今はもういない君と、桜の木の下で

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 篠田君と私は、植物公園の近くにある都立高校の一年生で、クラスメイトだ。  彼と私が親しく話をするようになったのはここ一ヶ月のこと。  自宅の庭で植物を育てるのが趣味の私は、植物公園の丁寧に手入れされた植物を見るために、学校帰りによくこの植物公園に訪れていた。  公園に通いつめるようになってすぐ、私は自分と同じように、高校の部活にも入らず、植物公園に入り浸っている篠田君の姿に気づいた。  同じクラスだけどほとんど話したことのない篠田君は、絵を描くのが好きなようだった。  植物公園の至るところでスケッチをする彼を見かけた。私は彼の存在が気になりつつ、しょっちゅう公園で出くわす割には会話のきっかけが掴めないまま、一年弱。  もうすぐ学年が変わろうという頃に初めて言葉を交わした私たちは、自然に打ち解けた。 「これからしばらくは、桜を描くの?」 「うん。今が三分咲きだけど、今のうちに下絵を進めて、満開の様子を色塗りしたい」 「ずっと立ったまま描いていて、疲れない?」 「少し疲れるけど、この高さからみた構図が一番綺麗だから」  篠田君は桜の木の下、色白な頬に穏やかな笑みを浮かべる。  凛と背筋を伸ばす篠田君は、桜に負けないくらい美しくて、儚い。  それから二日後の金曜日、篠田君はまた同じ場所でスケッチをしていた。  桜の花は、もう五分咲きくらいになっている。  「順調?」と私が問うと「順調」と、篠田君は誇らしげに答える。  私たちの近くを歩いていた老夫婦が、驚いたような顔でこちらを振り返った。篠田君は老夫婦の反応は気に留めず、真剣な眼差しでスケッチブックに鉛筆を走らせている。  篠田君は描きかけの絵を自ら進んで私に見せることはなかったけれど、私が横から絵を覗き込むと、いつも少しはにかみながら絵を見せてくれた。  篠田君の絵が見たい。  でも、見るときっと悲しくなるから、見たくない。  私は葛藤するが、誘惑に負けて、篠田君の手元をそっと覗いた。  篠田君が熱心に向き合っているスケッチブックは、真っ白なままだ。  彼が懸命に動かす鉛筆は、不思議とスケッチブックに線一つ描かない。白紙のスケッチブックに真剣に向き合う篠田君が悲しくて、私は胸が苦しくなる。 「どう?」 「すごくいい感じ! やっぱり篠田君は絵が上手いなぁ」  朗らかに訊ねる篠田君に、私は見えない絵を褒める。  篠田君にとっては、彼が見ている景色がそのまま、スケッチブックに描きとられているはずだから。
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