第一幕 第3章 私だけの居場所

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   しかし、そんな私の諦めに反して、思わぬところで時計は効果を発揮した。  変化が現れたのは、その日の下校中のことだった。 「ご飯ちょうだい」  帰り道、突然誰かに声をかけられた。それが、あまりに奇妙な台詞だったから、「えっ」と思わず声を上げてしまったほどだ。まだ、「すみません」とか「こんにちは」とか挨拶ぐらいだったら、ここまで驚きはしなかっただろう。 「ねえ、くれないの?」 「だれ……?」  もっと奇妙だったのは、声のする方を振り返っても、誰もいなかったことだ。いたのは、足元に一匹の黒猫だけだ。  ん、猫? 「ごーはーん」  正直、顔がひきつって痺れてしまうんじゃないかと思った。だって、足下にいる黒猫の口から、はっきりとその言葉を聞いたから。 「どういうこと……」  最初、何が起こったのか全く分からなかった。聞き間違いかと思って、二度三度、周囲を見回した。けれど、やはり私に声をかけてきたと特定できる人物はいない。それに、いくらなんでも女子中学生に向かって「ご飯ちょうだい」はないだろう。 「僕の声、聞こえてるんでしょ」  間違いない。  足下から私を見上げてつぶらな瞳で訴えてくる黒猫は、私が自身の言葉を理解していると分かったのだろう。 「よく分からないんだけど……うん、聞こえてる」 「やっぱりねー」  黒猫は自分のしっぽを追いかけるようにその場をくるりと一周してみせた。  そうか。これが、『ブラック時計』の効果なんだ!  黒猫の声が聞こえるなんて、現実で絶対にあるわけがない。だから、時計をつけている私の特権なのだ。  動物が好きな私は、『ブラック時計』をつけていれば彼らの声が聞こえるということに、一気にテンションが上がった。 「あなたの言葉が分かるって言ったら、驚かないの?」  猫とまともに口を利いている自分が滑稽だと思いながらも、彼との会話はとても気になる。 「ちょっとびっくりしたけど、たまにいるよ」 「いる?」 「人間の子供で、僕たちの声が聞こえる人」 「それ、本当?」 「本当の本当さ」  そういうものなのか。  小さい子なら、私たちや大人には見えないものが見えるって聞くし、あながち嘘でもないかも。 「ふーん。なんか、納得できるような、できないような。まあ、どっちでもいいや。とにかく、時計のおかげであなたの言葉が分かるようになったんだね」 「時計っていうのが僕には分からないけど、そういうことさ」  黒猫は、単に私が小さな子供みたいに、偶然猫の言葉が理解できるのだと思っただろう。 「状況は分かった。でもごめん、私、猫の餌は持ち合わせてないの」 「そこ、一番期待してたことろなんだけどな」  頬を膨らませる黒猫がちょっと可愛らしい。  私がご飯を持っていないと分かると、もう用がないのだと言わんばかりに、ぷいっとお尻を向けて歩き出した。尻尾が垂れ下がっていて、しょぼくれたようだ。  『ブラック時計』のおかげで動物と話せるなんて、彼らが大好きな私は、一瞬胸の高鳴りを感じた。  でも、よく考えたら、動物の声が聞こえるという効果じゃなくて、誰かの心が見えるという効果の方が良かったかもしれない。例えば、人に言えない秘密を知って弱みを握ってやるとか。そうしたら田中理恵を始め、クラスで私を無視する人たちを懲らしめてやりたい。ははっ、なんだそれ。私、性格悪いじゃん。  動物との会話。  決して悪くはない恩恵だけれど、何かの役に立つかと聞かれたらそうではないかもしれない。  これから何が起こるのか、それとも何も起こらないのか。  全く予想がつかない。でも、動物と会話できるのはちょっとワクワクするので、しばらくは持っておこうと思う。
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