第一幕 第3章 私だけの居場所

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「私、動物が好きなんです」 実際に飼ったことはないけれど、特に犬や猫を愛する気持ちは誰にも負けないと思う。小学校の頃、仲の良かった友達が犬を飼っていて、よくその子の家に遊びに行っていた。ゴールデンレトリバーで、体は大きいけれど大人しくて可愛い。何度も会いに行っていたから、私の匂いを覚えてくれて、全然吠えられることもない。慣れてきたら座っている私の膝にあごを乗せて甘えてくることもあった。でも、友達はよく些細なことで犬を叱っていて、どうしてそんなに怒るんだろう、と不思議でたまらなかった。私が見ていないところでは、デレデレだったのかもしれないけれど。 「そうなんですね。購入されますか?」 店員なのだから、お客さんに本を買うように勧めるのは当たり前といえば当たり前だ。ただ、芦田さんの聞き方は、どうしてか全然いやらしくなくて、「はい」とそのまま答えてしまいそうだった。 「欲しいけど、お金持ってなくて……」 中学では学校にお金を持っていくことも禁止されているため、こうして登下校中に寄り道した先で何かを買うことができない。それでもこっそり現金を持ち歩いて買い食いする生徒がいるから、時々生活指導の先生にばれて問題になっている。 私はそういう、「問題児」扱いされるのは御免だ。 優等生でなくてもいいから、せめて波風を立てない人間だと思われたい。 でも。 手にした雑誌の表紙を飾る愛くるしい三毛猫が「私を買って」と訴えかけてくるようでつらい。私だって、本当は買ってあげたい。う〜ん。 無理だということは分かっているのに、どうしても手放せない。そのまま目を瞑って雑誌ラックに戻せばいいのに、身体が動かない。三毛猫の大きな瞳に吸い寄せられているかのようだ。 「そういうことでしたら、お客様。私に考えがあります」 唐突に、店員さん——芦田さんが、張りのある声でそう言うと、すたすたとレジカウンターの奥の部屋に行き、小さな箱を手に持って戻ってきた。 「それ、何ですか?」 彼女が持っていたのは白い箱だったが、色褪せて茶色に変色していた。たぶん、だいぶ古いものなんだろう。 芦田さんが右手で白い箱の蓋を開けて、中身を見せてくれた。 これは、時計? 見る角度によって、黒光りする時計。多少キズが入っているところを見ても、年季ものなのだと分かる。 しかし、時計の針は今もなお、きちんと動いているから、十分に使えそうだ。 「見ての通り、腕時計です。“ブラック時計”と呼んでいます」 そのままじゃないか——と突っ込みたい気持ちは抑えて、それ以上に気になっていることを訊いた。 「腕時計と雑誌に何か関係があるのですか?」 そう。私が「雑誌を買いたいけれどお金がない」と言ったところで、なぜ急に腕時計が出てくるのか、不思議だった。 「つまりですね、雑誌をタダで差し上げる代わりに、一定の期間、この腕時計をつけていただけないか、というお願いのです」 つまり、というわりに、全くもって説明になっていない。 私は、おそらく自分の倍以上は生きているであろう店員さんを、胡散臭いなと目で疑った。 「うーん、あまり意味が分かりません」 正直な感想を述べさせてもらう。 自分よりもうんと年上の大人の人から、今みたいな説明をされたところで理解できる人の方が少ないだろう。というか、もしそんな人がいたら宇宙人に違いない。
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