エラーメッセージ

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エラーメッセージ

 今、どこにいますか。  ツー、ツーという電子音のその先へ、メッセージを送る。  この惑星の衛星軌道に乗っているだろう宇宙艇に、メッセージを送る。  何度、このメッセージを送ったろうか。メッセージが届かない位置を飛んでいるのか、返信があった試しは、一度もない。返ってくるのはいつも、不快ともとれるエラー音と、無機質な音声案内だけ。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  何度その音声を鳴らしたろうか。  いまだに、連絡はとれない。向こうからの連絡も、ない。  思い返しただけで、ため息を吐きたくなる。  悪態を吐きたくなる。  それをぐっとこらえて、空を見上げた。  ガラス越しに見えるその(そら)は、赤黒い色をしていた。黒緋(くろあけ)色とでも言うのだろうか、夕焼けの遠ざかった空のような色が、一面に広がっている。ここに来てから、地球時間であれば二日は経っているが、その色はあまり変わっていないようだ。   ここは、人類の暮らす太陽系から遠く離れた、○○××銀河系の中の惑星だった。  あたりを見渡しても、人工物はおろか、人っ子一人、虫の一匹、草の一本も生えてはいなかった。  荒野である。  赤い、赤い荒れた地面がどこまでも続いている、乾ききった荒野であった。  地球にある本社からの指令を受けて、この星へと調査にやってきたが、どうやら無駄足だったらしい。  およそ、生命の生きていける環境ではない。少なくとも、地球由来の生命体にとっては。  大気における酸素の含有量は、およそ三パーセント。周囲に水は見当たらず、放射線量も危険な値を優に超えている。それこそ、宇宙服を着たままでなければ活動できないほどに。  重力も地球よりは強いだろう。関節にかかる荷重は地球のそれとは明らかに違い、動作をするたびに、ギシギシと嫌な音を立てている。  どうせ調査に来たのだからと、この星に放り出されてから二日間、消耗を抑えつつ活動できる範囲で周囲の調査を行ってきたが、生命の気配の一片も見つけることはできなかった。そのうえ、その活動範囲内では、有用な資源を見つけることもできなかった。  ないことがわかったのは、まったくの無駄足とは言えないのだろうが、しかしそれでは収支が合わない。  ここに来るまでの渡航費の話ではない。  宇宙船が、故障したのだ。  機器の不具合だったのか、整備不良なのか、もしくはこの惑星による何かの影響なのか。船が墜落してしまった今となっては、もはやどこの故障が原因でそうなったのかはわかりようがないし、わかったとしても、もう意味はない。それより重要なのは、墜落前に船員が乗って脱出した小型宇宙艇だ。  もともとの計画は、こうだった。  まず、最初に乗ってきた宇宙艇で惑星の円軌道に乗る。そして、そこから調査艇に乗り込んで、着陸。しばらく調査を行った後に脱出し、再び船に戻り帰還する。  それが結局、宇宙船の故障により、船員は皆小型艇に避難。しかし、小型艇を出すには宇宙船側の操作も必要で、つまり誰かが、落ち行く宇宙船に残らなければならないということで。  そして、宇宙船と一緒に落ちてきたのだ。  頭脳回路をフルで回転させて、いかに宇宙船が墜落した際の衝撃を抑えられるかに全力を注いだおかげで、墜落即爆発四散は免れて、何とかこうやって活動できている。  しかし、このままでは、いずれ――。  メッセージを送り続けているのは、それが理由だ。このまま現状維持では先が見えているし、できれば調査艇が無事であってほしいと思う。それに、調査艇さえ無事であれば、もしかしたら助けに降りてくれるかもしれないし、どこかに助けを呼ぶことができるかもしれない。  そう、メッセージさえ届けば。  あの艇には、小さいころから知っている船員が乗っている。彼が無事であれば、メッセージを見逃さないはずだ。  そんな希望を砕くように、音声案内が鳴る。  やはり、今回返ってきたのも、予測できるものであった。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  とても悲しく、不安になった。  墜落しない軌道に乗れたのだろうか。乗れていたとしても、それがどの軌道なのかわからなければ、こちらからいつ頃に通信が届く位置に来るのかは計算できないから、定期的にメッセージを送る以外、できることはなかった。  期待を込めず、メッセージを送る。  今、どこにいますか。  ツー、ツー、という電子音のその先へ、メッセージを送る。  返答は、まだ来ない。      三日目になった。  依然として、連絡はとれていない。  積み重なったメッセージエラーの文言は、もはや心を折るには十分以上の数になっていた。  それでも、定期的にメッセージを送り続ける。きっと、動けなくなるまで、ずっと。  もう、無駄なエネルギーを使うわけにはいかない。周辺の調査を行えるだけの余力もない。それほどまでに、追い詰められていた。  ガラス越しに、空を見上げた。  どうやら、この星にも夜はあるらしい。  ずっと似たような赤黒い色だが、ゆっくりと、明るく、そして暗くなっていくのが、(そら)を仰いでいるとよくわかる。色味があまり変わらないのは、滑らかな雲が隙間なく空を覆っているからだろう。赤黒い雲のその向こうの空が、何色に変化しているのかは、わからない。  何を馬鹿な。  調査前に、漏れなくインプットしていた情報を、何をいまさら知ったかのように思考しているのか。情報と体験は違うとは言うが、しかし、今ここで考えて有益な情報でないのは明白だろうに。  天を仰いだところで、その雲のせいで、きっと調査艇は見えないだろう。  思考回路を、シャットアウトする。  乾いた地面に見つめて、期待も抱かず、メッセージを送る。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  四日目になった。  相も変わらず、メッセージを送る。  何度送ったのか。  数えるまでもない。  五百回目のメッセージ送信は、二日目の内に終わったから、もう今日中には千回に届く計算だ。  もちろん、今日が終わるまで無事ならばの話だが。  あるいは、調査艇にメッセージが届けば、そこがゴールだ。  ツー、ツー、と聞きなれた電子音が鳴る。  ややあって、音声案内が鳴る。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを――  プツッ。  音声案内が、途切れた。 『メッセージ受信した。ベータ―ナイン、聞こえているか? ベータ―ナイン、ベータ―ナイン、応答せよ』  まさか返事が来るとは思わず、言葉に詰まる。  それは、懐かしい声だった。たった四日前だったというのに、大昔に聞いた声のように、懐かしさを感じさせる、そんな声だった。 『ベータ―ナイン、聞こえているか? 応答せよ。――くそっ』  焦ったようなその声に、ゆっくりと応えた。 『アルファ―ワン、聞こえています。応答、感謝します』 『ベータ―ナイン、メッセージを受信している。状況を述べよ』 『船は墜落時に大破しました。飛行はできません。動ける間に周囲を調査しましたが、めぼしいものは発見できませんでした。データを転送します』 『データ転送、確認。ベータ―ナイン、ご苦労だった』 『アルファ―ワン、ワタシも無事とは言えない状態です。救援を要請します』  返ってきたのは、沈黙だった。  通信が切れてしまったのだろうか? いや、それならば、あの音声案内が鳴るはずだ。飽きるほど聞いた、あの案内が。 『アルファ―ワン、アルファ―ワン、聞こえていますか? 応答願います』 『ベータ―ナイン、聞こえている』 『救援を、要請します』  迷うような間と、そして息遣いがあった。 『……――それは、できない。ベータ―ナイン、救援は出ない』  息を、吞んだ。きっと、息を呑むとはこういうことなのだろう。  頭を殴られたように、脳内回路はパニックを起こし、状況が理解できない。 『……何故ですか、アルファ―ワン。救援を――』 『それはできない。ベータ―ナイン、それはできないんだ』  言葉を一つひとつ投げつける子どものように、アルファ―ワンが言った。  震える声だった。 『まず一つ、燃料が足りない。この調査艇は惑星への安全な着陸、そして離陸から宇宙船へ戻るまでの燃料しか積んでいない。つまり、着陸してしまうと、宇宙空間を移動するだけの燃料が残らない。一番近い中継衛星に届く前に全滅してしまう』 『待ってください、調査中は艇が拠点となる予定だったはずです。その燃料や資材は?』 『もうすでに四日分使っている。中継衛星(コロニー)まで保つのかも、既に怪しい』 『艇の機能を一部落とせば、()つはずです。アルファ―ワン、どうかご検討を――』  その返答は、「駄目だ」だった。 『二つ目の理由だ、ベータ―ナイン。私は……、俺たちは、生命機能を一時的に止めるということができない。艇の機能の一つでも止まれば、そこで死んでしまうんだ。ロボットである、おまえたちと違って』 『――――』 『ロボット一機のために、救援艇は出せないと言われた。許してくれ、ベータ―ナイン。私たち人間は、死んでしまったらお終いなんだ。データを写せるおまえたちと違って、そこでお終いになってしまうんだ』 『……アルファ―ワン、救援を要請します――』 『……いずれ、調査隊が再派遣されるかもしれない。それまで、活動休止しておくことはできないか?』  それは、不可能だった。 『機能的には可能ですが、この星に調査隊が派遣されることはないでしょう』 『何も、ないのか――?』 『生命体はおろか、資源となるものは発見できませんでした』 『そう、か』 『お願いです、アルファ―ワン。遅くなってもいい、救援を――』 『なあ、ベータ―ナイン。おまえには昔っから、世話になってばかりだよな』  無線の向こうの声は、曇った磨りガラスのように不明瞭で、濡れたように湿っぽくて、彼がどんな状態でこちらに語りかけてきているのかは、容易に想像がついた。 『俺が生まれることになって、母さんが研究職から外れることになったから、父さんの助手としてやってきたんだよな。はは、昔はおまえに嫉妬なんてしちゃってさ、なんでそんなロボットを連れて行くのに、ぼくは連れて行ってくれないんだってさ。その時の調査でさ、取って来てくれたトロイライト鉱石、今でも箪笥の奥にしまってあるんだよ』 『……アルファ―ワン、今はそんなことより、知恵を……』 『くそっ、違う、違う、わかってる! こんなことが言いたいんじゃなくって――』  データ転送が、完了しました。  無機質な音声案内が、彼の言葉を断ち切った。 『――すまない、ベータ―ナイン。バックアップは取ったから、また、本国に帰ったら、新しい機体を用意する。約束する……。今までありがとう、ナイン。……俺を許してくれ』 『アルファ―ワン、それは――』 『アルファ―ワン! これ以上は余裕がない。脱出するぞ!』  通信の向こうで、切羽詰まった怒鳴り声が聞こえた。  了解(ラジャー)、と通信機の近くで声がする。 『すまない、本当に――』  ブツッ――メッセージエラー。メッセージが届きませんでした。  望みは、絶たれてしまった。  ガラクタと化した宇宙船に機体をもたれ、半分溶解した機械腕を地面に投げ出す。外界を映していたカメラも、シャットダウンした。  ああ、アルファ―ワン、アナタは、人間は死んだらそれまでと言った。  確かにそうだろう。  しかし、データを写したからといって、ロボットは同一存在ではないのだ。  ワタシというロボットは、ここで、死ぬ。  アナタの傍に立つのは、ただのベータ―ナインだ。ワタシではない。  今、どこにいますか。  ツー、ツーという電子音のその先へ、メッセージを送る。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  通信は既に途切れている。もう、ワタシの届けられる言葉はないだろう。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  それでも、メッセージを送ることを止めない。  何故?  もう伝える言葉もないというのに。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ワタシの燃料は、あとどれくらい残っていたろうか。  いつまでワタシは、このメッセージを送れるのだろうか。  恨みはない。もう、助けてくれとも言わない。言ったとしても、もう、誰にも届かないだろうから。  せめて、アナタが、無事に帰還できるよう。  今、どこにいますか?  今、どこにいますか?  今、どこにいますか?  ただ、メッセージを送信する。  ツー、ツー、という電子音のその先へ。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。  ――メッセージエラー。メッセージを届けられませんでした。
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