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「マスターは最初からわかっていたんですよね? あの事件がただの強盗殺人じゃないって」
「最初から、というのがどの時点をさすのかわかりませんが、死因が死因だけに、偶然で片づけるにはあまりにも不自然だとは思いました。決め手というか、決定的におかしいと思ったのは、被害者の指から結婚指輪が抜き取られていたことでしょうか」
「えぇ、そこ?」
「そうです。仮に純粋な強盗殺人だったとするなら、被害者が意識を失った状態でなければ指にはまった指輪は抜き取れないでしょう? 今回のケースではじめに有力視された見解は、犯人は被害者を生きたまま防音ブースへ閉じ込めたというものだったそうですから、そうなると犯人はいつ被害者の結婚指輪を指から抜き取ったのかなぁ、と疑問に思ったわけです。被害者が意識を失っているのなら、わざわざ防音ブースに閉じ込める必要はなかったはずなので」
あぁ、と星乃は納得の声を漏らした。それもあの時現場でいだいた違和感のうちの一つだったことが、今になってようやくわかった。
金品を残らず持ち去られたように見せかけることに必死だったために、矢上拓保はやりすぎてしまったのだ。被害者の意識を奪うことなく防音ブースへ監禁した強盗犯に、結婚指輪を抜き取る余裕は生まれない。被害者を殴るなどして意識を奪っていたなら外傷が残るはずだし、そもそも防音ブースへ監禁する必要がなくなる。明らかな矛盾点だ。
「いやぁ、さすがです」
星乃は小さく拍手を贈った。
「やっぱり、着眼点がいい。名探偵の名を冠した店には、本当に名探偵がいました」
「やめてください。私はただの喫茶店経営者です」
「でも」
星乃が目をやった先には、黒地の板に白い字が踊るメニューボード。
「一番下のあれ、まんざらでもないんじゃないですか」
指さしたのは、『謎解き Free』と書かれた謎のメニューだ。注文する人がいるかはわからないが、頼めばマスターは見事に答えを導き出してくれるに違いない。
「あぁ、あれですか」
言いながら、マスターは遠くを見るようにすぅっと目を細くした。
「あれ、妻と妻のお祖父さんがおもしろがってつくったメニューなんです。店の名前が『シャーロック』のもじりなんだから、それらしいメニューがあってもいいんじゃないかって。まぁ、真に受ける方はほとんどいらっしゃいませんし、開店から六年ほど経ちますけれど、実際に頼まれたことも両手の指で数えられるほどですから、そのままにしておいても問題ないかなぁと思いまして」
「へぇ、頼む人いるんだ」
「ごくまれに。と言っても、なぞなぞをふっかけられたり、身の回りで起きた不思議なできごとをしゃべるだけしゃべって満足されたり、といった具合です。謎解きらしい謎解きをしたことはなかったかもしれません」
「じゃあ、まじめに事件を解決したのはこの前がはじめてだったってことですね。俺が第一号だ」
星乃が嬉しくなってそう言うと、マスターは「ですから」と困ったような笑みを浮かべた。
「私はなにもしていません。解決されたのはお客さまです」
星乃は声を立てて笑った。彼はあくまでこの低姿勢を貫き通すつもりらしい。
それでもよかった。ここでマスターと話をして、結果的に事件は無事に解決した。マスターにその気はなくても、マスターのおかげで真相にたどり着いたのだ。
冷めきらないうちにコーヒーを飲み干し、星乃は静かに席を立った。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「ありがとうございます。お待ちしております」
喫茶店の名探偵は、朗らかに微笑んだ。
【一作目『飢えた天使/城平京』 了】
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