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「持田さんてさ、押しが強すぎるよね。」
帰り支度を整えて店から出ようとする倉谷君がまたぼそりとつぶやいた。
「えっ、商売上手ってことかな?ありがとう!」
「いやポジティブすぎるよ。褒めてないよ。」
倉谷君がついにチャーハンを食べてくれたことで超絶ご機嫌な私は完全に舞い上がっていた。
今日初めて私のチャーハンを口にした倉谷君は美味しい、と呟いたあと「なんかムカつくな。」と笑った。
ほっと気の抜けたような笑顔に熱々の料理で上気した少し赤い頬。
倉谷君、ごめんなさい。
私はただ、倉谷君が私のチャーハンを食べて笑うのを見たかっただけなのかもしれません。
また初めて見る倉谷君の表情を見ながら、綺麗すぎるエゴの正体にようやく気づいた。
店の厨房に立って数年、こんな気持ちになったのは初めてだった。
そんなことを思い返しつつ、そわそわと持て余す心を抱えながら倉谷君を見送りに一緒に店の外に出た。
空は日が沈む寸前で、強火の熱気に当たり続けた頬にひんやりとした風が心地よかった。
倉谷君が自転車のロックを外す姿を見ながら、なるべく明るく告げる。
「でも今日は本当、押し通したって感じだったよね。ごめんね、倉谷君。」
倉谷君はちょっとびっくりしたのか、自転車のスタンドに足をかけようとしたのを止めて振り向いた。
「・・・なに急に。別に結局注文したのは俺だし。」
倉谷君の言葉は突き放しているようで、中身は温かい。
短く溜め息を吐きながらすぐに視線を自転車に戻す倉谷君は、いつもの冷めた印象とは少し違って見えた。
倉谷君って本当はすごく優しい人なんじゃないかな?
今日何度もさりげなく見え隠れする優しさが掠めるように心をくすぐる。
「ほんとにもう、どうしてここまで私のチャーハン嫌がるのかなーって謎ではあったけどね!」
今日のことが笑い話になるように冗談ぽく笑い飛ばす。明日からもお互い気を遣わないように。
すると倉谷君は不意に告げた。
「俺の家さ、ケーキ屋なんだよね。」
「え、そうなの!?」
突然すぎる衝撃の事実に素直に驚いたけど、倉谷君はそんな私を気にすることなく続ける。
「ケーキ作ってたまに店にも出してるんだけど、可もなく不可もなくっていうか。華のある味ってわけでもないし。それならって奇を衒って独創的なアイデアに挑戦してみてもやっぱり平凡で。全部中途半端で。」
上気していた倉谷君の頬はいつの間にかいつものように白い。
「そしたら持田さんは自分のチャーハンは看板だしめちゃくちゃ美味しいよ!って自信満々で勧めてくるじゃん?めちゃくちゃかっこよく見えて。」
すごいよね、と一息に話す倉谷君は少し笑っていたけど言葉を続けるほどに小さくなっていくようだった。いつもの伏目も心なしか沈んで見える。
そんな倉谷君を見ながら、私は思わず声を出していた。
「・・・そんなことないよ。」
え?と聞き返すように倉谷君が顔を上げる。
私はそんなに立派じゃない。褒められる所なんて無い。
だから。
だから、そんなに自分を傷つけないで倉谷君。
「私、お店に出るの本当は嫌なんだよ。もっと友達と遊びたいし。チャーハン作るのもいつも渋々でさ、なんで私がってそればっかり。」
懺悔をするように言葉は止まらない。
「でも、最近は倉谷君に食べたもらいたいって頑張ってたんだよね。前よりチャーハンが美味しくなるように色々試したり。そしたらお客さんに美味しいねって言ってもらえることも増えて。でも、そうやっていざ頑張れたのって結局今までの積み重ねがあったからこそで。」
何が言いたいんだ私は。そうじゃなくて。
真摯に家業に向き合う倉谷君に私みたいな不真面目者の言葉が響くかどうか自信は無かった。
でも、倉谷君の傷ついた顔はこれ以上見たくない。その一心で言葉を続けた。
「中途半端な中でもこれだけは頑張ってみようかなって思う時が来ると思うんだよね。だから、今はその時のための準備期間というか下積みというか。その時が来れば中途半端でも何でも続けてて良かったなって思えるというか・・・」
話す途中からどんどん自信を無くし始める。いやいや、ここでめげるな。
「とにかく、倉谷君がどうしても嫌になったら私がクッキーでもチャーハンでも何でも作るし!話だって聞くし!また頑張れるように力になるよ!」
はは、とダメ押しのように乾いた笑いを漏らす私を見て倉谷君はぷっと吹き出した。
「ありがとう、持田さん。」
こんな勢いだけの回答でも受け入れてくれる倉谷君はやっぱり優しい気遣い屋さんだと思う。
倉谷君は限界であろう私を察してさりげなく話題を変えた。ほらね、私とは大違い。
「それにしても持田さん、鉄鍋振るの上手だよね。もうプロみたい。」
「・・・そりゃもうチャーハンばっかり作ってますから。ご存知の通り、全身からチャーハンの匂いが漂ってますし?」
少し自嘲気味に答えた。茶化し待ちをしていたのに倉谷君は何も言って来ない。おかしいな。
チラリと倉谷君を見るといつもの伏目を真っ直ぐこちらに向けていた。綺麗な茶色の瞳に胸がざわつく。
「・・・いいじゃん、チャーハンの匂い。甘ったるい匂いがするよりさ。」
そう言いながら倉谷君は髪に顔を寄せてきた。頭の横でスンと微かに鼻を鳴らす音がする。
急に近づいた倉谷君の体で秋風が遮られ、すっかり冷えた頬には倉谷君の体から漂う柔らかな温かさを感じた。
顔を戻した倉谷君とそのまま目が合う。意外と背が高いな。こんなに見上げなきゃいけないなんて。
いやいや、今はそこじゃない。頭の中は散らかり始めている。
倉谷君は視線を外すことなく、そのままささやくように呟く。
「うん、美味しそう。」
微かに笑った口元と細められた目は、店でも学校でも見たことのない表情だった。
声はしっかり中まで火が通っているように温かい。
倉谷君ってこんなに柔らかい雰囲気だったっけ?
甘い香りが漂ってくる気がする。甘くて温かくて心地良い。まるで焼きたてのスイーツのような。
倉谷君、と名前を口に出しかけた時、倉谷君はそのままニヤリと悪戯っぽく笑った。
「さすがチャーハンガール。」
「誰がチャーハンガールだよ!!」
反射的にキレキレのツッコミが出ていた。
乙女チックモードに入りかけてた私、取り消し!不覚にもドキドキした私、恥ずかしい!!
倉谷君はツボに入ったのか、ケラケラと笑っている。
人の気も知らないで。こっちはこんなにドギマギしたのに。
温まり始めていた乙女心は突然強火で炒められて、真っ黒に焦げつきそうだった。
もー!なんて怒ったように返しながらも、目にうっすら涙を浮かべながら笑う倉谷君から目が離せない。
思い切り笑った顔もいいな、なんて。
ひとしきり笑った後、倉谷君は満足したように自転車に跨って思い出したように切り出した。
「そういえば持田さんさ、手作りのクッキーを持ち出すのは結構重いからやめといた方がいいよ。」
普通にひどくない?倉谷君、いきなり調子戻しすぎじゃない?
「・・・はあい。」
いつもならムキになって言い返す所だけど、素直に返事をしてしまった。
今日は感情の強弱がありすぎて色々追いつかない。
別に誰にでも渡すわけじゃないし。倉谷君だから渡そうと思ったんだし。
でも、なんで倉谷君だから渡そうって思ったんだっけ。
そこまで考えて、倉谷君の声に引き戻される。
「じゃあまた学校で。」
「あ、うん。また学校で。」
思わず別れの挨拶を返すと倉谷君はペダルに足をかけ、自転車を漕ぎ出した。
何故か引き止めたい衝動に駆られ、そんな小さな焦りを言葉にして投げかける。
「またチャーハン食べに来てねー!」
ぐいと離れていく背中に向かって叫ぶと、倉谷君は少し振り返って片手を上げた。
今日の感情は火加減がめちゃくちゃだ。
“美味しそう”なんて人に言うセリフじゃない気もするけど、想像の中の誰かに言われる“可愛い”よりずっと胸がざわつく。
全く、倉谷君の気まぐれはタチが悪い。
でも。まだ早い鼓動を感じながら思う。
気まぐれじゃなかったら良かったのに。
どうしてそう思うのか、深い意味を探り出したくなる衝動は妙に心地良い。
むずがゆいような焦れるような、不思議な高揚感を抱えたまま店に戻った。
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