第一幕 第3章 私だけの居場所

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新しい学期の始まりはいつも、始業式とホームルームで終わるから、早く帰ることができる。文芸部という週に2日しか活動がないゆるい部活に所属しているため、この日は当たり前のように活動がなかった。 ホームルームが終わるとさっさと荷物を詰めて教室を出る。中学校から自宅まで、歩いて10分ほど。早歩きしたら7分ぐらいで着くだろう。 こんなに時間があるのに、中学生ってお金持っていないし、不自由だ。 不自由。 下校途中、赤信号に引っかかって、空を見上げる。 相変わらずの曇天模様。 今朝学校に行くときには、ほんの少しばかり期待もしていた。もしかしたら、クラスメイトから無視されていたのも、2学期だけのことだったのかもしれないって。3学期になれば、みんな私を無視していたことなんか忘れて、前みたいに普通に話しかけに来てくれるんじゃないかって。そもそも私は、根暗だとか愛想が悪いとか、そういう性質を持ち合わせているわけではない。少なくとも自分ではそう思っていない。自分から挨拶もするし、仲の良い友達には遊びに誘うこともあった。もちろん、田中理恵のようなクラスの中心的人物は別として。 それなりに、「普通」の生徒だったはずだ。 それが、気がつくとクラスメイトから省かれている。最初は気にしないようにしていたけれど、本当はかなりダメージをくらっていた。 赤信号が、青に変わる。 今まで走っていた車がピタリと止まり、横断歩道を渡る歩行者を睨み付ける。私にとって、なぜかそれが心地よい。学校で無視されているからか、運転手たちがぼんやりとでも自分を見ていてくれることが、嬉しかった。虚しいけれど。 そのまま真っ直ぐに道を進んでゆけば、自宅にたどり着く。家に帰ればそこが私の居場所だ。さすがに、家族からも無視されるなんてことはない。むしろうちの親は過保護でちょっと面倒なくらいだ。 不自由。 学校と自宅を往復するだけの時間なんて。しかも、学校に私の居場所はない。空気のように、できるだけか影を薄くして息を潜めているだけ。 一歩。 自宅へと続く横断歩道を渡り終えた私は、体の向きを九十度転換し、右の横断歩道を渡り始めた。 なんとなく、抜け出したくなったから。 不自由な毎日から。正真正銘の寄り道。道を踏み外してみたくなった。クラスの皆が、一人のクラスメイトを無視するという、道徳に欠けることをしているのだから、私にだって、これくらいの自由、許されるはずだ。 下校中に通学路から外れて寄り道をするのは初めてだ。規則違反をしているという罪悪感はあったけれど、心のどこかでワクワクしている。真っ直ぐ続くこの道が、自分をまだ見ぬ新しい場所へ連れて行ってくれる気がした。全く知らない道ではないけれど、親と一緒のとき以外は子供だけで校区外に出ることが禁じられているので、緊張した。 5分、10分、と歩くうちに、道沿いのとある店の前にちょこんと座っている猫が目に入った。 「あ」 道端で猫を見かけると、ついつい愛でたくなる。母親は「野生の動物を触るのは汚いからやめて」と言ってくるが、母の目を盗んで犬や猫の背中を撫でた。大抵の子はすぐに逃げてしまうけれど、たまに人間に慣れている動物もいて、触ってもじっとしている。それどころか、私が立ち去ろうとするとすり寄ってくる猫なんかもいるから可愛い。とにかく、動物と触れ合っていると癒されるのだ。 その猫は、『桜庭書房』という本屋さんの前に居座っていた。番犬ならぬ番猫のようなものだろうか。近寄っても、じいっと私を見つめたまま動かない。 「猫さん、こんにちは」 猫を撫でる時は、頭からではなく、あごの下から撫でるのがコツだ。上から撫でると敵とみなされて警戒されてしまう。「危害を加えませんよ」というふうに、下から撫でて徐々に慣らしていくのがポイント。 「番人」の三毛猫は、私が近寄っても全然逃げない。まあ、お店に鎮座するような動物が人に慣れているんだろう。 喉を鳴らし、気持ち良さそうに目を細める姿を見て、憂鬱だった気分がすっと晴れた。動物に癒されてるなんて、私もまだまだだ。 せっかく仲良くなった猫が守っている『桜庭書房』をそのまま素通りするのも何だと思い、私は木製の扉を開けた。下校中の寄り道は禁止されているから、店に入る時は周りを見て、知っている人に見られていないかと緊張した。特に、先生に見られていたらたまったもんじゃない。 無事に誰にも見られていないという確認が取れたのでほっとしながら店内に立ち入ると、ほわっと漂う木の匂いに、懐かしさを覚えた。田舎に住むおばあちゃんちの匂いだ。人によっては苦手だと感じる人もいるだろうけれど、私は嫌いじゃない。  
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