パーツ紛失事件

62/88
前へ
/182ページ
次へ
「あぁ、彼か……。青森の病院で数カ月ほど一緒に仕事をしていたけど、優秀な外科医だったよ。誰にでも優しくて、腕もいいしね。顔も悪くはないから、隠れファンもいたりしてね。  けど、婚約者を亡くしてから、彼は変わってしまった……」 「その婚約者の名前はご存知ですか?」  名前を知っていたらいいほうだと思っていただけに、大きな収穫を期待し、つい前のめりになる。 「さぁ、昔のことだったしね……。親や親戚に反対されてたから、こっそり会ってたみたいだし、もしかしたら、名前を聞いてないかもなぁ……」  今井は顎をさすりながら、難しい顔をして聞いている。腕組をしてしばらく唸ったが、降参と両手を上げた。 「思い出したけど、やっぱり名前は聞いてなかったよ。  駐車場で楽しそうに話してるのを見かけたから、女性がいなくなった後に『()い人?』って聞いたら、難しい顔をして『婚約者です。皆僕達のことを反対してるので、ここで会ってたことは誰にも言わないでください』って言われたんだ」  反対されていたのは御堂の資料で知っていたが、職場の駐車場でコソコソ会うほど自由がなかったのかと思うと、可哀想になってしまう。  まだ恋をしたことがない椿には分からないが、愛する者と離れ離れになる辛さだけは分かっているため、つい感情移入してしまう。 「そうですか……。先程、婚約者が亡くなってから変わったと言っていましたが、具体的にはどう変わったんですか?」 「もぬけの殻っていうのかね? ずーっと死んだような目で、冗談を言わなくなったし、言っても笑わなくなった。  けど、仕事だけは淡々とこなす。まるでロボットのようにね」 「他に何か知っていることはありませんか?」 「彼の婚約者が亡くなってすぐ、私は東京に異動したからね。残念ながら、これ以上のことは……」  そう言って今井は肩をすくめてみせる。日本人がこの仕草をすると、大抵滑稽に見えてしまうが、今井は妙に似合っていた。  礼を行ってワゴン車に戻ると、灯火は職場住宅とは逆方向へ車を走らせた。 「どこに行くんですか?」 「よく言うだろ、備えあれば憂いなしって」 「だから、どこに行くんですか?」 「うるさい黙れ一生喋るな」  灯火はめんどくさそうに言うと、アクセルを強く踏んだ。睨みつけると、彼は嘲笑した。
/182ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加