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   今、どこにいますか?    そんな言葉を投げかけられたとしても、今の俺は頭を抱えるだけだ。俺が持っている携帯のジーピーエスは間違えなく浅草を指していて、神聖たる空気の中に堂々と構える浅草寺だって、目の前にしっかりと存在している。東京見物に興奮しているのか、馬鹿騒ぎする修学旅行生もちらほら見受けられる。端っこで疲れ果てた老婆が、ベンチに腰をおろして読書をしている景色だって、俺の眼にはしっかりと映っている。  だが、俺は今の今まで上野の老舗喫茶店で、唐突に思いついた次回作のアイデアを、ツルツルとした肌触りのナプキンに書き留めていたはずだ。マスターが淹れる珈琲が青春の恋物語みたいに甘いわけはなく、死んだ父さんが残した遺産に群がる親族みたいに嫌な苦さがあると思いながら、それを紛らわせるために一生懸命高校時代を美化しようとした昼下がりだったはずだ。  しかし、脳内で浮世離れした妄想に浸っているうちに、湯気立つ珈琲の水面に突然十八くらいの年齢であろう女性が映り、 「こっちよ、こっちよ。松田くん、こっちよ」  と呼んでいる気がしたから、俺はもっと近くで眺めたいと思って、グイッと首を突き出して珈琲を覗き込んだのだ。  そこから、記憶がない。  ここは、いったいどこなのだ?  今の俺は、どうしてか浅草にある浅草寺前に立っている。腕につけた時計を見ると、時刻は午後二時を少し過ぎた頃だ。日付は十月十六日。そこに一寸の狂いもない。なぜか首に白いタオルが巻かれていて、ズボンのポケットには一つのキャンディが忍ばせてあったが、それ以外は先ほどまでの俺の格好のままだ。  もしかすると、夢の世界へ招待されたのだろうか。  しかし、俺は間抜けな面になるほど頬を引っ張ってみたが、全くお目覚めする様子はない。つまり、夢の世界ではない。ただ、現にしてはあまりにも奇妙な出来事だった。  では、いよいよ俺はどうして浅草にいるのか。そもそも、この世界は俺が珈琲を口にしていた世界であるのか。何かの拍子に自分が彷徨う羊になってしまったのではないか。もう、元の世界には戻れない可能性だってある。思考を巡らせているたびに、不安が募るようになった。  それにしても、水面に映ったあの女。俺はどこかで見覚えがあったが、はっきりと覚えていなかった。 「勇気くん、こっちこっち」  すると、俺の近くで若い女性が誰かを呼ぶ声がした。 「すまない。迷ってしまった」  遅れてきたのか、男が謝っている。 「勇気くん、さすがに浅草寺は迷っちゃダメだよ。こんなに目立つ存在なんだ から」  若い女性は軽く笑って、その男の肩をポンポンと叩いた。  この描写。主人公が必死で彼女を探し、見つけたときに笑われて肩を叩かれる。だけど、悪意のない笑みだからホッとしてしまう愚かな男。  それに、あの女。間違いない、先ほど珈琲の水面に映った女だ。  そうか、やっと思い出した。  これは俺が高校時代に書いた小説の一場面だ。
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