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「えぇ、分かる範囲ででしたら」
(まだ暑いのに、コート?)
椿は青年のいで立ちに違和感を覚え、凝視しないように注意しながら、彼を観察する。
髪は男性にしては長く、肩まである。その髪をハーフアップにまとめている。薄手の黒コートは上まできっちりジッパーを上げているため、下に何を着ているのかは分からない。背中には大きなリュックサック、片手には黒のビジネスバッグと、全身黒ずくめだ。
青年は安堵の笑みを浮かべ、駅の近くにあるチェーンホテルの名前を口にした。
「駅の近くですね。ちょうど私も駅に行くところですので、一緒に行きましょうか」
「ありがとう。お姉さんは優しいね」
人懐こい笑みを浮かべる青年。その顔が、昔いなくなった弟とダブり、気づけば青年をまっすぐ見つめていた。
「ん? 俺の顔になんかついてる?」
「あ、いえ……。すいません、知り合いに似ていたものですから」
気まずくなって目をそらすと、青年は興味なさそうにふーんと言った。
駅に向かっている間、青年は県外からここに来たと話してくれた。この街には電車で来たというのに、ホテルの看板に気づけず、住宅街に迷い込んでしまったという。
「方向音痴なんですか?」
「というより、注意力散漫なんだ。考え事しちゃうと、ずーっとそのことについて考えて、周りが見えなくなる」
困ったものだと青年は快活に笑う。彼の話はとても面白く、冗談を交えながら雑談をしてくれた。おかげで悪循環から抜け出せた。
「ここが駅です。あなたが宿泊するホテルは、この歩道橋を渡ってすぐのところにありますよ」
「ここまで来たら迷ったりしないで済む。ありがとう、お姉さん。これ、少しだけどお礼」
青年はポケットから何かを出すと、椿の前に拳を持ってきた。反射的に両手を出すと、椿の小さな手のひらに、色とりどりのラムネが降り注いできた。
「じゃあね、お姉さん。気をつけて帰るんだよ」
ラムネの礼を言う前に、青年は大股で歩道橋へ向かっていった。
「怖い人かと思ったけど、可愛い人」
椿はいちご味のラムネを口に放り込むと、残りをポケットにしまって改札を通った。
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