03 だから、ちゃんと読みなさいよ

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03 だから、ちゃんと読みなさいよ

 そうだった。  立て続けにインパクトのある事態に遭遇したせいで、すっかり忘れていた。  今日は、本命の大学の入試テストだった! 「ゴメン、花子さん! 今日はダメなんだ」  花子さんに頭を下げて頼む。 「ダメって…今からそんなこと言われても無理よ。召喚された以上、あなたは依頼を全うしなくてはならない。そういう契約でしょ」 「そんなこと言わずに。お願いだから帰してよ。大事な試験があるんだ」  ああ、あれからどれだけ時間が経ったんだ?  試験会場である教室。そこに着いたのは、試験開始の四〇分前くらいだったはず。急げばギリ間に合うかも……。 「だから無理よ」  アセるオレに、花子さんは冷たく言った。 「わたしは、人材召喚会社に〈万金鈴の書〉を使える人間を求むという募集を出しただけだもの。召喚も帰還も、その会社が行うことだから、わたしにはどうすることもできないわ」 「それじゃあ、その会社にかけあえば……!」  かすかな望みをかけて、オレは言った。  しかし花子さんは首を横にふった。 「契約条項を見なさい。依頼を解決するか、十二時間経過による自動帰還機能が発動しない限り、元の世界には戻れない、と書いてあるはずよ」 「うそぉ?」  オレはスマホの、人材召喚会社のアプリ〈ぶっとび〉を見た。 「……たしかに書いてある」  交通費は当社負担。勤務時間はあなたの働き次第。最長で十二時間。早く終わっても満額支払い。おやつ、まかない付き──と書いてある。  そうだ……。このアプリを入れた時、交通費は支給で、早く終わっても全額! ラッキー! って思い込んだオレは、了承ボタンを押してしまったのだ。 「……終わった。オレの大学受験」  いや滑り止めもいくつか受ける予定だけどさ。  でも最初の入試試験。のっけから敗北確定っていうのはかなりヘコむ。 「契約内容は、ちゃんと読みなさいよ」  膝からくずおれたオレに、呆れ顔で花子さんが言う。  正論なので何も言えない。 「さあ立って。大事な試験があるなら、なおのこと早く終わらせないとね」  しょげるオレに花子さんは明るく言った。 「どんなに早く終わらせたって、もう間に合わないよ」  オレはスマホの時計を見た。時刻を確認するためだった。ところが── 「あれ?」  スマホの時計、その秒針が動いてない。止まっているのだ。  時刻はオレがここに召喚された時間、つまり試験開始の四〇分前で止まっていた。 「世界の境界を越える際、時間の連続性は断たれるのよ」  呆然としているオレに花子さんが言った。 「どういうこと?」 「簡単にいうと、こちらから元の世界に戻ると、あなたは元いた場所、元いた時間に還るということよ」 「……つまり、こっちで何時間すごしても、あっちの世界ではまったく時間が経ってないってこと?」 「往還の際にタイムラグが発生するからゼロではないけれど、それも長くて数秒程度だと聞いているわ」 「な、なんだ、心配することなかった」 「だから、ちゃんと読みなさいって。そのことも書いてあるはずよ」 「……はい」 「さあ、はじめてちょうだい」  花子さんは、山と積まれた書類を指差し、言った。 「うわぁ、なんじゃこりゃ?」  山積みの文書。その一枚を手に取って、オレは声を上げた。 「自動印刷された議会の議事録よ」  花子さんが言う。 「この国では、一〇〇年くらい前から魔法による自動化が進み、議会など公的な会議は自動的に印刷される仕組みになっているの」  後で聞いたけど、花子さんたちの国──日暮里は、いわゆる先進国らしい。オレたちの世界で電子機器に相当する魔法機械が存在し、それによる自動化が進んでいるのだという。  魔法で動くビデオ+プリンターみたいな機械があって、それが会議とかの映像音声を記録しながら、同時に発言をプリントアウトするらしい。  それが今オレが手に取っている紙だ。  大きさはA4くらい。光沢のない白い紙は、オレたちの世界のプリンタ用紙そっくりだ。印字されている文字も活字体っぽいものだ。  しかしその内容は複雑怪奇なシロモノだった。 「この日暮里のある大陸は、多くの国と種族があり、その数だけ言語がある。そこで言語を自動翻訳する魔法システムが作られたわけなんだけど、それが今、機能しなくなっているの。  住民のほとんどはマルチリンガルだから、日常生活ではそれほど問題はないのだけど、自動印刷される記録文書が、この通り大変なことになったの」  文字通り大変な有様だ。  異世界の文字だけど、一目で文字や文法が異なる複数の言語で書かれていることがわかった。  例えるなら、句読点ごとに日本語、英語、フランス語、ロシア語、ギリシア語、アラビア語などなど…異なる言語で書かれている感じだ。 「文字に集中して。目を凝らして見て」  花子さんの美しい声に言われ、オレは文書に目を凝らした。すると── 「……あっ!」  複雑怪奇な文書が、オレが目を凝らすと日本語になって見えた。 「見えた! 読めるよ花子さん」 「ではそれをこっちの紙に、共通語で書き写して」  そう言って、花子さんは万年筆そっくりのペンをオレに手渡した。 「あなたは、あなたの故郷の言葉で書くだけでいいわ。共通語は…ここ、ライ麦パンの定義について決を採るって書いてあるところ。ここがそうよ」  花子さんが文書のある部分を指差す。 「この言語で書く、と念じて書いてみて」 「う、うん……おおっ!?」  驚いた。  オレは日本語で書いたのに、花子さんの言う通り念じて書いたら、この世界の共通語で書かれていた。それも活字そのものという文字でだ。  思わず顔を上げると、すぐ近くに花子さんの笑顔があった。  ちょっと…いやかなりドキドキしてしまった。  きっとオレの顔は赤くなっていたと思う。 「その調子でお願いね。専門用語とか、わからないことがあったら聞いてね」  何事もない様子で花子さんはそう言うと、テーブルの向こうの席に着いた。  年上の余裕、だろうか。ちょっと悔しい。  ともあれ、オレは翻訳作業を開始した。  じっと目を凝らし、日本語として見えるようになった文書を別の紙に書き写してゆく。  読んで書く。読んで書く。  読めない言葉が出て来ると、花子さんに声をかける。  翻訳魔法は万能でも、オレの頭の中にない語彙や用語、慣用句まではわからない。 「度々すいません……」 「気にしなくていいわ。こんな役人言葉、官僚でもないとわからないわよ」  わからない言葉のほとんどは専門用語だった。  政治、法律、宗教関係の言葉。それと略語や役人言葉。  官僚の議事録では、この役人言葉に苦労した。役人ってのは、どこの世界でも同じなんだと思った。 「すいません、ここいいですか? 意味が通じなくて……」  別の問題が発生。  今度は言葉はわかるが意味が通じない。  その理由は、人名や地名を直訳したことによる混乱か、その言語特有の慣用句か略語だった。特に慣用句を略したものが難題だった。  例えば「ヤブヘビ」や「タナボタ」を英語で直訳したらと考えてみてくれ。  ブッシュスネークとか、そういう名前のヘビがいると思うだろう。タナボタなんか訳しようがない。 「どれどれ…。これ巣鴨の言葉ね。ごめんなさい、わたし巣鴨の言葉はできないの。調べるからちょっと待って」  花子さんは、母国語、大陸全土で通用する共通語に加え、三つの種族言語と四つの国の言葉ができるマルチリンガルだった。  その花子さんでもわからない言語はある。なんせこの大陸では、五〇以上の言語が使われているというのだから。  こうなると辞書を引くしかないのだが、今のオレは辞書も使えない。全部直訳されてしまうからだ。  なので花子さんに調べてもらうしかないのだ。 「……それにしても、この世界の国名ってなんか偏ってない?」 「そう?」 「この国は日暮里。さっき出たのは浅草、月島。で、今回は巣鴨……」 「共通するのは、先進国または列強と呼ばれる国々ばかり、ということかしら?」 「そ、そうなんですか」  ちなみに標準的な日暮里人(この名前には慣れない)は、日暮里語に共通語、異種族言語一つと外国語二つの読み書きができるそうだ。  英語にすら苦戦するオレなんか、この国では底辺もいいとこだ。  誰だよ、異世界は劣っているものだ、ってイメージ作ったのは。  翻訳する文書は、議会や省庁の議事録、外交文書、予算案、稟議書、各種の通達など、大半が政府関係の文書だった。他には農協や職人組合、いわゆるギルド関係も多かった。 「ギルドといえば、冒険者ギルドってのはないの?」  ちょっと気になったので花子さんに聞いてみた。  これまで翻訳した中には鍛冶、石工、皮革、魔法道具、宝石、海運などのギルドが出て来たけど、異世界ものにつきものの冒険者ギルドは名前すらなかった。 「冒険者ギルド? 聞いたことないわね。そもそも冒険者というのは何?」  きょとんとする花子さん。 「えっ? 冒険者いないの? じゃあ村がモンスターに襲われたりしたらどうしているの? ドラゴンのいるダンジョンの探索は誰がやってるの?」 「村がモンスターに襲われたら、地元の猟友会が対処するわね」 「ぶっ!」  異世界に猟友会? ファンタジーな世界に猟友会!?  せめてハンターズギルドとかじゃないのぉ? 「もしもハンターズギルドで対処できないような相手なら、軍が派遣されるわね」 「へっ?」  猟友会がハンターズギルドに変わっていた。  ああ、そうか。オレがふさわしいと思ったほうに変換し直されたのか。翻訳魔法ってこういうこともあるんだな。 「あとダンジョンの調査は、考古学者か歴史学者が行くわね」 「は? その人たちってドラゴンと戦えるくらい強いの?」 「どうしてドラゴンと戦うのよ? それじゃ強盗でしょ」 「え?」 「専門のコーディネーターに依頼して、ドラゴンに調査協力をお願いすれば、普通に調査させてもらえるわよ? 中にはガンコだったり、高額の謝礼を要求するドラゴンもいるけど、そこは交渉しだいね」 「ずいぶんと平和的なんですね」 「中世じゃあるまいし、今時ダンジョン攻略なんて野蛮なことしないわよ」  うわぁ、エルフが中世とか今時とか言ってるよ。  マジでここってオレの知るファンタジー世界と違っているんだな。まさに異世界だ。  そんなこんなで翻訳は順調に進んだ。  はじめは手間取ったけど、要領がつかめてくると処理のペースはぐんぐん上がって行った。  花子さんはオレの向かいで、細かい文字が書かれたカードを整理していた。  尋ねたら、百科事典の編纂作業だという。もう五年くらいやっているそうだが、まだ下準備の段階らしい。 「わたしが生きている間に、完成できるかしらね」  と、花子さんは笑って言った。  エルフの寿命をもってしても完成できるかわからない百科事典って、どんだけのもの作るつもりなんだろ。ライフワークってレベルじゃないぞ。  そんな雑談をしながら、オレは翻訳作業を続けた。  しぶしぶはじめた作業だけど、次第に楽しくなってきた。  花子さんと働いているから、というのも大きい。  一つ片付けるごとに花子さんにチェックしてもらい、「よろしい!」と笑顔で言われた時のこの達成感。この充実感よ。 「もう、このままずっと花子さんと働いていたいな。オレ」  思わず、そんなことを言ってしまった。  花子さんはちょっと驚いた顔した後、微笑んだ。 「何を言ってるの。あなた大事な試験があるのでしょう」  流された。  冗談だと思ったのかもしれない。わりと本気で思っていたのだけど。 「早く終わらせないと、試験に間に合わないわよ」  そう言って花子さんは、机の上にあるどでかい砂時計に目をやった。  二リットルのペットボトルよりも大きい砂時計。その砂は三分の一ほどが下に落ちている。 「えっ? こっちにいる間、向こうの世界の時間は止まっているんじゃなかった?」 「その通りよ。でもタイムアップで自動帰還された場合は別よ」  ……タイムアップ? なにそれ? 「どういうこと?」 「召喚会社が召喚した異世界のひとは、召喚されてから十二時間が経過すると自動的に送還されるの。その場合、あなたは元いた世界の、元いた時間の十二時間後に送還されるのよ」 「なんですとっ!」  それってもう夜! 試験終わってるじゃん! 「な、なんでそんなことに?」 「時間の連続性を断つのは十二時間が限度だからよ。召喚会社のシステム上の都合らしいわ。それもちゃんと書いてあるはずよ」  言われて、オレはまた〈ぶっとび〉の注意事項を見た。  ……書いてあった。すみっこに書いてあったよ。 「だから、ちゃんと読みなさいって」  オレの顔色を見て花子さんが言う。 「こんな細かいとこ、誰も読まないよぉ」 「何を言うの!」  花子さんが、突然大きな声で言った。 「お読み下さい、と書いてあるものを読まないのは愚かなことよっ! 現にあなた、そのせいで困った事態になっているじゃない」  その通りなので何も言えない。 「そもそも文書というのは、手書き、印刷を問わず尊いものなのよ」  何かのスイッチが入ったらしい。  花子さんは拳を握り力説する。 「言葉は発する端から虚空に消え、想いは時とともに変容してゆく。それを残すのが文字、文書なのよ。文字が、文書があるから、わたしたちは他者に情報を、想いを伝えることができる。今は亡き過去の人々の知恵、技術、そして想いを、時を越えて知ることさえできるのよ。  そう! 文書とはただの情報にあらず。想いを伝えるものなの! 文書を読むということは、今そこにいないひととのコミュニケーションなのよ!」  ああ、このエルフ、マニュアルとか、すみからすみまで読まないと気が済まないひとだ。  中学の同級生にいたっけ。目次から奥付まで、全部読まないと読み終えたと言わないやつ。 「でもね、読む側、聞く側に言葉が通じなければ、聞く気がなければ、理解するつもりがなければ、どうにもならない」  きっ、とオレを見て花子さんは続けた。 「伝える側がどれほど努力しても、受け取る側にその気がなければ正しい情報は伝わらず、想いは歪んで届いてしまう。コミュニケーションは、双方にその気がなければ成り立たないわ」  うん、よくわかる。  さっきインストール(物理)をされた時、骨身にしみてわかった。 「だから、受け取る側の姿勢が大事のなのよ。一言一句正しく受け取るため、真剣に、誠実に、読まなくてはならないのっ!」  オレは多分、呆れ顔してたのだと思う。  それに気づいた花子さんは、わざとらしく「こほん」と、かわいいせきばらいをした。 「わたしとしたことが、つい我を忘れてしまったわ」  そう言うと、花子さんはまたどデカイ砂時計に目をやった。 「早く片付けてしまいましょう。自動帰還機能が働くまで、残り四時間ほどよ」 「ええーっ!?」  オレは仰天した。  この翻訳作業は、体感的には四、五時間程度続けていたと思う。  仮に五時間だとすると、五+四=九、九時間。  十二-九=三。三時間はどこに消えた? 「あなたに〈万金鈴の書〉をインストールするのに手間取ったから」 「オレ、そんなにもインストール(物理)をされていたのか」  あの座布団みたいな魔導書で、オレは三時間もぶん殴られ続けていたのか。  殴られてるうちに気が遠くなってしまい、時間の感覚がなくなっていたようだ。よく生きてたな、オレ。  そういや、言葉が通じてすぐ花子さんは言ってたな。  ──でも、これはあなたのためでもあるのよ。  あれはタイムリミットのことを言っていたのか。  うーわー! がんばって終わらせないと、試験に間に合わない!
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