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   ここで、俺は昔の淡く気恥ずかしくなる記憶も一緒に思い出してしまった。あの女は俺が描いた想像上の女性、チカちゃんだ。見た目は当時流行していたアイドルに似せて想像されている。  そして、あの男は若い頃の俺自身だ。野球部だったから髪の毛は坊主で、服装は真っ黒な学ラン。見た目は昭和に大量生産された無個性な若造。高校時代の俺そのものが、この小説の主人公なのだ。 「じゃあ、行こうか。花やしき」  勇気くんは気を取り直して、チカちゃんを連れて花やしきがある方面へと歩いている。  この後、花やしきに行くことは確定しているが、いったいどんな結末が待っていただろうか。なんせ十年以上に書いた妄想ラブストーリーだ。小説と呼ぶのも恥ずかしいほど拙作だったと思うが、当時童貞だった俺が必死こいて想像して生み出した作品だった。たしか花やしき内でデートが上手くいって、最後にどこかで告白をして受け入れられる。  なんと言っても、昔の俺は『ローマの休日』などの典型的なロマンスに憧れた坊主だったのだ。これから丁寧に段階を踏みながら、盛大にイチャいた上で、成功という名のヴィクトリーロードを突っ走るのだ。  俺の化身とも言える勇気くんは、今まさに聖者の行進でもしている気分だろう。俺が描いた俺もどきである勇気くんは、理想的別嬪さんであるチカちゃんを連れて、由緒ある浅草の街を堂々と歩いているのだ。浅草なんて柄じゃない見た目に性格をしているにも関わらず、強がってカッコつけて、背筋を伸ばしながらポケットに手を突っ込んで歩いているのだ。  正直、若気の至りの極地であるこの小説の続きなど、まるで見たいとは思えなかった。高校生が考える恋愛など所詮遊戯。珈琲の味すら知らないクソガキの妄想など、もはや価値なしとさえ思ってしまう。  ただ、不可解なことに今の俺は、昔の俺が作り出した世界へ迷い込んでしまっている。どうにかして、そこから抜け出す必要がある。  そのためには、物語の主人公である勇気くんを追うしか選択肢は残っていないだろう。  嗚呼、煙草でも吸ってやろうかな。  不可思議な世界へ招かれてしまったことへの苛立ちと、一抹の懐かしい気持ちを心に抱えながら、俺は仕方なく二人を尾行することにした。
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