BACKDOOR

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 彼はいつも猟銃のスコープを覗く。獲物は一匹のうさぎ。朝露が溶ける時間帯、柔らかな朝日を浴び、軽やかに跳ねるうさぎを狙っていた。  私の瞳が、彼の瞳と重なる。スコープを覗いているのは私の瞳だ、と思ってしまうほど、鮮明な映像が映し出された。スコープの中、その中心に存在するうさぎはこちらに気付かない。風が無くなれば(かり)は成功する。うさぎの存在、天気の存在、すべてと呼吸があい、猟銃の引き金を引けば……。けれど、彼はスコープから目線を外す。射程内から外れていくうさぎを自身の瞳で追うだけ。  研ぎ澄まされていた脳は徐々に穏やかになっていく。 「……またか」  これが(あおい)くんのルーティンだ。  プログラミングされたコンピューターから指令が出される。リダツシヨウトシテイマス、という文字に許可の指示を出す。コンピューターの中には彼が見た映像と俯瞰的な映像両方が映し出されている。  彼、黒川蒼くんのおかげで映像を増やすことに成功した。より脳が作り出す世界を観察することが出来るのではないか、という彼からの提案だ。簡単に言ってくれたがそれを作り出すのは至難の業だった。いまも微調整の真っ最中。  繭の中から出てきたトラベラー。無事に帰還した蒼くんをひとめ見る。今のトラベルを思い出すように左下に目線を向ける。……左下に視線を向ける時は、一般的に考え事をしていることの表れ。 「幾分かマシになりました。だけど、木々の中に一瞬バグを発見しました。歪み……」 「どこ?」  繭から出てきた彼は私のパソコンを見つめた。蒼くんが見た映像を見直すと、たしかに朝日に照らされた森に歪みが入っている。  改善が必要だ。脳の威力を感じる。細胞が2つに割れ、人間が出来上がりその人間がコロニーを作り上げ、人間は様々な道具を作り出す。その人間が作り出した道具が、人間の体を正しく把握できるのはいつなのか。 「それにしても、なぜいつも朝か夜なの?」 「だって俺の生活では朝と夜に森に行けないから」  にっこりと微笑む蒼くん。女の子にモテそうなその優しい笑みが私に向いている。彼は随分と私の前で砕けはじめていた。人懐っこい表情は会った日から変わらなかったけれど、そこに人たらしの匂いを感じはじめている。  翔が首筋にキスマークをつけて帰ってきたのを思い出してしまった。蒼くんの話だと女の子にモテているらしい翔。あらかた予想はしていた。私の夫の、息子だから……。息子から香る女の匂いに嫌悪感を抱いてしまったのは、母親としての本能だろうか。  だが、近寄る蒼くんから匂う彼自身の、彼の体臭にはあまり気にならず、寧ろ良い香りとまで思ってしまっている。これがなにを意味するのか、いまは考えたくない。 「軽率にあちら側に行けないものね」 「VR(仮想現実)の世界で、自然は脅威だと発言している人と自然を守ろうと主張する人との喧嘩を見ました」 「おもしろそう」  皮肉的に呟いてしまったその一言。私の今の脳は嫌らしいものだろう。けど、蒼くんはくすり、笑ってくれた。私の黒く醜いとされてきた部分を深く理解してくれるのは、今や蒼くんだけだ。  人間社会の発達と共に、自然界との分断は激しさを増した。田畑を荒らされていた人間の怒りと、元々の自然を壊されていく動物の怒り。分かり合えないふたつの世界は、いまやテリトリー分けをされている。しっかりとした領土分け。  自然界の法則性が破壊されていないか調査出来る限られた人間だけ、昼間に森へ入ることが出来る。ふたつの世界は交わることなく、どうにか生存している。 「さて、遊びは終わり」
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