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今日はもう、篠田君はいないかもしれない。
私は緊張しながら、年間パスポートで植物公園の広い敷地に入場する。走り出したい気持ちを抑えて、早足で篠田君の姿を探す。
頬に触れる風はまだ少し冷たい。ぼんやりと薄青い空の下で、公園中の植物たちが息を潜めて本格的な春の訪れを待っているみたいだ。
私と同じく年間パスポートを持っている篠田君は、月水金の放課後は、植物公園のどこかで必ずスケッチをしている。
今日はあっさりと彼を見つけることができた。
様々な種類の桜が植わるさくら園の片隅に、見慣れた制服姿。
篠田君はソメイヨシノの木の下で、スケッチブックを広げていた。二日前の月曜に来たときにはほとんど咲いていなかった桜は、着実に花の数を増やしている。
「篠田くん!」
私が声をかけると、篠田君が顔を上げた。
「やあ、大庭さん。今日も来たの。本当にここが好きだね」
「それ、お互い様でしょ」
私が笑いながら言い返すと、篠田君も目を細める。
「まあ、そっか。だってこれだけたくさんの種類の桜が一度に見られる場所は、そうそうないから」
「と、言いながら、スケッチの題材は王道のソメイヨシノなの?」
「この淡い色の花を絵にするのは、難しいんだよ。それだけに、挑戦したくなる」
篠田君はスケッチブックにさらさらと鉛筆を走らせる。
彼の細くて長い指は、きっと美しい桜を描くだろう。
「いいな、篠田君は絵が描けて。私は絵のセンスがゼロだもん」
「大庭さんは植物が育てられるんだから、すごいよ。俺は何回挑戦しても、いつもすぐに枯らしてしまう」
「慣れだよ。何度か失敗しても、続けたらコツがつかめる」
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