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「花音さん、来てますか?」
六月初旬。土曜日の朝。
田邊咲は喫茶カノンの戸口に立ち、挨拶もそこそこに尋ねた。
「朝から珍しいな、咲」
カウンター席でコーヒーを啜っていた瀧川凛太郎が、不機嫌そうな顔を咲に向ける。
とはいっても別に不機嫌なわけではない。これが彼の平常の表情なのだ。何度も顔を言葉を交わすうちにそれは理解したのだが、それでも長い前髪の間から覗く鋭い視線に、咲は思わず身構えてしまう。無駄に威圧感があるし、口も態度も悪く、いまいち慣れない。
「花音さんなら、奥のほうで花生けの後片付けをしていますよ」
声のほうを見やると、人懐っこい笑みを浮かべた山本悠太と目が合った。
ショートヘアの少し茶色がかった髪と、クリクリッとした目が可愛くあどけなさの残る彼は、喫茶カノンの店主を勤めている。開店の二時間前には仕込みを始め、店が終わったあとも遅くまで新しいメニューを開発する、とても仕事熱心な子だ。
「咲ちゃん、呼んだ?」
そして、店の奥、悠太の居住スペースからひょっこりと顔を覗かせたのが、華村花音その人である。
目鼻立ちのはっきりした端正な顔立ちの彼は、背中まで伸びた艶のある黒髪を緩く三つ編みにしている。その柔らかな佇まいが中性的で、男の人には気後れしてしまう咲も、花音に対しては素直に自分を出すことができる。
花音は華村ビルのオーナーで、四階でフラワーアレンジメント教室『アトリエ花音』を主宰している。
「花音さん……」
ようやく目的の人物に会えて、咲はホッと胸を撫で下ろした。
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