2.

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「へくちっ!」  次女の篠岡翠は、ダイニングルームへ入ると同時にくしゃみをした。エメラルドグリーンのセーターに、裾がアシンメトリーになっているブルーのロングスカートを合わせるというファッショナブルな服装は、さすが新米デザイナーと言いたくなるほどのハイセンスだ。  一方で、顔面はぐちゃぐちゃだった。ティッシュで押さえられた鼻は真っ赤で、ばっちりメイクを施してある目も充血している。ティッシュの箱をかかえ、何度もくしゃみをくり返す姿に、星乃は知らず知らずのうちに「花粉症ですか」と尋ねていた。 「違うんです。あたし、猫アレルギーで……へくちっ!」  あぁ、と星乃は磨りガラスの扉に目を向けた。ソファに座って泣いていた三女の桜の膝の上に、白い猫が収まっていたことを思い出す。 「あの猫、メアリーっていうんですけど、一年くらい前から母が飼い始めた猫で。世話も掃除も大変だから、普段は母の寝室から出さないようにしているらしいんですけど、警察の人が来て、捜査の邪魔になるからって……へくちっ! 桜が抱っこして……へくちっ!」  いたたまれなくなって、星乃は「申し訳ありません」と頭を下げる。ものすごい勢いでティッシュを使い減らしていく翠の姿は、発作が起きた時の自分を鏡に映しているようだった。 「だからあたし、母の部屋には絶対に入れないんです。なんなら、母と近い距離で話すのもイヤ。メアリーを抱いた服なんて、フケだらけに決まってるから」 「わかります」  共感の嵐で、星乃は黙っていられなかった。 「自分は花粉症なんですが、この時期は一歩も外へ出たくないです」 「やっぱり? つらいですよね、くしゃみと鼻水」 「はい、とても」 「どうして猫だけダメなんだろ。犬は平気なのに。あぁでも、お母さんも桜もピーナッツはダメだけどくるみは大丈夫だから、それと一緒か」 「そうなんですか?」  星乃と翠のやりとりを静観していた班長が、ここではじめて口を挟んだ。 「アレルギーが出るのは、ピーナッツだけ?」 「そうなんです。ピーナッツは豆で、くるみやカシューナッツは木の実だから、全然違うんだって聞きました。だから今夜も、サラダの上に砕いたくるみが振りかけてありましたよ。母も桜も平気な顔で食べてました」  星乃はうなずきながら、頭の片隅に一瞬『もしかして砕いたくるみの中にピーナッツを混ぜたのでは』という推理が過ったが、だとするなら被害者は晩餐会の最中に倒れていなければ辻褄が合わない。即座に却下した。  母親の話をしているうちに現実を思い出したのか、翠は涙を流し始めた。 「おかしいですよね。あたし、お母さんのことなんてちっとも好きじゃなかったのに。お父さんの時は泣けて当たり前だったけど、お母さんも一緒だ。いざ死んじゃうと、やっぱり悲しい」  ダイニングテーブルに突っ伏した翠は、わんわん声を上げて泣いた。  この家にも少しはあたたかい血がかよっていることがわかって、星乃は胸をなで下ろした。
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