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「あぁ、彼か……。青森の病院で数カ月ほど一緒に仕事をしていたけど、優秀な外科医だったよ。誰にでも優しくて、腕もいいしね。顔も悪くはないから、隠れファンもいたりしてね。
けど、婚約者を亡くしてから、彼は変わってしまった……」
「その婚約者の名前はご存知ですか?」
名前を知っていたらいいほうだと思っていただけに、大きな収穫を期待し、つい前のめりになる。
「さぁ、昔のことだったしね……。親や親戚に反対されてたから、こっそり会ってたみたいだし、もしかしたら、名前を聞いてないかもなぁ……」
今井は顎をさすりながら、難しい顔をして聞いている。腕組をしてしばらく唸ったが、降参と両手を上げた。
「思い出したけど、やっぱり名前は聞いてなかったよ。
駐車場で楽しそうに話してるのを見かけたから、女性がいなくなった後に『好い人?』って聞いたら、難しい顔をして『婚約者です。皆僕達のことを反対してるので、ここで会ってたことは誰にも言わないでください』って言われたんだ」
反対されていたのは御堂の資料で知っていたが、職場の駐車場でコソコソ会うほど自由がなかったのかと思うと、可哀想になってしまう。
まだ恋をしたことがない椿には分からないが、愛する者と離れ離れになる辛さだけは分かっているため、つい感情移入してしまう。
「そうですか……。先程、婚約者が亡くなってから変わったと言っていましたが、具体的にはどう変わったんですか?」
「もぬけの殻っていうのかね? ずーっと死んだような目で、冗談を言わなくなったし、言っても笑わなくなった。
けど、仕事だけは淡々とこなす。まるでロボットのようにね」
「他に何か知っていることはありませんか?」
「彼の婚約者が亡くなってすぐ、私は東京に異動したからね。残念ながら、これ以上のことは……」
そう言って今井は肩をすくめてみせる。日本人がこの仕草をすると、大抵滑稽に見えてしまうが、今井は妙に似合っていた。
礼を行ってワゴン車に戻ると、灯火は職場住宅とは逆方向へ車を走らせた。
「どこに行くんですか?」
「よく言うだろ、備えあれば憂いなしって」
「だから、どこに行くんですか?」
「うるさい黙れ一生喋るな」
灯火はめんどくさそうに言うと、アクセルを強く踏んだ。睨みつけると、彼は嘲笑した。
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