから、こっちも下手に触らない。ちょっとした話をして時間稼ぎするんだよ」
「へえ、そうなんですか」
「まあ、状況にもよるけどな」
言われる通り、今回は少年に怪我がなかったから良かったが、もし最悪な事態が起きていたら大変な事だ。男が激昂して、大惨事になっていた可能性もある。後になって考えると、反省点しかない。
黙っていると、城田が紙袋を投げてきた。
「何ですか、これ」
「差し入れ」
見てみると、雑誌だった。成人男性向けなのだろう、裸の女性があらゆるポーズをとっている。
「これがですか?」
「刑事課の伝統なんだよ。それ見て元気出せっていうな」
そんなものなのかと納得しつつ、ページを捲る。どこを見ても艶かしいシーンばかりで、ついどきりとする。
章太は「あの」と前置きし、雑誌を閉じた。
「江原さんは今回の俺の事、知ってますかね?」
「そりゃ知ってるよ。すぐ無線で連絡入るし」
「何か言ってました?」
憧れの刑事がこの度の騒ぎをどう評価しているのか気になり、問うてみる。
城田は目を細めた。
「なに。お前、江原さんが気になるの?」
「はい」
「何で」
「格好いいじゃないですか。いつもクールで仕事出来て」
「そうかあ?」
「そうじゃないんですか?」
「いや、まあそうなんだけど」
特に否定する気もないらしい城田が頷く。
章太は続けた。
「理想の正義のヒーローなんですよ」
「へえ」
「俺も、ああいう刑事になりたいんですよね」
いつも淡々として、そつなく仕事をこなす。しかし、熱い思いを秘めた、芯のあるヒーロー。
章太は、その姿に憧れている。たとえ今の自分がそれとは掛け離れているとしても、いつか近付きたい。そして、市民から頼られる存在になるのだ。
「お前さ」
「はい?」
「警察法二条、覚えたのかよ」
将来の自分の姿を思い浮かべていると、城田が現実へと引き戻してきた。
「ああ、えーと」
「だから覚えとけっつったろ」
「いや、いつも急だから」
言い訳をすると、また城田に睨まれる。
その時、城田の胸ポケットに入れた携帯電話が振動した。
「噂をすれば」
城田が電話を見て呟く。江原からメッセージが届いたらしい。
「何かあったんですか」
「いや。今日の昼飯はどうするんだ、って」
「ほれ」と見せてくれた電話の画面には、確かにそう書かれていた。
そういえば、もうお昼時だ。病院内の昼食も、そろそろ運ばれて来る頃だろう。
「まあ、でもな」
椅子から立ち上がり、城田が言う。
「ただの野球坊主から、警察官になったんじゃねえの」
「え?」
「みんなを守る、正義のヒーローってやつにな」
先輩刑事が、僅かに笑う。
「警察法二条も、簡単に言えばそんな仕事だ」
そして、背を向けて手を上げた。
「頑張れよ、変身したてのヒーロー」という言葉を、付け加えながら。
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