第一幕 第3章 私だけの居場所

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朝から雨が降っている日ほど、布団から出るのが憂鬱な日はない。東向きの私の部屋は、晴れていれば暖かい日差しが差し込んでくるため、起きるのが苦手な冬の朝でもなんとか布団とおさらばできる。でも、雨の日となると話が違う。 「加奈、いい加減起きなさい」 2階の私の部屋に、わざと大きな足音を立てて上がりこんでくる母親。「もうちょっと待って」「待てない」「あと5分……」「それなら、朝ごはんなしよ」と無意味な問答にとどめを刺されるまで、布団の温もりを手放せない。  昨日はあんなに晴れていたのに、今日は窓の外から土の匂いがする。 「さっさと食べて、学校行きなさい」 「はあい」 母は、私が学校でクラスメイトから省かれているなんて、夢にも思ってないだろう。普段過保護気味のわりに、そういうところは鈍いようだ。私にとっては、その鈍感さがありがたかったが。 母が作った卵焼きを咀嚼していると、だんだんと頭が冴えてきた。私は甘いのが好きなんだけれど、いくらリクエストしてもうちの卵焼きは永遠にしょっぱいままだ。母と父が、しょっぱい卵焼き派だから、変えてくれないのだろう。 ともかく、卵焼きのおかげでようやく身体が温まってきたので、なんとか学校に行けそうだ。 「行ってきます」 「はい、行ってらっしゃい」 水玉模様のお気に入りの傘を手に雨の中、学校に向かう。 雨が降っていると、動物たちもあまり姿を現さなかった。小さい頃から不思議だった。鳥や野良猫たちは、雨風の日、どこに身を潜めているんだろうと。雨に濡れて風邪をひいたり、台風の日に風に飛ばされたりしないのだろうか。けれど、彼らの声が聞こえるようになって、今日みたいな日にはきちんと自分の身を守っているのだということが分かった。常に、彼らの行動を気にするようになったおかげだ。 裾の濡れたコートから水を払って、教室まで上がる。 「おはよう」 どんなにクラスメイトに無視されようが、朝教室ですれ違う人には絶対に自分から挨拶をすると決めていた。それが、いじめとか無視に対する抵抗になると信じて。 今日も、いつも通りだと思っていた。 いつも通り、誰も挨拶を返してくれないまま席につく。昨日、串間悟だけが挨拶をしてくれて、もしかしたら今日も彼だけは挨拶をしてくれるかもしれないという淡い期待だけが胸の奥に膨らんでいた。 しかし期待は外れて、今日は悟でさえ挨拶をしてくれなかった。それどころか、彼は私が側を通り過ぎた時、気まずそうに顔を伏せた。見間違いかと思った。だって、彼がこんなに分かりやすく私との接触を避けているのを目の当たりにすることなんて、今までなかったから。周囲のクラスメイトより、落ち着いた雰囲気を纏っていて、どちらかと言うと私の味方をしてくれている、と。でも、今日の彼の行動を見て、それは私の勘違いだったのかもしれないという疑念が生まれた。 だったら昨日の挨拶はなんだったんだと不思議だったが、彼にだって気分というものがある。昨日はなんとなく、哀れな私に挨拶を返してあげようと、優しさが芽生えただけかもしれない。 「……ずるいよ」 彼の隣を通り過ぎた際、無意識に口から漏れ出てしまった。咄嗟に、「しまった」と思った。決して彼に聞かせたいわけではなかった。心の中で呟く程度で良かったのに。 けれど、一度口に出してしまった言葉は、修正が効かない。串間悟ははっと顔を上げて、私を一瞥した。どうしたらいいか分からない、そんな戸惑いの表情だった。 席についてからも、いつにも増して異様な空気が漂っているのを感じた。
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