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「俺、いろいろ考えたんですけど」
メニューボードを見上げて言うと、マスターの視線が星乃をとらえた。
「あの『謎解き』っていうメニュー、お金取ってやってもいいんじゃないですか」
マスターは両眉を跳ね上げた。
「まさか。そんなことできませんよ。そもそもあれは妻と妻のお祖父さんが遊びで書いたもので、正式なメニューでもなんでもないわけですから」
「でも俺、やっぱりこの間のお礼をちゃんとしたいんですよ。あの時のニセ強盗殺人事案が解決したのは、どれだけ低く見積もっても、マスターのお力あってこそだったと思うから」
「お客さまがどう思われようがご自由になさっていただければ結構ですが、前回ご来店いただいた時のやり取りごときでお金を取るわけにはいきません」
「お金っていう形じゃなくてもいいです。なにかお礼代わりになるもので、俺にできることはありませんか」
日が経つに連れて、改めてきちんと礼をすべきだという気持ちが大きくなっていった。素人に助け船を出してもらったことを悔しいと思うこともまるでなく、ただ純粋に、マスターの洞察力に感銘を受けるばかりだった。
さすがのマスターも星乃の押しの強さに打たれたのか、少し考えて、こう答えた。
「では、お時間のある時にここへ来て、うちの売上に貢献していただく、ということでいかがでしょう?」
「なるほど。いいですね。そうします」
「ありがとうございます。ご来店の際にはぜひ、私の話し相手になっていただけたら嬉しいです」
男の星乃でも惚れ惚れするほど、マスターの笑みは整い、美しかった。
しかし悲しいかな、星乃は刑事である。色っぽく細められたマスターの瞳に、一抹の寂しさ、消えない孤独のようななにかが浮かんでいるのを、見逃すことはできなかった。
ゆったりとしたテンポのジャズが、急に感傷的な旋律に聞こえ始めた。星乃にじっと見つめられたままで、マスターは静かに厨房の清掃作業に入る。
なんと声をかけていいのかわからず、星乃は湯飲みに手を伸ばした。
いつまでも香り続けている煎茶をすする。垂れてきた鼻水もすする。
――この店に来て、話し相手になってほしい。
少々引っかかるお願いごとだった。奥さんとの関係がうまくいっていないのかな、などと、妙なことをつい勘ぐってしまう。刑事としての悪い癖がまた出ていた。無闇に干渉してはいけない。
ともあれ、話し相手になることをマスターが望むのならば、世話になった者として、こたえてやるのが星乃の務めだ。ちょうど彼と話したい話題もある。
世間話を前説代わりに、星乃はさっそく口を開いた。
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