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「おい、マジかよ」  山崎中央署で偶然再会したのは、幼い頃に近所に住んでいた、五歳年上の城田真司だった。城田は、章太を見るなり、あからさまに怪訝な顔をした。 「あー、真司くん」 「いやいや。城田さん、だろ。昔の名残のまま呼ぶなよ」 「はあ、すみません。城田さん」  警察学校を卒業した警察官の最初の配属、「卒配」の場として章太に選ばれたのは、県内でも大きな山崎中央署だった。山崎中央署の管轄は広い。民家が密集している住宅街から、山々が連なる田舎の方まで拡がっている。市民も多い分、多忙を極める署として有名だ。  そこで働いているのが、城田だ。警察官になったという話は、近所の噂で聞いていた。どうやら最近、刑事にステップアップしたらしい。いつか会う事もあるだろうと思っていたが、新人警察官が最初に課せられる卒配先の署内研修、その初日に会うとは流石に思っていなかった。  章太は、昔からの知り合いに会えて嬉しかったが、城田はそうでもないようだ。眉を寄せたまま、表情を崩さない。 「お前が警察?」  訝しむように言われ、「はい」と応える。 「なっちゃいました」 「いや、何で」 「何で、といいますと?」 「何でお前みたいな野球バカが警察なんだ、って言ってんだよ。何処か適当な会社に入って、草野球を続けるようなタイプだろ。そもそもお前、格闘技系習ってたか? 警察官は危険が伴うの、分かってんの?」  城田が言うように、章太はいわゆる野球少年だった。小学校からスポーツ少年団に加入し、そのまま中学、高校と部活で続けてきた。  野球以外の運動はしていない。格闘技、例えば空手や柔道経験者であれば、警察の中でも重宝される。実践でその経験が生きる。実際、城田も剣道をしていた。  だが、章太とて長く野球を続けてきたのだ。体力には自信がある。  章太は胸を張った。 「大丈夫です。野球で棒の扱いには慣れてます。これからは、剣道でもやりますよ」 「いや、そういう安直な考えが駄目なんだよ。バットと竹刀は違うから」  城田は盛大に溜息を吐いた。章太の軽易な発言に呆れているようだった。  すると、刑事課の部屋から、また違った男性が顔を出した。 「城田、昼飯は?」  その男性が言うと、城田が振り返り、「江原さん」と呼ぶ。  目つきが鋭く、黒髪を後ろに流している。山崎中央署の刑事、江原。  その人物を目にし、章太はぴんと背筋を正した。 「お疲れ様です!」  野球部仕込みの声で挨拶をする。廊下に、大きな声が響き渡る。  章太は、この江原という刑事を知っていた。むしろ、この人物こそ、警察官を目指した理由なのだ。  章太が高校二年生の、ある日の事だ。将来の夢もなく、進路先を考えあぐねていた頃だ。そこで、街中の商店街で見掛けてしまったのだ。この江原という男が、暴れていた屈強な輩を華麗に制圧する、その瞬間を。  それはさながら、特撮映画を見ているようだった。見事なまでの逮捕劇に、当時の章太に稲妻が走った。  子どもの頃にテレビで見ていた、正義のヒーロー。どんなに強い敵にも負けず、市民を守る英雄。  江原を切っ掛けに、章太の中で幼き頃の夢が色鮮やかに蘇った。忘れていた感情が湧き上がってきた。  自分が進むべき道は、きっとこれだ。  そう思って以降、章太は警察官を目指し、頑張る事にした。江原の名前も、その逮捕の瞬間に居合わせていた商店の店主に聞き、しっかりメモしておいた。  憧れの人物を目の前にし、章太の胸は高鳴っていた。出来ればここで、顔を覚えておいて欲しい。  章太は勢いよく頭を下げた。 「江原さん、自分は赤枝章太といいまして、ただ今、山崎中央署で研修中です。よろしくお願いしゃす!」  嬉しさの余り、声が僅かに上擦った。顔がかっかと火照る。  江原は、元より細い目で、静かに言った。 「ああ、そう」  この淡々とした物言いが、益々格好いい。章太は感動に打ち震えながら、熱い視線を送った。  だが、間に入っていた城田が「江原さん」と、二人を遮る。 「こいつ、俺の地元の後輩みたいなもんなんですけど。どうやら警察官になっちまったみたいで」 「そうか」 「でも、単純バカなんで、向いてないと思うんですよ。絶対に一番に突っ込んで死ぬタイプで」 「ふうん。お前みたいだな」  相変わらず章太をけなす城田に、江原が冷静に返す。  章太は、ぐいと一歩前に出た。 「あの、江原さん。自分、刑事になりたくて」 「へえ」 「それで、これから一生懸命やっていくので、どうぞお願いします」  再度、深く礼をした。自分のやる気を見て欲しい。あわよくば、いつかこの上司直々に教えを請う日が来たら良いとも思う。  しかし、城田は章太の事をどうしても認めたくないらしい。また苦々しく口を挟んできた。 「やめとけ、刑事なんて」  吐き捨てるように言う。  章太はむっと口を尖らせた。 「そう言う城田さんも刑事じゃないですか」 「刑事には適正ってものがあるんだよ。お前じゃ無理」  城田が手を左右に振る。そのやりとりに飽きたのか、江原が踵を返した。 「もういいだろ。城田、飯行くぞ」  それだけ言って立ち去る上司に、城田もすぐに「はい」と返事をする。そして、江原を追いかけようとして、ふと章太を振り返った。  その目が、じっと章太を見詰める。 「おい、章太」 「はい」 「警察法、第二条」 「は?」 「言ってみろっつってんの」  城田が人差し指を立てる。 「分かんねーのかよ」 「あー、急に言われたので」 「はあ? 本当にバカかよ」  城田が、今日何度目か分からない皺を眉間に寄せた。 「警察は、個人の生命、身体、及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧、及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取り締まり、その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもって、その責務とする」  すらすらと暗唱した城田に、章太も「ああ」と頷く。  そうだ、そのような条文だった。警察学校で嫌というほど叩き込まれた筈が、つい出てこなかった。卒業と同時に忘れていた。 「警察の仕事をする上で、一番大事な条文だ。刑事云々言う前に、警察官の責務とは何か、脳みそに叩き込んどけ」  それだけ言って、城田は江原の後を追いかけて行った。その後ろ姿が、ひどく羨ましかった。
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