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昔々あるところに、織田信長という天下を目指した男がおりました。
ですが、この男。天下統一まであと一歩というところで、家臣に裏切られ、命を落とします。
ただし、遺体は見つからなかったということです。
さて、この男──本当に死亡したのでしょうか。
もしも。
もしも『本能』により何かが狂い、後世にこれほど興味の惹く謎を残したのだとしたら。
この昔話は、謎を解いてみようと始まる昔話でございます。
昔々、あるところに、織田信長という天下を目指した男がおりました。
この男、兄がいたにも関わらず正室の息子という理由で、父が亡くなった十八歳で家督を継ぎます。
身分を気にせず人々と交流し、身だしなみもよろしくなく。周囲に心配されしながら本人はすくすくと育ち。
あれよあれよと好きな物を手にし、好きな者を周囲に配置していきました。
そうして、出会うのです。
運命の相手とも言える、明智光秀と。
織田信長は明智光秀を信頼し、信用し、その思いはやがて親密なものになっていきました。
何かと織田信長は、明智光秀を傍に置き。そうして『本能』により変わって、いえ、文字通り『変』になっていかれました。
「お主と離れたくはない」
と織田信長が言えば、
「信長様、お気持ちはありがたいのですが。皆の目もありますゆえ、そのようなことは出来兼ねます」
と明智光秀はていねいにお断り。
懲りずに翌日も、
「お主と離れたくはない」
と織田信長が言えば、
「信長様、先日も申し上げましたが。皆の目もありますゆえ、そのようなことは出来兼ねます」
と明智光秀はていねいにお断り。
そうして何日も似たようなやりとりは続き、ついには、
「ですから、そのようなことは出来兼ねます」
と短い返事となり、明智光秀の目元はそれはそれは細くなっていったのでございます。
こうなっては織田信長もそうかと気づくわけです。
毎日同じセリフばかりでは駄目だと。──論点の違う部分に着目したとは気づかず。
正に恋は盲目となって、その後も猛烈なアタックを仕掛けたのです。そうして、ついに。
「光秀よ、お主が望むならこの座を渡そうぞ」
この言葉には、さすがの明智光秀も耳が大きくなりました。
なにせ、セクハラ上司発言ではなく、昇進、それも大きな大きな昇進のチャンス到来です。
しかしながら、明智光秀は飛びつきませんでした。返事によっては、セクハラ上司の餌食になると警戒したからこそです。そう、明智光秀は警戒心の強い男でした。
「信長様、突然そう申されましても。やはり皆の目もありますゆえ、そのようなことは……」
ていねいに、慎重に明智光秀が言葉にしたとき、織田信長は意外な言葉を言って明智光秀を誘導しようとします。
「その『皆の目』を使うんだ」
ニヤリと笑う織田信長の表情は、いたずらを仕掛ける子どもそのもの。
明智光秀は嫌な予感を抱きながら、じっと織田信長を見ます。すると、
「この私をお主が殺して、この座を奪うがいい」
と不敵な笑みを浮かべて言うのです。
明智光秀は言葉を失いました。──それはそうです。こんなセクハラ上司を殺害し、まさに自由になり、尚且つその座をもらえるなど。想像しただけでうれしさに心が支配されそうです。
歓喜して『はい!』と大声で答えたいに決まっているではありませんか!
けれど、そんな言動を取ろうものなら。──逆に、今、この場で己を殺してくれと言っているようなもの。ここは、慎重に、それはそれは慎重に。織田信長の真意を聞いてから返事をせねばなりません。
「申し訳ありません、信長様。どのようなことでしょうか?」
すると、感情を隠さず、織田信長は喜々としたのでした。
織田信長の提案はこうです。
明智光秀が謀反と見せかけて、本能寺を襲撃。織田信長を殺害──したように見せかける。
見せかけだけなので、実際は織田信長は死亡しない。実際は、謀反が起こったと騒いでいる間に、本能寺を織田信長が逃走するだけ。
その後、織田信長が死亡したと皆が勘違いをすれば、明智光秀が織田信長の後継者となるだろう。
そして、そうなった明智光秀と後日、ある場所で落ち合おう。
この策であれば、それからは織田信長がそっと、明智光秀とずっと寄り添うことができる──と、恋する乙女と化した織田信長は幸せな妄想、明智光秀にとっては恐怖の提案でした。
案の定、明智光秀は聞いていて前半はワクワクとし、中盤はゾッとし、後半は真っ青になりました。これではセクハラ上司が、単にセクハラ魔人に変わるだけです。
更には、立場をいつ暴露されるかと怯えて一生を過ごさなくてはならないわけですから。
「信長様……」
明智光秀はまたまたていねいに断ろうとした──そのとき、悪魔が囁きました。
『バカ正直者だな、お前は。折角出世を重ねてここまで来たのに、こんな千載一遇の大チャンスを水の泡にするのか?』
明智光秀は悪魔の言葉にピクリとし、言葉を止めます。
『待ち合わせ場所になんて行かなきゃい~じゃねぇか。すっぽかしちまえ! どうせ、生きて本能寺から逃げたとしても、その後にどっかで死んでくれるかもしれねぇじゃんか』
悲しきかな。『本能』により変化を遂げたのは、織田信長だけではなかったようです。
「すばらしい提案ですね。喜んでお受けいたします」
明智光秀の口角は上がり、その顔は織田信長のそれに似たものになっていました。
かくして準備は着々と進み、計画通り決行された、『本能寺の変』。
「敵は本能寺にあり!」
このセリフを言った明智光秀の瞳は、それはそれはとても輝いていました。
そうして明智光秀は織田信長の前に姿を現し。
「信長様、約束通りに致しました」
と小声で、神妙な顔で告げます。──それはそうです。明智光秀としたら、ここで織田信長に裏切られたら最期。恋する馬鹿な乙女であれと願ったに違いありません。
一方の織田信長は、明智光秀の気持ちなど露知らず。──恋する馬鹿で愚かな乙女であったのでしょう。
「光秀、待っていたぞ! では、数日後に。あの場所で!」
何日間も会えないことに嘆く織田信長と、
「はい、信長様!」
もう二度と会うかよ、バーカと笑いたい思いをなんとか堪える明智光秀。
ふたりは、こうして最後の別れを──した、と思っていたのは、明智光秀だけで。ふたりの歯車は密接に絡み合っていたのでございます。
この後、織田信長の目論見通り、明智光秀は織田信長の後継者となりました。
「やった~! 長い間、セクハラ上司に悩んでいたけれど、ついに解放された~!」
と、本人が一番喜んだのはこの点でありましたが、それに関しては誰も知りません。けれど、抜かりなく織田信長の消息は調査させていて。
「本能寺より亡骸は発見されませんでした」
と報告を受けては、それはそうだと思い。
「引き続き、調査を」
調査続行をさせますが、何も情報はつかめませんでした。
そうして、明智光秀は自由を確信していたのでございます。
さてさて、しかしながらこの明智光秀。
『三日天下』と言われるほど、その座に就いたのは短い間だけでした。──そう、織田信長は約束を守るためにきちんと生き延びていていたのでございます。
話はすこし戻りますが、本能寺を逃げ出した織田信長には、周囲には置かずとも、実は子どものころから信頼している者が多くおりました。その者たちは、そう、子どものころに仲良く遊んでいた仲間です。
実は度々仲間には恋の相談をしていました。恋の逃避行をして、余生を過ごすつもりだとも話していたのです。
仲間たちは身分を気にせず、昔から腹を割って何でも話してくれる織田信長が大好きでした。ずいぶん偉くなっても、仲間と遊び語らうときの織田信長は、子どものころと微塵も変わらない。
だからこそ、仲間の農民のひとりが言いました。
「信長ちゃんさ、本能寺から逃げてきたらしばらくここにいたらいいじゃんか」
すると、仲間もそうだそうだと言い。
挙句、
「皆の家を一日ずつお泊りで巡りなよ」
「こんな貴重な思い出作りをできるなんて、うれしいなぁ」
なんて言いだす者もいて。
「ありがとうな……私は幸せ者だな……」
と、半泣きしながら逃げ込むと言っていて。──ああ、友情っていいですね。
後に『本能寺の変』と語られるようになる出来事が起きたあの日、農民たちは今か今かと本能寺を見守っていました。
本能寺が赤く燃えたのをいちはやく発見して、
「信長ちゃんが来る!」
「迎えに行くぞ!」
と声援が沸いていたのでございます。
何人もの、何十人もの男どもが夜中に真っ暗な道を駆け抜けて織田信長を迎えに行っていました。
農民たちが織田信長を見つけたときは、ヘロヘロの姿で。皆で抱えてしっかりしろと呼びかければ。
誰と決めたわけでもなく見上げた織田信長は、ただただ悪戯は大成功だと言わんばかりにニッとうれしそうに笑いました。
相談していた日の如く、仲間の家を転々とし、本能寺から逃げてきて何日が経ったころか。仲間から明智光秀の名を聞いて。
「信長ちゃん、待ち合わせの場所に行ってこいよ!」
と仲間がからかってきて。
照れる乙女は幸せそうに笑い、きれいな着物を着て、髪を整えて、頬をほんのりと染めて待ち合わせ場所へと向かいます。
けれど、どのくらい待てど、待ち人は来ず。
明るかった空が赤くなり、紺に染まっていき、織田信長はしょんぼりと腹を空かせて仲間の家に戻っていきました。
「信じられねぇ!」
「明智の奴、何様のつもりだ!」
仲間たちは怒りましたが、織田信長は怒る気力も出ません。しょんぼりとうつむくだけの姿に、仲間たちもしょげそうになります。
「とにかくよ、腹へったろ」
「たんと食ってくれ。したら、元気も出るだろうよ」
力なくうなずき、泣きそうになりながら喉を詰まらせつつ食事をする織田信長。
仲間たちはやんややんやと励まします。
「明日、明日かもしれねぇよ!」
「そうだよ、ちょっと忙しくて来れなかっただけにちげぇねぇ!」
ありがとう、ありがとうと織田信長は繰り返し。
「また明日も待ってみることにする」
と明日に望みをかけました。
翌日も恋する乙女はいそいそときれいな着物を着て、髪を整えて。今日は緊張と不安で顔を染めて待ち合わせ場所へと向かいます。
けれど、というか、やはりというか。
どのくらい待てど、待ち人は来ず。
明るかった空が赤くなり、紺に染まっていき、織田信長は腹を空かせながら腹を立てていました。
「あやつ……私を裏切ったな」
と、気づいてしまって。
今日は織田信長は仲間の家へは帰りませんでした。
恋心を憎悪に変えて、憎き明智光秀のもとへと向かっていたのです。
かつては天下を目の前にした織田信長の目は、かつてのそれに戻っていました。その織田信長にとって、明智光秀の場所を特定するなどたやすい。怒りが背中を押せば、尚更。
あらゆる情報網を駆使し、織田信長は明智光秀の居場所を特定。そうして寝もせず、食事もせず、愛しき者のもとに辿り着いた織田信長は、わざとガタンと大きな物音を立てました。
物音に驚き、明智光秀は振り向く。けれど、振り向いた先には、物音以上に驚くべき人物がいて。
その人物は威厳ある出で立ちではありませんでした。どちらかといえば、真逆の出で立ちで。ただし、その形相は見たこともないほどに恐ろしいもの。──離さないという執着がにじみ出る瞳の奥には、深い深い怒りと憎しみが燃えています。無精髭が生える口周りは、ニヤリという表現が相応しいほどに片方だけが吊り上がっているにも関わらず、その唇は過度に震えているではありませんか。言葉を発せずに伝わる、愛憎。
「信長様!」
明智光秀の裏返った声は、まるで亡霊を見たかのような悲鳴。
その悲鳴は織田信長の引き金を引いたのか、頬まで震わせ、けれど声にはならず。瞳はうるんでいきました。そして、手元には──比例するように輝く一筋の長い刃物。
「お待ち下さい! ごか……そう、誤解です! 言い訳を聞いて下さい!」
哀れ明智光秀は命が無いと察し、命乞いをしようと目論みましたが。
無情です。
とても。
このとき、明智光秀の前にいた者は、すでに恋に溺れている乙女ではありません。
天下を目の前にして恋に溺れ、それに敗れた者でした。
その者に、命乞いをする声は──届かなかったのです。
すっぱりと切り裂いて。
醜い者が鳴いたような音が聞こえて。
祝福の如く、めでたい色の花が降り注ぎます。
そういえば、織田信長には。後世に伝わるこんな例えば話が残っていますね。それは、戦国三武将の性格を日本の渡り鳥であるホトトギスを用いて歌っている俳句。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
明智光秀は、ホトトギスだったのかもしれません。
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