彼の、事。

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そして、今日。 あれから一週間振りに、永倉二葉に会う。 夕べ、今日空けておけと電話があった。 ちょうど15時に、そのマンションの前に見覚えのある黒いベンツが止まる。 私は、そのベンツの助手席ヘと乗り込んだ。 今日は英二は居なくて、永倉二葉が自ら運転している。 それで、このベンツはこの人のものだったのか、と知る。 「どうだ? 何か不便はあるか?」 ベンツを走らせ少しするとそう訊かれ、 何に対しての質問なのかと一瞬考えたけど。 「いえ。綺麗なマンションで快適ですよ。 駅からも近いですし、前の家からも1駅しか離れてないので、この辺りの土地勘もありますし。 まだ一晩しか過ごしてないですけども、不便は無さそうです」 多分、新しい住まいについて訊かれているのだろう。 築浅のマンションで、家電も最新のものばかりで。 リビングの大きなテレビに、高そうな黒い皮のソファー。 ヤクザって、そんなに稼げるのだろうか、とその横顔を探るように見る。 「なら、良かった」 そう言って、タバコに火を点けて吸い出した。 多少、気を使ってくれたのか、運転席の窓が少し開けられた。 「前に言ったように、今日からうちの店で働いてもらう」 「…はい。 けど、私にキャバクラなんて勤まるのでしょうか?」 「それは、知らねぇけど。 稼いで貰って、返すもん返して貰わないとな」 この人に、一千万円返す。 何で私が父親の借金を…と思うけど。 その借金のおかげで、とりあえず私と弟は住む所には現在困らなくてすんでいる。 「…私、大学を辞めました。 だから、一杯働きます」 私は覚悟を決めて、大学に退学届けを出した。 大学を辞めた大方の理由は、この先学費が払えないからだけど。 全てを無くして、新たな人生を生きる、と決めたから。
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