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 それから二ヶ月半、マスターとは一度も顔を合わせていない。  自分のためにも、マスターのためにも、もう二度と会わないほうがいい。そう思っていることは確かだ。捜査に行き詰まった時にマスターの顔を見ると、彼の心に痛みを与えるとわかっているのに、どうしても『謎解き』を注文したくなってしまうから。  けれど、捜査がうまくいかないときに限って、マスターのことが頭に浮かぶのだ。マスターの手の中にはいつだって真実が握られているような気がして、そんな曖昧な希望に縋ってしまう刑事としての自分が情けない気持ちもありつつ、彼の意見を聞いてみたい気持ちを抑えることができない。  なんだかんだと言い訳をして、結局、今回も来てしまった。『珈琲茶房4869』――名探偵のいる店に。  腕時計に目を落とす。時刻は午後四時三十分を回った。  店の看板の電灯が消えた。扉にかかった『OPEN』のプレートを『CLOSE』へとひっくり返すため、以前と少しも出で立ちの変わらない美青年のマスターが店から出てきた。 「あぁ、刑事さん」  目が合うと、マスターはごく自然な笑みを星乃に向けた。 「いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」 「あ、いえ。今日は……」 「知り合いの農家さんから、おいしいイチジクをたくさんいただいたんですよ。タルトを焼いたので、よかったら召し上がっていきませんか」  私の(おご)りで、とマスターは気前のいいことを言ってくれた。奢り云々は一旦脇においておくとしても、イチジクのタルトなんておいしいに決まっている。  気がつけば、星乃はマスターに促されるまま店に足を踏み入れていた。  昔から、甘い誘い文句に弱かった。
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