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「事件関係者の証言に引っかかる点がないのなら、真相につながる根拠を見つけるためには現場をよく調べてみる必要がありそうです。事件発生当時、被害者が発見された一階の寝室というのはどのような状態だったのでしょうか?」
「えーっと、扉に鍵はなく、室内は整然としていました。被害者はベッドの上で発見されて、その時点ですでに息がなかった。第一発見者の家政婦が遺体発見時に運び入れたティーセット以外、部屋には食べ物や飲み物の類(たぐい)が一切置かれておらず、なにかを食べたあとに出る包装紙のゴミなども見つからなかったため、ピーナッツの摂取経路は不明。家政婦の証言によれば、被害者の着衣は晩餐会の時と同じ、濃紺の和服だったそうです。……大事なポイントはこれくらいですかね」
マスターはここでようやくうなずいた。つまり、今星乃が列挙した事項の中に、事件解決のカギが隠れているということだ。
「お客さま」
「はい」
「仮に、お客さまが被害者だったとしましょう」
「はい?」
なるほど、事件当時の様子を想像してみろ、ということか。居住まいを正し、星乃は今一度「はい」と言った。
「もしもお客さまがピーナッツアレルギーを持っていて、誰かが手土産を持って部屋を訪ねてきたとしたら、どうなさいますか?」
「そりゃあ、その手土産が食べ物だったら、ピーナッツが入っているかどうかを入念に調べます。食品成分表示がなければ口をつけないかもしれない」
「正しいご判断かと思います。では、何者かにピーナッツを無理やり口の中に押し込まれたとしたら、どうなさいますか?」
「吐き出します。どうにかして」
「それもできない状況だったらいかがでしょう? たとえば、口の中に手を突っ込まれ、喉の奥までピーナッツを押し込まれてしまったら」
「待ってください。そんなことをされたら……いえ、されそうになった時点で必死に抵抗しますよ。最低でも、手に噛みつくことは絶対にやります」
「では、事件関係者の中に、手に怪我をされていた方がいらっしゃいましたか?」
星乃は両眉を跳ね上げた。そんな人はいなかった。いたら見逃すはずはない。
「いません」
「だとするなら、被害者は今挙げた方法とは別のやり方でピーナッツを摂取した、ということですね。お客さまなら、他にどんな手段を思いつくでしょうか」
星乃はわかりやすく顔をしかめた。それが閃かないから、こうしてマスターの知恵を借りようとしているのだ。
星乃がうなってばかりいるのを見かねて、マスターは論点を変えた。
「では、被害者がなんらかの方法でピーナッツを摂取したとしましょう。食物アレルギーは摂取後まもなく症状が現れますから、被害者が呼吸困難に陥ったのもピーナッツを食べたすぐあとのことだったと推測されます。だからといって、息ができなくなってすぐに意識を失うとは限りません。さて、お客さまが被害者の立場ならどう行動しますか?」
「そりゃあもちろん、助けを呼びますよ。スマホを使うなり、部屋の外に出るなりして……」
その先の言葉は出てこなかった。自分で言っておいて、大きな矛盾点にぶつかった。
「ヘンですね。被害者のスマホは寝室、それもハンドバッグに入った状態で見つかっている。……待て待て。そもそも被害者の遺体って、ベッドの上で発見されたんだよな。仮にベッドの上で呼吸困難に陥ったんだとしても、助けを呼ぼうとするなら床を這ってドアに向かうか、ドレッサーに置いていたスマホに向かうかのどちらかになるはずで……」
全身がぶるりと震えた。
事件発生から四日。自分たちはこれまで、とんだ思い違いをしていたのではないだろうか。
「マスター」
はい、とマスターは恐ろしいほど静かにこたえた。
顔を上げ、星乃はたどり着いた結論を口にした。
「篠岡ひばりは、自殺したんですね」
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