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 日頃から被害者の食事の世話をしていた家政婦の保田紀代子は、ダイニングルームに呼ばれるなり、「わたくしはなにもやっておりません!」とやはり目尻に涙を浮かべて訴えた。  星乃がどうにかなだめて席につかせ、一緒に深呼吸をしてやると、ようやく落ちついて話を聞くことができるようになった。 「今から二十九年前のことです。丸篠本社に勤めていた夫を早くに亡くし、途方にくれていたわたくしに、前社長の宗之さまが『よかったらうちで働かないか』とお声をかけてくださいました。以来、こちらのお宅で住み込みの家政婦として働いております。はしたない話ではありますが、お給金もわたくしにはもったいないほどの金額をいただいておりますので、不満は一切ございません」 「よくわかりました」受け答えはすべて班長が担当した。 「では、ひばりさんの今日の様子について伺います。なにかいつもと違うことをしていたとか、どこかでなにかをもらってきたとか、そういったことはありませんでしたか?」 「土曜日の午前中は、毎週お花のお稽古へお出かけになります」 「生け花ですか?」 「えぇ。送迎は専属の運転手がつき、お稽古のあとはいつも決まって、他の生徒さんや先生方と外でお食事をなさいます。ご帰宅なさったのは午後二時頃のことです。こちらも毎週変わりません」 「なるほど。今日が誕生日だったということですから、なにかプレゼントをもらって帰ってきたとか、そういったことは?」 「えぇ、えぇ、ありました。お着物の帯だったり、花器だったり、たくさんの袋をおかかえでしたよ。もちろん、ピーナッツを含む食品は一つもありませんでした」  だろうな、と星乃は心の中だけで独りごちる。そんな簡単な話だったら、星乃たち本部の人間が呼ばれるまでもない。 「晩餐会の時の様子は? 出された食事は完食されたんでしょうか?」 「ありがたいことに、きれいに召し上がっていただきました。ですが……」  保田の表情がより一層暗くなる。 「奥さまは和食を好まれるので、今夜も魚をメインにご用意したのですけれど、お孫さんにあたる青羽さんのお子さま、誠くんと愛ちゃんのために作ったハンバーグを見て『私も食べたかったわ、ハンバーグ』とぽつりと漏らされて。事前にご希望をお伺いしておくべきだったと、今でも後悔しております」  割烹着から取り出したハンカチで涙を拭う保田の姿は、これが家族としての正しい反応なのではないかと強く思わされるものだった。母を失っても心が動かないと断言した青羽も、事故だと決めつけている泉も、ポータブルゲームに夢中だった朝日も、本当に被害者の実子なのかと疑いたくなるような、あまりにも冷酷な態度ではなかっただろうか。  ピーナッツについて詳しく尋ねると、買い出しの際は必ずアレルギー成分表示を確認する、惣菜をはじめとした出来合いのものは信用できないので買わない、調味料もドレッシングやマヨネーズなら手作りするなど、とにかく徹底してピーナッツを排した食生活を送っていたようだった。  根っからのお嬢さま育ちでありながら、ひばりは料理への興味と造詣(ぞうけい)が深く、保田ともよく二人でキッチンに立っていたという。歳は保田のほうが三つ若いが、主従関係というより、妹や距離の近い友人といったようなフランクな関係だったと保田は話した。彼女が厳しい態度で接していたのは五人の子どもたちだけだったというのも、保田から引き出した証言だった。
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