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3 双子
ロジオンにはいつも血を分けた双子の兄ダミアが立ちふさがって来た。
十六年前、ロジオンはダミアと二人で精霊界に立ち入り、赤子の女精を連れ帰った。有翼人種の兄弟は仲が良い。他の有翼人種の精を注がれるよりはと、二人で番いを共有する合意をすることが多かった。
けれどダミアの方が、獣性を隠すのが上手かった。女精はダミアに懐いて、ダミアも女精を独占するような素振りを見せ始めて、ついに領地のどこかに隠してしまった。
ただそういった合意をねじ曲げる有翼人種こそが獣性を抑えられず、多くの女精を殺めてきた。だから有翼人種は多くが双子で生まれて、どちらかが獣性への耐性を持っていた。
「イリューシャ?」
ロジオンもまた、ダミアにはない優しさを持っていた。獣性のままにイリューシャを抱きながらも、意識を失ったイリューシャを見て我に返る。
揺さぶって起こそうとしたが、イリューシャはぐったりとして動かない。自身を抜くと、血があふれた。
欲望をまぎらわすため、無性を抱いたことなら何度もある。女精は初めての性交のときに血を流すのも知識として知っている。
けれど女精は、有翼人種には理解できないほど繊細な本性を持っていた。五十年間、百体以上の女精が保護領で大切に育てられたが、半分が有翼人種との性交時に命を落としてしまった。
「イリューシャ!」
ロジオンは青ざめて、枕元に置いた帯剣ベルトを引き寄せる。有翼人種は妖獣と戦うため、常に血止めを持ち歩いていた。
乳白色をした貴重な薬を傷口に塗り付ければ、すぐに血が止まる。けれどイリューシャの血は止まらなかった。悲鳴を上げることもなく、呼吸がやせ細る。
ロジオンは体が震えだすのを感じた。どんな巨大な妖獣を前にしても、恐怖など感じたことはなかった。けれどこの弱い生き物が消えたときを想像したら、見えない闇に落ちていく思いがした。
女精が有翼人種に精を注がれても生きていられる方法。それは方法としてはたやすい。
有翼人種の本性が、それを嫌うだけだ。けれどそうしなければ、この小さな生き物は死んでしまうかもしれない。
「……他の有翼人種」
自分だけの女精を、ずっと渇望していた。手に入ったのなら、どんなものでも与えてやろうと思っていた。
でも彼女の命が失われてしまったら、もう何も与えてやることはできない。
――女精は番いにはならないよ。
先人たちの苦い言葉が蘇るようだった。そんなはずはないと否定していた自分は、やはり女精を理解していなかったのだろう。
それでも、とロジオンはやるせない思いをかみしめる。瞳を閉ざしてしまったイリューシャの頬をそっとなでる。
青い蝶と踊る彼女の姿は、まるで花のようだった。そして、にいさまと呼んでいっぱいに手を伸ばしたときの、星空のような笑顔。
確かに自分たち有翼人種とは違う。こんな生き物がいたのだと、信じられない気持ちで抱きしめた。
ロジオンはイリューシャの頭を抱いて低くうめくと、枕元の剣をつかんで前方を見据える。
「いるんだろう? ……ダミア」
宿屋の薄い扉の向こう。剣を抜いた兄と、ロジオンは扉ごしに睨み合う。
重苦しい殺意が垂れ込めて破裂したとき、扉が蹴破られる。ロジオンは寝台を飛び越して剣を抜いた。
金と銀の光が閃いて、ロジオンとダミアの剣が交差する。
獣性で滅びないように、彼らはいくつかの合意を作っている。その内の一つが、自らの血で鍛えた剣での勝負だった。限界まで強度を高めたそれは、ぶつかりあった途端に決着がつく。剣が折れたのなら、それ以上争わないという合意があった。
「私の妹に何をした」
もちろん合意を守らない有翼人種もいる。女精がからんだときなど、まさにそれだ。今のダミアのように瞳孔が光ったら、獣性を抑え込むのは難しい。
「合意を破ったお前が何を言う?」
双子同士であることが幸いしたのか、不幸だったのか。二人の剣はきしみながらもどちらも折れない。それは争いが終わらないことを意味していた。
膨れ上がった殺意を散らしたのは、小さな悲鳴だった。二人が同時に悲鳴の方に目を向けると、寝台から落ちて床でうずくまるイリューシャの姿があった。
目を覚ましたとロジオンが安堵したのは一瞬で、イリューシャの足元にじわりと血だまりが広がる。
「ひ、うっ」
ひきつれた悲鳴を上げて、イリューシャは這うように壁際へ後ずさる。肩を抱いて縮こまり、表情がうかがいにくくなっているが、その足元の血は隠しようがない。
今にも壊れそうなその生き物を、ロジオンにはそれ以上傷付けることはできなかった。
眉を寄せて、ロジオンは剣を下ろす。負けだというように首を横に振って、ダミアを見た。
「リィ。もう大丈夫だから」
そしてダミアもまた、夜通し探していた宝物が血を流しているのに平静でいられるはずがなかった。剣を収めてイリューシャの前に屈みこむ。
「手当を……」
ダミアが抱き上げようと腕を回したとき、イリューシャの体が跳ねた。
言葉にならない悲鳴を上げて暴れる。青い瞳は目の前のダミアも映さず、手足をばたつかせる。
「リィ! リィ、落ち着いて」
ぜぇぜぇと苦しげな呼吸をつきながら、イリューシャは壊れたように泣く。
恐慌状態に落ちた女精は命を落とすこともある。衰弱した今の体では何が起こっても不思議でない。
仕方ないと、ダミアは血止めを口移しでイリューシャの喉に流し込む。
血止めを常用している有翼人種と違い、他の生き物はそれを口から摂取したら数日間も目を覚まさない。イリューシャは一度体を震わせると、崩れるように意識を失った。
ダミアは息をついて考える。
獣性に拒絶反応を起こさないよう、大切に育ててきた。女精の信頼を得るには長い時間がかかると聞いていたから、優しく、穏やかに接してきた。
だが意識を失う前の、イリューシャの自分を見る目。恐怖に濡れたその目を見て、まだ時間が足らなかったのだと思い知らされた。
「……私のものなのだ」
それでも番いとして育てたイリューシャを手放すことなど、考えられるはずもない。
これから立ちふさがる女精の本性に思いを馳せて、ダミアは憂いを抱きながら、同時に抑えていた獣性が騒ぎ出すのを感じていた。
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