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「まず、東京への出張は予定どおり行くはずですよね。事情もなく、突発的に取りやめるなんてことはできないだろうから。だとしたら、妻を防音ブースへ閉じ込めたのは、東京へ()つ前……一月十一日火曜日の朝だった、ということになるのか?」 「出張当日の朝に事を起こしてもいいのでしょうが、出張前夜にすべての作業を終えておく、というタイムスケジュールのほうが、気持ちにも時間にも余裕があっていいのかなと個人的には思います」 「出張前夜?」 「えぇ。たとえば、奥さまにこっそり睡眠薬を飲ませて深く眠らせ、夜中から明け方のうちに二階の寝室から一階の書斎にある防音ブースへ運び、重みのある段ボールを扉と壁の間に挟むことで扉が開かないように細工をする。ドアハンドルが回らないことを確認したら、室内を引っかき回して強盗が入ったように見せかける。そして翌朝……出張当日です。奥さまが目を覚まさないうちに――あるいは目を覚ましていても無視を決め込んで――必要な荷物をまとめて家を出てしまえば、あとは奥さまが寒さと飢えで体力を奪われ死に至るのを待つばかり、という状態になります」  なめらかに語られたマスターの推理は、なるほど説得力のあるものだった。 「考えてみれば、なかなかの重労働ですもんね。出張当日の朝にこれだけの作業をこなすのは大変だ。俺だったら、夜中のうちにやり遂げておきたいかも」  と、マスターの見解に一応は同意したものの、まったく疑問点がないわけではなかった。 「でも、待ってください。室内はただ荒らされていただけでなく、実際に金品が消えています。夫の犯行だとしたら、夫は出張先までそれらを持っていったってことになりませんか?」 「持っていったのかもしれませんね。ご主人の犯行なら、一月十一日に第一発見者の不倫相手が被害者から受けた連絡というのはご主人によるなりすましだったということになりますから、少なくとも被害者のスマートフォンはご主人の手もと、つまり、東京にあったわけです。他の金品も一緒に持っていった可能性はあるでしょう」 「じゃあ、帰ってきた夫の所持品を調べれば……!」 「見つからないでしょうね、おそらく」 「え」  星乃の目が点になる。涼しい顔で首を横に振ったマスターは、再び自らの見解を述べた。 「今回の事件がご主人の仕業であるならば、明らかに計画的な犯行ですから、最後の最後でヘマをする、なんて都合のいい展開は期待するだけ無駄でしょう。この計画の穴を()いて指摘するなら、不倫相手の方が奥さまと連絡が取れなくなった時点で奥さまの様子を見に家に来てしまった場合にどう言い逃れするのか、という点ですが……まぁ、考えるまでもないことでしょうか。不倫相手の心理として、連絡が途絶えたからといってすぐに様子を見に来るというのはさすがに度胸がありすぎますから。実際、不倫相手の方が被害者宅を訪れたのは、連絡が途絶えた一週間後のことだったわけですし」  確かに、と星乃は腕組みをしてうなずいた。他人の心理を計算に入れることは基本的には難しいが、不倫という絶対にバレてはならない秘密の営みなら、バレないような行動を取るはずだとある程度の予測を立てることはできそうだ。 「殺人事件だもんなぁ」  星乃がひとりごとのようにつぶやく。 「警察が被害者の周辺を詳しく調べることは簡単に想像できるだろうし、不倫相手がいることも、警察ならそう時間をかけずともたどり着ける。そこまで頭が回れば、夫は自分が疑われる可能性も当然計画に練り込んでいたはずですよね」 「そうでしょうね、おそらく」 「被害者のスマートフォンはアリバイ工作のために必要だから東京へ持っていくとしても、向こうで壊して処分してしまえば足はつかない。でも、金品は違う」 「えぇ。金品、特に宝石類は換金すると足がついてしまう可能性がありますからね。ほとぼりが冷めるまでは手もとに置いておきたいと考えるのが普通でしょう」 「といっても、自分に疑いがかかる可能性がある以上、常に持ち歩いているわけにもいかない。東京から帰ってきたところを俺たちに押さえられて、所持品検査を受ければアウトだ」 「ならば、どう動くのがベストでしょうか?」  マスターを真似て、星乃も右の人差し指をピンと立てた。 「盗まれたように見せかけた金品はどこか別の場所に隠して、出張へ行った」
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