3 失恋

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3 失恋

 年の瀬が差し迫ってきた。つまり忘年会の季節だ。テスト期間明け祝い兼クリスマス会兼忘年会といったところか。この時期は皆飲みたがる。俺もその一員なのだが、残念なことに部活の飲み会と友人同士でのそれが被ってしまった。俺は部活の方を優先した。当たり前だ。冬休みは叡仁先輩に会えなくなるし、ただでさえ一緒に過ごせる時間は短い。    一次会は楽しかった。鍋を突つき、揚げ物を食べ、安い酒を飲んだ。途中から席を移動して先輩の隣に座って、おしゃべりをした。半袖の季節ではないから先輩の逞しい腕はもう見えないが、厚着をしていてもわかる筋肉の美しさに惚れ惚れした。今度また大学のジムで筋トレしましょう、などと口約束を交わした。    いい気分になったところで、一次会はお開きだ。火照った体に冬の夜風が気持ちいい。叡仁先輩も、品の良いマフラーをくるくる巻いて暖かくしている。この後はきっとカラオケで二次会があるから、先輩の歌声を聞くチャンスだ。と、俺は浮き立っていたのだが。   「すまないが、俺はここで失礼する」 「えーっ、これからが楽しいんだろ~? 帰んなよぉ~」 「この後少し予定があるんだ」    引き留めようとする三年生をよそに、叡仁先輩はバス停へと歩いていってしまった。ちょうど来たバスに乗り込む。車窓からこちらを見て、会釈をしていた。   「予定って何だろう。やっぱ彼女かなぁ?」    誰かが呟く。   「わざわざ今から? ラブラブだねぇ」 「そういや、明日には鹿児島の実家に帰らなきゃいけないって言ってた。帰省の前に一目会っときたいってことなんじゃない?」 「そっかぁ~。実家が厳しいと大変だな」    胸の奥底が冷えていく。心臓が氷漬けにされたみたいだ。いい気分が台無しだ。酔いも醒めた。   「すいません。俺も帰ります」 「藤井も!? お前、カラオケ好きじゃなかった?」 「すいません……ちょっと、飲み過ぎたみたいで……」 「そっかぁ。お大事にな。また来年」    皆とは逆方向に自転車を走らせる。真っ暗な夜道を、息せき切って駆け抜ける。ああ、寒い。なんて寒いんだろう。鋭利な刃物のように、北風が頬を裂く。吐いた息までもが白く凍えて、前が見えなくなる。俺はどこへ向かっているのだろう。        学生が多く住むこの地域で一際目立つ十階建てのマンション。その最上階。チャイムを鳴らすとすぐにドアが開く。   「伊吹ちゃん!? 来るなら来るって連絡してよ~」    軽薄そうな金髪。そうか、ここは牧野のマンションか。   「部活の方で予定あるんじゃなかった?」 「……一次会終わったから、帰ってきた」 「へぇ」    牧野は何か言いたげな顔をしたが、言葉を呑み込む。   「オレ達もちょうど二次会始めたとこだからさ。ほらほら、入ってよ。外は寒かったでしょ」    そう言って気軽に招き入れた。    学生の分際で、牧野は1LDKの広い部屋に住んでいる。リビングには同じ専攻のやつらが紙コップを片手に思い思いに座っている。もう一部屋、寝室があるのだが、そこの使い道を皆知っているので、あまり入ろうとはしない。リビングだけでも、ソファや座椅子があるので十分寛げる。    テストができたとかできなかったとか、ゼミはどうするとか、あの先生は優しいとか厳しいとか、彼女がどうしたとか、誰々がヤッたとかヤらないとか、そんな話に花を咲かせた。俺は隅の方で缶チューハイを舐めながら、ぼんやりと話を聞いていた。ボードゲームで遊ぶやつらもいて、それなりに盛り上がっていたと思う。       「伊吹ちゃん」    牧野の声で目を覚ました。ソファにもたれて眠っていたらしい。部屋は随分と静かだ。   「あれ……みんなは……?」 「何時だと思ってるのさ。みんなもう帰ったよ」    時計を見れば、とうの昔に日付を越えている。   「じゃあ、俺も帰……」 「いいって。泊まっていきなよ。すごく酔っ払ってるみたいだし」 「でも……」    立ち上がろうとして、足が縺れた。無様に転んでしまう。   「もぉ~、飲み過ぎだよ。大丈夫?」    牧野が呆れたような声で言う。それで、我慢していたものが切れてしまった。目頭が熱くなって、胸が詰まる。牧野はぎょっとして、片付けをしていた手を止める。   「ちょっ、ちょっとちょっと、どうしたのさ。男の子が簡単に泣くもんじゃないぜ」 「うるさい……泣いてない……」 「泣いてるじゃないか。ほら、ティッシュ使いなよ」    泣いてはいないが、ティッシュは使わせてもらう。牧野は俺の隣に座って、馴れ馴れしく頭を撫でる。   「子供扱いすんな」 「してないよ。そうだ、飴舐める? 誰かが置いていったんだ」 「だから子供扱いすんなって……」 「慰めてるんじゃないか。どうせまた、叡仁先輩のことなんだろう?」    図星だ。言い返せない。   「そんなに好きなら、さっさと告白して玉砕すればいいんだよ。きっとすっきりするし、諦めもつくぜ?」 「無理だ……」 「彼女がいるから? そんなの寝取っちゃうくらいの気概でいないと」 「……違う。もしそんなことをしたら、普通に戻れなくなるだろ……。俺は、先輩と普通にしていられるだけでいいんだ。一緒に練習したり、試合に出たり、飯食ったり……」 「だったら泣くことないじゃないか」    その通りだ。わかっている。それなのに、どうしてこんなに胸が切なくなってしまうのだろう。俺は先輩の何になりたかったのだろう。わからない。   「でも、俺は……」    ああ嫌だ。また目頭が熱くなって、熱い雫が頬を濡らす。   「こんなの、もうやめたい……」    些細なことで一喜一憂したくない。心を掻き乱されたくない。でも叡仁先輩が好きだ。どうしようもなく、好きで好きで堪らない。    突然、視界がぐるりと回転した。天井が見え、牧野の派手な金髪が垂れてくる。これは一体どういう状況だ。   「オレは、伊吹ちゃんが好きだよ」    唇が重なった。酒のにおいが鼻を衝く。
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