もう少しだけ、ね。

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「もう少しだけ、待って……」  彼女は、彼からの求婚の願いに対して俯きながら、そういって、半ば強引に握って来た彼の手をそっと押し返した。  確かに、彼は真面目で優しいし大企業に勤めている将来有望な男性だった。それに彼女自身、回りでは結婚に関する話が増えだしている年頃でもあった。  でも、まだ具体的に本気でそこまでは考えていなかった矢先の、彼の突然の告白だった。  彼女達のいる喫茶店の外では、クリスマスの雰囲気を盛大に盛り上げるためのイルミネーションが、これでもか? という感じで大げさに輝いていた。  *** 「もう少しだけ、待ってくださ、ゲボッ、……」  表通りのクリスマスイルミネーションの光が漏れて路地裏の暗い道をチカチカと照らしていた。  そこには、冷たいアスファルトの上に倒れこみ、周りを囲んだイカツイ顔の男たちに向かって必死に頼んでいるアザだらけの男がいた。  最初はちょっとだけ借りた借金が、いつの間にか膨らんでしまい返せなくなった。借金を返すために別のサラ金から借りる事を繰り返して最後は闇金に手を染めていく。  そして、逃げ回った挙句に取り立て屋に捕まって、人気のない路地裏に連れ込まれた男。彼の回りを囲んでいるイカツイ男達は、彼の必死な懇願には関心が無いのか、服の中から光るモノを取り出すとゆっくりと彼に近づいて行った。  *** 「もう少しだけ、ま……」  キュキュ、キュッ。  チキンとピザの出前バイクを運転している若者は、正面から突っ込んで来る車を避けつつ、交差点をなかば強引に右折しながらも、無意識に呟いた。  今日は注文が多いのに、なぜかバイトの人間の休みが重なり、彼の店では配達要員が圧倒的に不足していた。  配っても、配っても、追いつかない配達の無間地獄。迫りくる配達時間。彼の頭にはぐるぐる回るケージの中を必死に走り続けるハムスターが浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。  ***  ──と。  クリスマスのイルミネーションよりもはるかに強い光が空から突然現れた。街を歩いている人達は一斉に空を見上げる。  なんと! 空から、天使たちが終焉のラッパを吹き鳴らしながら降りて来たのだ。そして天使たちの背後からは眩しい光と共に荘厳な声が鳴り響く。 「この世の者達よ、いい加減にしろ。いったい全体いつまで待たせるつもりじゃ。お前たちは『ちりも積もれば山となる』という、いにしえの言葉を知らないのか?」  天使たちの背後に現れた真っ白に輝く老人は、そう言いながら両手を空に向かって広げる。 「もう待ってられん。今こそ清算の時じゃ。滅亡せよ!」  するとその横に、真っ赤な顔をした恰幅の良い男が突然現れ、その真っ白な老人に困り顔で告げる。 「天の神よ、急に全人類を滅亡させてもらっても困る。地獄の門はそんなに広くないぞ」 「閻魔大王よ、それではどうしたら良いのだ?」  両手を広げていた神様は手を戻しながら、閻魔大王に質問する。すると閻魔大王は神様に片手を上げながら、ゆっくりと答えた。 「もう少しだけ、待て……」 (了)
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