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私は母が幼い頃使っていたピアノを貰い受けた。
年月が経ちすぎてあまりにも音程が違っていたので、調律をしなければならなかった。
ところが、料金がやたらと高い。勿体ないと感じてしまった私は、近所のお兄さんにお願いすることにした。
「ああ。できるよ。僕やるよ」
引越しの手伝いを了承する様な軽い返事だったが、素直に甘えた。お兄さんが調律を始めると、鍵盤に埃がかからないようにするために乗せる細長く赤いフェルトの生地がいきなり液体化して増幅した。私は水没する。息苦しくならないのは、さすが夢と言うべきか。
「できたよ」
微笑むお兄さん。私は泳いでピアノまでたどり着き、鍵盤を一本指で叩く。
ぽーん、と優しく鳴ったが、まだずれている。
「ねぇ。まだずれてない?」
「いや。これで大丈夫なんだよ。間違いない」
そんなはずないと思ったが、お願いした手前、それ以上強くは言えなかった。
深紅の海に浮かぶピアノを私は眺めていた。
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