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アーティスティック・カタルシス
人生に思い悩み始めたら文学の意義を学んではどうかと、どこだったかネットの記事で見かけたことがある。
わたしは今まで体裁だけで生きてきたむこうみずな男で、自分の危機に直面してはじめて焦りだすタイプ。
職も経済的に景気低迷の状況下で、先日突然、首を切られてしまった。
それでいて楽観的な性分だから、気持ちを落ち着かせて(さて、どうするか―)と朝食後に思案していて、文学を振り返ることを思い出したわけである。
4年前に卒業した大学では文学部哲学科を専攻していたのだが、今ちょうど思い出したのが〝フランス文学史〟の講義である。
専攻の哲学よりも、当時いろいろな西洋文学に触れるのが面白くて多少学んだのだが、この講義が何だか今でも印象に残っている。
自分の性に合ったのか、面白すぎて、のめり込んだ印象があったので、ここにいくつか思い出して、現状の躓きをとりあえず忘れたいし、新しい仕事のきっかけがつかめればありがたいのである。
そこで、いままで講義中に書き留めてきたノートを幸い捨てずにとってあるため、見返してみたいと思う。
あまり関心のない読者もおられるかもしれないが、著者の生き方や著作の観察から思いもよらない生き方のヒントが隠されている場合がなくもないのではないだろうか?
それにしても、社会から見放されたわたしのような唐変木が、今まで一人前に仕事をしながら生活してこられたのは不思議でしかたがない。
従来、事務仕事は本質的に好きではなかった。
もう少し若いうちから実用的な仕事の知識や技術でも身に付けておけば、こんなに苦労することはなかったと思うのだ。
理系科目でも得意であれば、企業や社会にアピールできたというものである。
今からでも真剣にやりたいことを探すのでも遅くはあるまいと思われるだろうが、今まで身に役に立つことを芸術関係以外何もしてこなかったという後悔ばかりが胸に押し寄せてくる。
現実の壁を切り崩そうとする気持ちがそれに勝らず、ハードルが思いのほか高い。
これは傍から口を挟まれても、自分にしかわからないことで、今更、これがやりたいなんていう現実的な発想も湧かず、頭が固くなっているのか本当に思いつかない。
二十代後半にもなると、わたしの場合は思考力の柔軟性に欠けていて、今更どうしたらよいのか途方に暮れてしまう。
まあいい。今までのフランス文学講義におけるノートを見返して、何か収穫があればいいと思うのだが、何かをきっかけに、人生の転換期を乗り越えなければなるまい。
まずはパラパラッとノートをめくってみると、目に留まるのはフランス文学における三大小説家の一人であるオノレ・ド・バルザック(1799―1850)である。
一日一章、ページにして20から40ページを獅子奮迅の勢いで筆を進める猛烈な仕事ぶりの多筆家とある。
作家として一本立ちはしたものの、陽気で大胆奔放、無類の浪費癖のために印刷・出版業などにも乗り出すが、経営が思わしくなく、なんと二十代で莫大な借金を抱えてしまうのだ。
未曾有の苦境に直面したあとは、彼はその後どうしたと思う?
わたしのように、職を失っただけならまだましなのであるが、借金を背負うという点において、精神的に相当のダメージがあるはずである。
ここから彼はどのようにして地獄を抜け出そうとしたのだろうか?
―そう、彼は自分の強みを利用して小説を書き続けたのである。
夜中の十二時から書いて書いて、一日平均して十二時間書き続けたというから、大した精神力を持ち主である。
好調の時に十四時間、最低でも一日九時間の仕事を続けた。
どうも思ったことは何が何でも達成しないと気が済まないタイプだったらしい。
残りの時間を使ってあとは社交界に繰り出したり、ずっと十八年間も文通を続けたポーランンドのハンスキ伯爵の妻、ハンスカ夫人と伯爵の死を待って結婚をしたというから、いやはや大した不撓不屈の気力にあふれている。
持ち前の豊かな創造力で、多くの事実を収集し、要素としてそれをあるがままに描く彼の才能には度肝を抜かれる。
1829年に『ふくろう党』という歴史小説を発表し、『結婚の生理学』、1831年に『あら皮』で大きな成功をおさめる。
『知られざる傑作』、『ゴリオ爺さん』、『谷間の百合』、『幻滅』、『従妹ベット』などは言われるまでもなく傑作に位置づけられている。
最晩年に彼はようやく借金の返済に目途をつけたが、その時はもう五〇歳で亡くなる直前のことであった。
これもハンスカ夫人の資産から当てられたと伝えられている。
短足、胴長、骨ばった顔、脂ぎった肌。
それでも、彼自身が魅了された女性は数知れず、恋多き多感な気質だったとある。
先ほどから説明している困難を克服しようと奮闘する彼の精神力は生き方として学ぶに値はするが、わたしのような優柔な人間には、模範とするには少し極端な例かもしれぬ。
彼の生き様は、先天的に生まれ持ったものなのか後天的な努力で培ったのかはわからないが、才能が豊かなのは間違いない。
著述で飯を食うなど、わたしには到底できることではない。
これだったら、労働時間を切り売りして給料をもらう仕事のほうがまだ不安材料は少ないのではないかと思うが、やっぱりフリーで活動していくことのほうに魅力を感じてしまう。
それからおまけにバルザックは1843年5月16日のハンスカ夫人との手紙のやりとりのなかで、このように書いている。
《私の人生の大事件は、私の作品です》*⑴
読者の皆さんはこんなことが言えるような逸材になることは無理な話だなどと、初めから諦めないでいただきたい。
自分の人生をしっかりと組み立てることができる人間の能力として、バルザックのようにがむしゃらに創作活動に入って、成功することもないことではないのだから。彼の前に現れた現実をことごとく吸収して、
「小説に編み込むことができたのは私にとって奇跡の行動結果です」
こう言える大天才が幸せだったのかはここでは明言を避けるが、こうした偉業の達成をする人もいるということを心に留めておこうと思う。
もう一人忘れてはならない、取り上げておくべき奇才がいる。
それは高踏派時代の詩人シャルル=ピエール・ボードレール(1821-67)である。
彼の家庭環境や経済状況下での境遇は波瀾万丈であって、46年の人生には疾風怒濤の荒波が押し寄せた。
父親が60歳のときの子供で、6歳の時に亡くなっているし、母親が再婚した義父に対する反骨精神は大層なものであったらしい。
そして、二十歳で亡父の遺産相続を受け、優々たる趣味の生活から散財が始まった。
おしゃれで洗練されたダンディスムで通していたが、財産をあらん限り使い果たし、その後に禁治産者扱いを亡くなるまで受けることになってしまい、途端に貧しい生活を余儀なくされている。
ここまででも、波瀾曲折の人生であったのに、さらにこれ以降は彼の1857年に発表された韻文詩集『悪の華』にまつわる紛争が起きることには驚愕する。
少し自制ができればそれほど波風が立つこともない気がしないではないが、芸術家は我慢とか忍耐ができるタイプだとは言えず、身の回りの環境の幸福に思い切り順応してしまうと思うのはわたしだけなのか。
ボードレールは若い頃から詩作品を書き溜めていたというが、三六歳にして『悪の華』を発表した際に、そのなかの六編の詩におおやけの秩序と善良な風俗に触れるものがあるとして裁判で敗訴し、削除を命ぜられたことが心の大きな傷となって、彼は人生の階段を踏み外していく。
その後、再版で削除された六編の代わりに三十五編の詩を追加して第二版とし、詩集の構成を新たにして作品の瓦解を防いでいる。
晩年は借金に追われる苦しい生活を強いられるのだが、彼はどうやって生活していったのか?
散文詩集『パリの憂鬱』を書き進め、講演旅行をして収入を得ようとするが、奇行を招き失敗。脳神経にも異変が生じ、失語症を患うことになる。
1867年、亡くなる直前に発した言葉が、
〝—Crénom(クレノ)〟*⑵
(—こん畜生)
まだやりたいことが山ほどあったのだろうと、無念さを彷彿させているのがわかる。
彼の生涯は瞬時の〝喜び〟と深い〝絶望〟、奇怪な〝巡り合せ〟に満ちている。
信念が強くて、自分のミッションを達成しきれなかった想いに、周りの環境に揉まれながら苦しみもがいていたことには憐憫の情を禁じ得ない。
「フランス詩歌」で押し並べて使用される十二音綴詩句アレクサンドランを用いて、〝交感コレスポンダンス〟[万物照応ばんぶつしょうおう]の思想による十四行詩ソンネを思案に思案を重ねて書いた詩集。
後のランボー、ヴェルレーヌ、そしてフランス象徴派に位置づけられるマラルメへ与えた深い影響は計り知ることができない。
詩作や美術評論を自己の理論で展開してきた業績はやはり評価に値するし、その信念は彼のそれまでの仕事から、今もなお感じることができる。
やはり仕事でも趣味でも、創作に取り組むには一本筋の通った想いが貫かれていなければ良い作品とは思えないし、社会的にも認められ難い。
のらりくらりとその場限りの困難を要領よくくぐり抜け、付け焼刃の努力で自分の意にそぐわないものはスルーしてきたわたしにとって、説得力のある功績である。
さて、この先何に注目しようか迷っているところへ、机の上に一匹の土蜘蛛がひょっこり現れた。
何か物を申したげにぴょんぴょんと近寄ってくる。
「おい、そんなことしているんだったら、ハローワークにでも行って、次の仕事の相談でもしたらどうだ。時間の無駄だぜ。効率のいい行動が人生、成功を導くってもんだ。知らねえけどよ」
こいつまでが、社会からはみ出た人間様を説教しやがる。
いや、〝こいつ〟なんて言ってはいけないのかもしれない。
〝朝見る蜘蛛は縁起がよい〟と幸せを呼び寄せるなんて言われているので、タイミングよい助言だと思って、そっとしておこうと思う。
なんだか、怒られているような気もしたので、気持ちを切り替えようと次は何に目を向けてみようかと迷っていたら、講義ノートの中から何やらしきりに訴えかけるものが眼に入ってくる。
「次は私のことを知るがいい」
次々に文学者の著名な名前が目に飛び込んでくるのだが、スタンダールやフローベールの残りの三大小説家の二人をフランス文学史から外すことは到底考えられないし、ここから近代小説が切り拓かれたと言えなくもない。
自然主義文学を推し進めたエミール・ゾラも『居酒屋』、『ナナ』の代表作でよく知られている。
もう少し十九世紀以降の作家を見てみると、ギー・ド・モーパッサン、ロートレアモン、マルセル・プルースト、ポール・ヴァレリー、アンドレ・ジード、ステファヌ・マラルメ、ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、ロマン・ロラン、アルベール・カミュ等々—。
そして、何やら先ほどからしきりに訴えかけている人物。彼の提唱した思想・運動の世界を次に覗いてみることにしよう。
この気になる人物とはアンドレ・ブルトン(1896ー1966)であり、シュルレアリスム(超現実主義)の主導者である。
もとはダダイズムを主張したトリスタン・ツァラと出会い、やがて分裂だか崩壊をして生まれたものである。
ダダは反美学、反芸術、反道徳性の性格を帯び、破壊思考があったのに対し、シュルレアリスムはツァラのニヒリズム(虚無主義)を批判。
シュルレアリスム運動には多くの芸術家が参画したが、出入りも激しくブルトン自身も意見の合わない人間は除名するような強気の姿勢が見られる。
一方で、彼は三回の結婚を繰り返し、離婚の間も女性遍歴を持つようなこともあったのである。
さらに彼のことを調べると、愛人関係のもつれや、2・3日で知り合った女性に何のためらいもなく結婚の申込みをしたこともあるという、言わば生活上、孤独を感じないではいられない寂しがりやさんであったことがわかってきた。
こうした二面性のあるブルトンだが、シュルレアリスム運動を始動し、一九二四年に発表した『シュルレアリスム宣言』において次のように定義している。
「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動オートマ現象ティスムであり、それに基づいて口述、記述、その他あらゆる方向を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」*⑶
(なるほど―)
シュルレアリストの一部では、いかなるものにも影響を受けず、頭の中では何も考えずに、変な先入観もいっさい捨てて、あるがままにそのまま自動的にスラスラと文章を書き進めていく「自動記述」の手法がとられたりもした。
これによって、ブルトンがフィリップ・スーボーと1919年に試みをはじめて、共同作『磁場』という作品をまとめている。
何がそこに記載されていくかの結論は無視されていて、ものすごいスピードで紙に書いていくことがポイントなのだそうだ。
これによって、何が求められたかというと、ノートに記録された次の一文が物語っている。
〝無意識を見つめて現実を知る〟
シュルレアリスムの意図というものが、この一行に認められることはよく理解できることと思う。
自覚からかけ離れた〝潜在意識〟は全体の意識の少なくとも90%を占め、残りの10%弱が人間の意識下にある〝顕在意識〟と言われているのはご存じの方も多いはずである。
〝潜在意識〟には日頃の習慣や自分の価値観が含まれ、無意識な行動だとか好き嫌いが如実に表れる。
〝潜在意識〟は思い込みでもあり、書き換えることが可能であると言えるのだ。
〝仕事は楽しくするものだ〟
という価値観に考え方を修正すれば、人生だって良い方向に転換できることになる。
(よっしゃ、こりゃなかなかいいことがわかったぞ)
潜在意識を思いのままにすることができれば、人生の立て直しができるのかもしれない。ネガティブな思い込みを根底から取り除いて、(自分にはできる、大丈夫)と思考を180度転換してみる。
(これは実践の価値がありそうだ―)と、喜び勇んではみたものの、根拠を調べる前に楽観視する自分はいつも損ばかりしていて、
〝Crénomこん畜生〟と立腹しているのである。
この前だって、上司に翌日までの期限で、社長への商品開発説明資料を作るように言われたから、わたしのない頭を思い切りひねって完璧なポンチ絵入りの資料を自信を持って提出したら、
「違うだろ」
「・・・・・・」
よく聞いてみると、PR商品のメリットのピントがずれているって一掃されてしまったから、ほんと他人の考えることはよくわからない。
人の潜在意識の中にある価値観の食い違いで、本質的に間違った思い込みで資料を作り始めると、もう違う方向へどんどん向かっていってしまう。
人それぞれの持つ価値観を同一化させるなんてことははじめから無理だから、そういうところが原因で人間関係の悪化を招いていくわけである。
ブルトンの多くの女性遍歴から彼を見習ってみるという考え方もある。
彼は独りで生きていくことはできない人間であった。
金づるを見繕って、生活できないこともないのだ。
でも、潜在意識を開花させて可能性を切り拓き、自分でできる一定の仕事を見つけるほうが賢明なのは当たり前である。
それだけで食べられなかったら、資産家の令嬢を掘り当てて食べさせてもらうという甘ちゃんの考えを貫けば、この現代社会では非難の的となって、炎上は必至。
社会から一層見放されることになるのかなぁと思いながら後悔しつつ、さらにこの先に目を向けていく。
真に映っているものだけが本当の〝現実〟なのか、目の前にある現実は真の〝現実〟ではないのではないかというシュルレアリスムの思考は文学のみならず、美術と音楽にも浸透していく。
シュルレアリスムの画家というと、ジョルジュ・デ・キリコ、イヴ・タンギー、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、サルバドール・ダリらがいる。
「誰だい、そいつらは? 知らねぇってば」
そう言われる方は、一度はこれらの画家たちの絵を美術館とか画集で確認してほしい。
きっと何か感じるものがあるはずだ。
先にも論じた人間の無意識の可能性からいったい何が見出せるか探ってみてほしい。
彼らが唸り、惑い、酔いしれたシュルレアリスムの本質を見極めるために、特に知られているサルバドーレ・ダリの絵を通じて、シュルレアリスムの現実の世界をこれから旅して行こうではないか。
初めに申し上げたとおり、文学を学ぶことをわたしは推奨するのだが、シュルレアリスムは現代絵画とも深く結びついている。
はじめに文学と言っておいて、脱線して恐縮であるが、美術の世界からも直感的に感じていただけるものがあると思うのだ。
ただし、ここでは、視覚的な画像紹介は別の機会に確認をお願いするものとし、この場では略させていただくこととしたい。
そのかわり、希望する読者の皆さんは、これから実際に彼らの絵画のなかに飛び込んでわたしといっしょに三次元の世界として体感することが可能である。
わたしには人を異次元に移動させる力がある。
これからシュルレアリスムの現実に触れていきたいと思うのだが、どうか肩の力を抜いて気軽にわたしの旅についてきてほしい。
この体験を通じて、人生をプラス思考で楽しんでいただければと願っている。
一息入れようと首を回していると、さっき現れた土蜘蛛が何か嬉しそうにピョンピョンと跳ねながら、壁をつたってこっちに寄ってくるのが目に入ってくる。
こいつも一緒についてきそうだ。わたしの意見に、
「それならそうすれば」
と同調してくれているようだ。
印象から述べていくと、サルバドール・ダリ(1904ー89)と言えば、ピンと跳ね上がった細い髭がトレードマークで、数々の奇行が知られている画家である。
無意識を掘り起こし、人間の見えないところをどのように創造しているのか?
はじめに注目したいのが、1936年に描かれた〝人間の愚かしさへの怒り《茹でたインゲン豆のある柔らかい構造内乱の予感》〟である。
まずはこの作品の内部へとご案内をするので、そのままでお待ちいただきたい。
そうら、だんだんとこの画の中に身体が浸っていくのがわかるであろう?
この先を予兆するかのごとく、薄黒い雲が徐々に青い空を蔽っていて、寂寞とした広大な大地に醜い巨大な物体が中央に見えてきたではないか。
破壊された生々しい巨人の姿。胴体は腰のあたりから引きちぎれ、人の体を成していない無残な醜い老体だ。
肩から足が生え、尻から手が伸びて何かにすがるように自分の豊かな乳房を握り絞め、顔は熟年の老化した老婆のようにただれていて、明らかに苦悶に満ちている。
それでいて、地面には茹でたインゲン豆が食べ散らかしたようにボロボロと落ちている。
この世界に入った読者の皆さんはご覧いただいて何を感じる?
そう、タイトルにもあるとおり、人間の愚かさを意味していることがわかると思う。
この荒廃した土地はかつては平和だったに違いない。
この巨人、インゲン豆を食していたところへ、激しい爆撃に遭遇し、見るも無残な残骸と化したという想像も成り立つが、実際のところはご覧の方々の想像に委ねられるところである。
我々がこの世界にやってきたのは、この地に起きた悲惨な戦争の惨禍を体験しに来たのではない。
(あっ、この書を眺めているそこのあなた、一緒にこの画に飛び込んでみません? 不思議な体験と新たな発見ができるかもしれませんよ。今、読者の皆さんとこの画に入って、遭遇するものに私たちの今後の豊かな人生が見出せないか、何かヒントが隠されていないかと思っているのです。さあ、ご一緒にいかがです?)
あっ、いや、失礼。この世界はわたしの超能力にかかればどなたでも入ることができるもの。
今、読者の方が一人、ここに到着する見込みである。
(—ああ、いらっしゃった。どうぞ、ようこそお越しくださいました。今、シュルレアリスムの大家ダリの作品の中に我々はいるのです。どうぞ自分の人生を見つめ直したりするにはよい機会です。この体験から感じるものがあれば、これからの人生に生かしていただければ何よりです。これからわたくしがいろいろとご案内してまいりますから、最後までよろしくお付き合いください)
さて、現場の説明に戻ることにしよう。
この巨大な老婆。
何か苦しみに悶えながら、生きることはもうできない形骸をなしているのは、もうおわかりであろう。
これは人間社会の光のあたらない陰の部分の膿みとも言うべき物がこの老婆の体内に蓄積し、それに侵された姿なのだ。
ダリは戦争を引き起こす歴史の繰り返しを嘆いて描いたのだが、社会に汚染されたこの犠牲者には、人間社会への怨恨がにじみ出ているとは思えないだろうか。
それほどこの画からは不条理がはびこる世の中を皮肉る嘆きの感情が噴出しているのだ。
読者の皆さんはこの姿をどう捉えるだろう。
痛烈に感じるのは人間が創造してきた社会が時とともに本質が失われ、形骸化してきている。
社会そのものが人間のコントロールをし始め、多くの人間がそのシステムに浸りきっているということだ。
ここでは愚かな戦争行為が人間を苦しめ、その結果、破滅の悲歌が聴こえている。
現代の労働社会から離脱してしまったわたしは、今この状況下に置かれた自分を幸運に思い始めた。
この巡り合わせで、全世界の平和を願わずにはいられないし、逆に勇気も湧いてきている。
人間の愚かさが露呈されたこの現場を見て、わたしが再起を図ろうと思うのは、浅慮な希望なのかもしれないが、複雑な変化している今の時代に訴えたいわたしのこの世の理不尽・不条理に対する憎悪感が湧き上がってきたからだ。
もともとそれほど強靭な意志や肉体を持ち合わせているわけではないから、世の中のハイペースで無茶な動きに内在する底知れぬ闇にでも冒されて病気でも起こしかねないのだ。
自然でスローな環境で身体に優しい生活を送りたい。
都会に暮らしていると、確かに誰でもあわただしい生活になる。
のんびりとした暮らしはどれほど潤いを与えてくれるものだろう?
この画に飛び込んでくれた読者の皆さんは実際にどうお思いだろうか?
ポジティブな思考で自身の感じたことを実行に移してもらえたら幸いである。
もともとこの画のなかを歩いていたそこにいる初老人も、この破壊された老体とインゲン豆の関係が気になってここに来ているのかもしれない。
現実から乖離した非現実的な世界の数々。
次なる世界をご案内していくことにしよう。
いっしょにいらした読者の皆さんはもうその画に移動できているはずである。
そう、これはダリの作品の中で最もよく知られている《記憶の固執》である。
この画は1931年に描かれたもので、誰もがこの世界を見て釘付けになることであろう。
ほら、全体を見渡してみたまえ。ポルト・リガトの入り江のほとりはもう死の海岸と化している。
生気が失われた一本のオリーブの木がそれを象徴しているとは思わないか?
枝にはクニャリとした柔らかい掛時計が垂れ下がっていたり、テーブルの側面から落ちかかったりしているのが目に留まる。
テーブルの横には何であろうか、人間が生まれる前に子宮内にいる姿のような精神的な存在が横たわっている。
ダリの内面の自画像とも言われているものである。
そこにも柔らか時計がグニャリとして乗っかっているではないか。
テーブルの端を見たまえ。
これは懐中時計だと思うが、そこに蟻がたくさん群がっている。
蟻にたかられているということは、この懐中時計のすべての機能と外見が失われていくこと、すなわち破滅を意味している。
蟻が生物に群がるときは、まさにその生物は〝死〟を覚悟しなければならない。
時計が柔らかければ、〝時〟という概念はもう喪失していて、そこに人が存在することは到底できないように思えるのだ。
さっきからわたしにはただならぬ怪音波が断続的に聞こえてくる。
いっしょにいる皆さんもお気づきであろう。ほら、
〝ウォンウォンウォンウォンウォン〟
〝ウォンウォンウォンウォンウォン〟
わたしたちは異次元の最果ての地に立ち尽くし、自然の心理としてこのような土地では生活はもとより、いることすらままならない人間の限界を超えた世界を体験することができた。
荒廃した土地を目の当たりにして、何か琴線に響くものを感じている。
柔らかい時計のように顔面を歪められたり、始終電波音が聞こえてくるような反自然状態に置かれて過ごすことほど、精神的な苦痛はない。
この状態こそ、今の現代社会にある一面に置き換えられるのではないかと受け止めてしまうのである。
わたしのような社会的弱者は外的環境に影響を受けやすく、何らかの外的圧力を受けることが多いと思っている。
幸いにして、思考を巡らすのが好きで、様々なことにチャレンジしていきたいと常々思っていたところだから、やはり自分の好きなことしていくのがよいという結論に至るのだ。
組織に固定されて時間を拘束されるような仕事は向いていないことがよくわかった。
文才がないので、ライティングはできないけども、絵を描くことと、音楽は昔から得意だった。
物を創造することは素晴らしい。絵は抽象画が好きで、昔、油絵を少しだけ描いていたことがあった。
常日頃からアイデアは湧いて来るほうだったから、昔の感覚を思い出しながら始めてみるのはどうだろう?
原画を画像化し、Web上にアップして、まずはWebデザインの仕事でも少しずつ始めてもいいと思っている。
音楽のほうではヴァイオリンが弾ける。
家のクローゼットにまだ楽器が眠っているはずだ。
弾かなくなってまだそれほど経っていないから、リハビリすれば一定のレヴェルまで復帰ができるのだ。
ソロはもちろんのこと、音楽をしていた頃の親友と組んで、デュオ、トリオ、カルテットとレパートリーの幅を広げて、Webデザインとともにネット上に配信していく。
どう需要を見込んでいくかはこれからの調査になるが、企業広告などに使ってもらえるよう編集し、売り込みを開始していく。
ああ、今まで芸術に関っておいて本当によかった。
早速、明日からでも準備に取りかかろうと思う。
〝芸術とは何か〟とあからさまに問われることをよく耳にするが、わたしには身体の体調を整え、心を癒してくれるビタミン剤と言えるものである。
いっしょに画に飛び込んでくれた皆さん、そして読者の皆さんも、何か少しでもこれをきっかけに人生の立て直しや自己実現のお役にでも立ていただけるならこの上ない幸いである。
おとなしくついて来てくれた土蜘蛛も、元の世界にいっしょに連れて帰るとする。
では、参加してくださった皆さんには心から御礼を申し上げ、この場から皆さんにもとの三次元の世界に戻っていただけるよう、帰りの扉をご案内していくことにする。
(了)
*原注
⑴E・R・クルティウス『バルザック論』285頁
⑵慶應義塾大学通信教育部 2018年度夏期スクーリング
「フランス文学史」より
⑶アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』46頁
*参考文献等
⑴渡辺一夫・鈴木力衛『増補 フランス文学案内』 株式会社岩波書店
⑵E・R・クルティウス『バルザック論』 大矢タカヤス監修、小竹澄
栄訳 株式会社みすず書房
⑶ボードレール『悪の華』堀口大學訳 株式会社新潮社
⑷アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』 株式会社
岩波書店
⑸村松和明『もっと知りたいサルバドール・ダリ 生涯と作品』株式会
社東京美術
⑹執筆にあたり、慶應義塾大学通信教育部 2018年度夏期スクーリング
「フランス文学史」の講義内容を参考にしました。
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