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星乃と班長が再び目を合わせる。ベテラン捜査員が肩をすくめた。
「ね、いろいろと勘ぐりたくなっちゃうでしょ」
確かに、と星乃は深く同意した。
出張による夫の長期不在。自宅での妻の餓死。第一発見者は妻の不倫相手。
純粋な強盗殺人事案ではないような、きな臭いなにかを感じざるを得ない。刑事の勘、というやつだ。
「第一発見者から話は聞けますか？」
班長が問う。所轄署のベテラン捜査員は「ご案内します」と、班長と星乃を伴って家の外へ出た。昼日中だというのに、太陽の光を遮るねずみ色の雲のおかげで、肌に直接触れる冬の空気は刺さるように冷たい。
第一発見者である三十一歳のクラリネット講師、弓長淳一は、青ざめた顔で眼鏡の奥の瞳を潤ませ、パトカーの後部座席に乗せられていた。思わぬ形で不倫が発覚し、時を同じくして無情な終わりを告げられたこともあってか、すっかり憔悴し、パトカーから降りて自分の足で立った時に軽い眩暈を起こしてふらつく場面もあった。
「水曜日の朝には、連絡がつかなくなっていました」
男にしてはやや高い声を震わせ、弓長は矢上実花の遺体を発見するまでの経緯を詳細に語った。
「毎朝、子どもたちを保育園へ送っていったあと、彼女にメッセージを送るのが習慣になっていました。午前九時頃です。僕の妻も働きに出ていて、その時間には家にいませんから、実花と連絡を取るのは午前中が一番都合がよくて。いつもはすぐに返事がくるんですが、水曜日からメッセージに既読がつかなくなりました。前日のレッスンを発熱を理由に休んでいたので、心配になって電話をかけてみたりもしたんですが、スマホの電源すら入っていなくてつながりませんでした。なにかあったのかもと不安になったんですけれど、もしかしてご主人が出張先から急遽帰宅されることになったのではないかとか、僕との関係がバレたのではないかとか、そんなことを勘ぐってしまって……。ここを訪ねる勇気は、今日まで出せませんでした。もっと早く行動できていたら、実花を助けられたかもしれないのに」
顔を下げた弓長の頬を、後悔の涙が伝い落ちた。互いにパートナーのいる不倫関係だったとはいえ、弓長の態度からは、矢上実花のことを心から想っていたことが窺えた。
弓長が今日この家を訪れたのは、クラリネットのレッスンを無断欠席したためだという。
十二時半を過ぎてもレッスンに現れなかった矢上実花の身を案じ、弓長が矢上の自宅を訪れたのは午後一時過ぎ。車があったので在宅していると思い、インターホンで呼び出したが応答はなく、玄関扉は施錠されていた。不安に感じて南側の庭へ回ると、窓の一つが細く開いており、室内が荒らされているのが確認できた。その時点で警察へ通報、駆けつけた交番の係員とともに、書斎の防音ブースで干からびていた矢上実花の遺体を発見した、という経緯だった。
弓長のスマートフォンに残された情報を任意で提供してもらったところ、弓長の申告どおり、被害者である矢上実花からの連絡は十一日の午後八時過ぎに送られてきたメッセージが最後だった。熱が下がらなくてつらい、喉をやられて声が出ない、といった主旨のことが綴られており、不審点は見当たらなかった。翌朝、十二日の午前九時二分に弓長が送ったメッセージは、こちらも申告どおり、未読の状態になっている。
「夫の犯行、という可能性はないでしょうか」
弓長のもとを離れ、再び家の中へ戻った星乃は、鑑識作業を終えて運び出されていく矢上実花の遺体を見送りながら言った。
「被害者の死因は餓死です。たとえば、出張へ行く前日……十日、成人の日の月曜日に被害者を防音ブースへ閉じ込めておいたとか」
「あり得ない線じゃねぇな」
班長は腕組みをする。
「十一日に弓長が受けた連絡ってのも、電話じゃなくメッセージアプリからだった。夫が被害者になりすますことはできる。だが、被害者のスマホが処分済みだったら、誰がメッセージを送っていたのかを証明することは難しいぞ」
そのとおりだ。実際、被害者のスマートフォンは電源が入っていないという。夫が妻になりすましていたことを立証するのは至難の業だろう。
「いや、でも……」
なにかが引っかかる。普通の強盗殺人とはなにかが違う。
胸の中がモヤモヤしてたまらない。不在の夫を疑えと心が訴えかけてきている気がする。
見逃しているものがきっとあるのだ。引っかかっているなにかの正体がわかれば、真実にたどり着ける――。
「とりあえず、だ」
班長にポンと肩を叩かれた。
「このあたりはもともと空き巣被害の多い地域だ。純粋な強盗殺人なら、逃げた犯人を目撃した人がいるかもしれん」
その一言が号令となり、星乃を含む捜査員は一斉に周辺の聞き込みを開始した。
強盗犯の影は一向に見つからないまま、時だけが過ぎていった。
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