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「被害者の男性は半グレ集団の一員で、犯罪行為をくり返すことで生計を立てていたというお話でしたから、お金につられやすいタイプだったことが窺えます。ある程度の額をちらつかせ、あるいはいくらか前払いしてやることで、真犯人は被害者の男性を意のままに操っていたのではないでしょうか。被害者の男性の視点で言えば、真犯人は仕事を依頼してきたクライアントだったというわけです」 「いや、あの……ちょっと待って」  マスターの言っていることはわからないでもないし、やろうと思えばやれることだ。  しかし、理屈の上では成り立っても、少々現実味に欠けるのではないだろうか。 「協力ってどういうことですか。真犯人は被害者を殺すつもりだったんでしょ? なのに、真犯人と被害者が協力関係? ……すいません、俺がバカなだけなんでしょうけど、意味がわからないです」  カウンターに肘をついて頭をかかえる星乃を見て、マスターは「うーん」とあまり悩んでいる様子もなさそうに首を捻った。 「では、論点を変えましょう。現場の状況を見て、お客さまは一番に誰をお疑いになりましたか?」 「そりゃあもちろん、第一発見者の女性です」  マスターは「はい」とだけ言い、星乃をまっすぐに見つめてくる。星乃は目をぱちくりさせたが、やがて「あ」となにかに気づいたように声を上げた。 「そういうことか! 真犯人の目的は、被害者を殺害することじゃなかった……第一発見者の女性に殺人の罪を着せることが一番の目的だったんだ!」 「そうだと思います。密室の中で起きた殺人なら、その中にいた生存者がいの一番に疑われる。真犯人の狙いはそこにあったのでしょう。やってもいない罪で牢屋へ入れられることは、死んでしまうよりもずっとつらいことでしょうから」  まさに、生き地獄だ。誰にも信じてもらえなかったという深い絶望と、前科という重い十字架を背負ってなお、生きていかなければならない。舌を噛み切って死にたくなってもおかしくないほど、塀の中では厳しく苦しい生活が待ち受けている。  マスターの仮説が真実なら、殺された茅野皓も浮かばれない。津下実久里に殺人の罪を着せるためだけに命を奪われるなんて、理不尽にもほどがある。  あるいは、茅野と津下、どちらも真犯人のターゲットだったのかもしれない。真犯人は両者に恨みをいだいていて、一人は殺し、もう一人に殺人の罪を着せた。そう考えれば、この事件の役者に選ばれたのが津下と茅野だったことにも説明がつきそうだ。すべては真犯人によって仕組まれた、脚本どおりの演出だったというわけである。  そこまで考えて、ふと、星乃の頭に小さな疑念が過った。 「あの、マスター」 「はい」 「犯人の目的と、室内に侵入した方法はわかりました。でも、犯人はどうやって部屋から脱出したんでしょうか? あの部屋には俺も入りましたけど、隠れられる場所といえば、トイレか風呂場くらいしかありませんでしたよ。それに、どちらもベッドの置かれたメインルームにつながっていて、出入り口の扉へ向かうには必ずメインルームを通らなくちゃならないつくりです。第一発見者の女性一人だけならともかく、ホテルの従業員も合わせた二人の目を盗んで部屋から抜け出すなんてことができるとはとても思えないんですけど……」  マスターはこくこくと小さく何度かうなずいて、「質問に質問で返して恐縮ですが」と星乃に尋ねた。 「真犯人が第一発見者の女性のフリをして、被害者の男性とともにチェックインした。この仮説に基づくなら、第一発見者の女性はいったいどのようにして二人と同じタイミングでくだんの部屋へ入室したのでしょうか」 「それは……」  茅野は眠った津下を抱きかかえてタクシーを降りているのだから、そのままの状態で部屋まで行けば話は早い。  だが、抱きかかえたりおぶったりしてフロントの前を通過すれば、高さ的にもまず間違いなくフロント係の目に触れる。二人分の料金で三人が入室するとなればホテルにとっては損失になるのだから、呼び止めて正規の料金を請求するなりなんなり、それ相応の対応をするだろう。  また、ラブホテルによっては『二人一組』の入室に限っている場合があり、一人のみ、もしくは三人以上での入室は断られることもある。そうした違反者の対応のために、直接の鍵の受け渡しがなくても、フロント係は必須のポジションなのだ。  とすると、津下実久里はどうやって現場の部屋まで運び込まれたのだろうか。 「えっと……た、たとえば、スーツケースの中に入れて、とか」  我ながら、ひどい仮説だ。十歳に満たないような子どもならまだしも、死体でもない大人の女性をスーツケースに詰め込むなど、それこそ津下が目を覚ましかねない愚行である。 「スーツケースではなく」  しかし、マスターは星乃のトンデモ仮説の半分を支持した。 「二百リッターサイズの特大ボストンバッグなら可能だと思います。ちなみに、第一発見者の女性は小柄な方でしたか?」 「はい。身長は一五〇センチくらいしかなくて、細身の体形です」 「でしたら、チャックを閉めずに膝を折って寝かせればギリギリ入りそうですね」 「いやぁ、どうでしょう……。さすがにそんな大きな荷物を持っていたら怪しまれるんじゃ?」 「怪しまれるでしょうね。現場がホテルでなければ」  星乃はかすかに息をのんだ。――なるほど、そういうことか。  理由がわかればどうということはない。  ラブホテル。つまり、ホテルだ。客が大きな荷物を持ってチェックインしたところで、誰が怪しむこともない。  最近のラブホテルは二人一組限定で部屋を貸すことにこだわらず、長期の旅や出張など、ビジネスホテル代わりに利用する一人客を受け入れたり、女子会など多人数での利用を認めたりといった多角的なサービスを当たり前のように展開しているという。旅行客を装えば、ラブホテルだからといって大きな荷物をかかえていてもフロント係に目をつけられることはないのだ。  だから犯人は犯行現場にラブホテルを選んだ。これがシティホテルだったら、ポーターが部屋まで荷物を運ぶので中身は確実にバレるし、ビジネスホテルでもフロントでのやりとりが必ずあるため、ジッパーを閉めていないとバッグの中身が見えてしまう。フロント係が小さな目隠し窓から適当に覗いているだけのラブホテルは、まさにうってつけの現場だったというわけである。  真犯人の描いたシナリオはおよそこんな感じだろう。  バーで津下と親しくなったフリをした茅野は、津下の飲み物にこっそり薬を混ぜて深く眠らせ、ホテルまでタクシーで運ぶ。ホテルのウェイティングルームで真犯人と落ち合うと、意識を失った彼女をボストンバッグに詰める。  準備が整い次第部屋を押さえ、真犯人と茅野皓はカップルの旅行客を装い、津下を入れたボストンバッグとともにチェックイン。扉に鍵がかかり、誰にも見つからない状態になってから、津下をベッドへ寝かせる。  ここまでの作業を手伝ってほしいと、犯人は茅野に依頼していたのだろう。着手金を支払うから目的は聞かないでほしいとでも言い含めておけば、金がほしい茅野なら釣れると踏んだに違いない。  そうしてまんまと犯人の手の上で踊った茅野は、腹と喉を刺されて殺された。目的を果たした犯人は、いよいよ部屋から脱出するのみである。 「……あれ? 結局、どうやって出ていったんだ……?」
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