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02 その名は花子さん
「わたしは森 花子。花子でいいわ」
「あ、どうも赤居一太郎です。一太郎と呼んで……って、花子さんっ!?」
思わず、裏返った声が出た。
だってエルフだよ? 金髪で耳のとがった超美人ですよ? ファンタジー異世界の住人ですよ!? それが花子って…!
「悪かったわね。花子で」
愕然、呆然とするオレを見て、エルフのお姉さん──花子さんは不機嫌な顔になった。
「わたしもこの名前、好きじゃないのよ。ありきたりで平凡で……」
「いやいや、エルフで花子さんなんて、平凡じゃないでしょ!」
叫んでからオレは不安になった。
「ていうか、花子さんはエルフ…だよね?」
念のため、確認する。
「そうよ。それが?」
「なのに名前が花子…エルフの花子さん……」
なんか頭がくらくらしてきた。
異世界もの、特に異世界転移は、異世界の風習とかアイテムとか価値観とかに戸惑うのが定番だけど、これは斜め上の展開だ。
オレの中のエルフ像が、音を立てて崩れてゆく。
「何よ? エルフが花子で悪い?」
花子さんが不機嫌ににらむ。
「わ、悪くはないです。ただ、オレの世界では、エルフはみんなカタカナ名だったから。驚いたというか、新鮮だというか……」
へどもどするオレを、花子さんは眺めた後、ぽん、と手を打った。
「それはきっとあの本のせいね。固有名詞まで翻訳しているのよ」
「へ?」
──〈万金鈴の書〉。
この世界のあらゆる言語を翻訳するという魔導書だ。それが今オレの頭に入っている。
あの本の仕業なのか?
「試しに、これからわたしの世界のひとたちの名前を挙げるわね」
ちょっと面白そうな様子で花子さんは言った。
「まずは、樫森 美樹、緑 葉子、小鳥遊 森…これ、みんなエルフの名前よ」
「ええっ!?」
全部、日本人の名に聞こえる。花子ほどのインパクトはないけど。
「それと、あなたが今いるこの国。国の名は、日暮里というの」
「ぶっ!」
思わず吹いてしまった。
「それ、オレが今暮らしてる街と同じ名前!」
「あら、偶然ね。ちなみに大陸の西の端にあるからこの名があるの」
嬉しそうに笑って花子さんは続けた。
「あなたの世界の…カタカナ名だっけ? その固有名詞の中に、意味がわかるものはない?」
「……あ、言われてみれば」
中学の英語の教科書、登場人物でブラウンさんというのがいた。茶色さん、加藤茶とか言って笑ってたっけ。同じ教科書にはブラックやホワイトという苗字もあったな。
女性名だとローズ、リリィ、マーガレットはみんな花の名前だ。
ああ、そうだ。マイケルって名は天使ミカエルからきているんだっけ。ファンタジー関係の本で読んだことがあるぞ。確か意味は「神に似たもの」だっけか。
あと、中国では英語圏の名を訳してるみたいだ。スカイウォーカーを「天行者」って表現してるってなんかで見たことがある。
それと同じことが、オレの頭の中で起きているのか。
オレには「日暮里」と認識されているこの国の名。
日暮里という名は、「日が暮れるまでいても飽きない里」みたいな意味らしい。
でもオレがはじめてこの名を知った時は、「日が暮れる里」という文字から、なんとなく西の端っこにある土地かな、なんて思ったものだ。
その記憶が、西の端にあるという意味であるこの国の名(きっと「ウェスタロス」とか「ゼビュロシア」というんだろう)それを「日暮里」と変換したのだろう。
「なるほど、だからカタカナ名が翻訳……。んん?
待って。何もかも翻訳するというなら、インストールとかエルフとかはなんで訳されないわけ?」
疑問がわいた。
完全にすべてを翻訳するなら、カタカナ語はないはすだ。
「多分、あなたの中に、それを訳す言葉がないからだと思うわ。もしくはより多用されているものが選択されたのかしら。
こちらの世界では、異種族の言語からそのまま取り入れられた語彙はたくさんあって、元の意味は知らないままに使われているわ。あなたの世界でも同じじゃない?」
「言われてみれば……」
パンはパンだし、コーヒーは珈琲と漢字を当てるけど音は同じだ。
スマホやPC関係の用語は、日本語にした意味なんか知らないまま使っている。
エルフの日本語訳には、妖精、森妖精なんてものがあったけど、オレ、つまり現在の日本人が持っているエルフのイメージとはちょっと違う。
「なるほど、オレの頭がピンとくる言葉を使っている、ということか……」
「納得したところで、本題に入っていいかしら?」
メガネをかけ直して花子さんが言う。
そうだった。花子のインパクトが強すぎて、まだオレが何のために呼ばれたのか聞いてなかった。
「この世界は、今、危機的状況にあるのよ」
「よくある異世界ものだね。まかせて、オレは詳しいんだ」
「そうなの? もしかして、あなた、これまでにも別の世界に召喚された経験があるの?」
「それはないけど、こういうのパターンだから」
ちょっとどきまぎしながらオレは答えた。
メガネをかけたエルフのお姉さんに「あなた」なんて呼ばれると、胸が高鳴ってしまう。
異世界に行ってヒーローになる。
この手の話は、大きくわけて二つある。
一つは異世界転生。
こちらの世界で間違って死んだヤツが異世界に転生。その際、神様が間違って死なせたおわびに、チート能力授けてくれるってものだ。
最近の異世界ものはこちらが主流だよね。死因がトラックに轢かれてというものが多いのはなんでだろうな……。
もう一つは異世界転移。
生きたまま(というとヘンだけど)異なる世界に行くというものだ。
問題解決のため召喚される作品が多いイメージがあるけど、超自然現象や特別なマシンで異世界に迷い込むというのも定番だ。
異世界というのは中世ヨーロッパみたいな世界だと決まっている。つまり文明、テクノロジーのレベルが低い。
だからこっちの世界の知識を持つ主人公が大活躍するわけだ。知識や技術がチート能力の代わりだな。この点はタイムトラベルものに似ているかもしれない。
異世界でチート能力に開眼するパターンもあって、展開は転生ものと同じだ。
オレの場合は二番目、異世界転移のほうだ。トラックに轢かれてないからな。
でも、オレはただの大学受験生。
異世界の人より色んな知識はあるが、所詮はただの十八歳の男子である。
となると、あの魔導書がインストール(物理)されたことで、何かチート能力を得たのだろう。
……なんか、ワクワクしてきたぞ!
「この世界の問題を解決するために、オレは召喚された。で、オレはチート能力で無双して問題を解決して、ハーレム築くってわけだよね? やったぜ!」
嬉しくて、つい声に出して言い、拳を握りしめてしまう。しかし──
「……は?」
「……あれ? 違うの」
「あなた、第三九世界線の人ね? 自分のところ以外はすべて劣った世界で、出会う女性はみんな自分に恋をすると思い込んでいるんでしょう」
花子さんは腰に手を当て、憤然と言った。
「えっ? 違うの」
「当たり前よ。もう、どうしてあなたの世界の人は、そんなおかしな固定観念を持っているのかしら」
花子さんは鋭い眼でオレを見た。メガネのレンズのせいか、その視線は冷たく感じられた。
「それじゃあ、チート能力もないの?」
そういえば異世界ものはチート無双だけじゃなかったな。
特に最近は、その世界の底辺に転生とか、いらない子扱いされたりとかいうのも多い。
もしやオレもそんな最底辺に? イヤな汗が背中をつたう。
「すべての言語がわかるというのは、十分チートでしょう」
「そう…かもしれないけど……。それだけなのぉ?」
最底辺やいらない子ではないらしい。
安心したがガッカリした。
てっきり、この花子さんがハーレムの最初の一人かと期待していたんだけど。
「さっきも言ったけど、この国は危機的状況にあるの。言語を自動翻訳する魔法のシステムが崩壊し、まだ復旧の目途が立たないの」
「それは…大変ですね」
──言葉が通じない。
それはおそろしいことだ。
オレもついさっき体験したばかりだ。言葉が通じないと命乞いもできない。
「そこで〈万金鈴の書〉を用意したのだけど、手違いがあってね。この世界の者には使えないことがわかったの」
仕様とかソフトのバージョンが対応してない、みたいなものだろうか。
「それで人材召喚会社に依頼して、使うことができるひと──つまりあなたを派遣してもらったというわけ」
「なんだそりゃ? 人材派遣業の異世界版?」
思わず叫んでしまった。
そして気づいた。
「オレ、そんなものに登録した覚えないんだけど?」
もしかして、オレ、手違いで召喚された…?
ついイヤな想像をしてしまう。
手違いで召喚された主人公って、ロクな目に遭わないからな。
「あなたのそれ…すまほ、だったかしら? それに通知がなかった?」
「花子さん、スマホ知ってるんだ」
人材召喚会社とかが存在してることからして、異世界から召喚されてくるひとは多いのかも知れない。ならスマホを知っていてもおかしくない。
オレはスマホを取り出し、電源を入れた。
驚いたことに圏内だった。アンテナ三本立っているし。
しかしそれより驚いたことがあった。
「なんだこりゃ?」
見慣れないアプリの通知が来ていた。
──お仕事マッチングアプリ〈ぶっとび〉。
ふざけた名前のアプリだ。
まてよ? そう言えば、試験会場に入る直前、通知音が鳴ったっけ。あれは異世界に召喚することの通知だったのか?
「でもこんなアプリ入れた覚えは……あっ!」
思い出した。
「これ、去年の夏にバイト探してた時に入れたヤツだ。使ってないから忘れてた」
たしか、高校二年の夏休みに入る直前だった。
友人たちとファミレスでダベりながら、バイト検索アプリを適当にいくつかインストールしたのだ。その中の一つだ。
まさか異世界からの求人があるとは思わなかったよ……。
「納得した? 時間が限られているから早くはじめてもらいたいのだけど」
そう言って、花子さんはテーブルの上にどさっと書類のたばを置いた。
「自動出力された文書よ。あなたはこの翻訳のため、呼ばれたの」
山と置かれた書類。それを見て、オレはため息をついた。
せっかく異世界に召喚されたというのに、文書の翻訳が仕事とは。
「わからないことがあったら、何でも聞いてね」
──なんでも聞いてね。
花子さんみたいなキレイな人に、そんなこと言われるとドキドキする。
いやそんな展開はないという話なんだけど。
まあ、バイトだと思えばいいか。こんなキレイなお姉さんと働くバイトなんてそうないからな。
「しかし、かなりの量があるな。これ」
読むだけでもかなり時間がかかりそうだ。それに翻訳もしなければならない。
オレにインストール(物理)された翻訳魔法がどれほどのものかはわからないが、どれだけ時間がかかることか──
……ん? 時間?
「ああーっ!」
色々あってすっかり忘れていた。
今日はオレにとって大事な日だった。
「ダメだよ! オレ今日、入試試験なんだよ!」
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