5 優しさ

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5 優しさ

 イリューシャはダミアに黙っていることがある。  ひな鳥が教えられることなく空を飛ぶように、女精も自分の本性を知る。  帰綱が切れたとき、イリューシャも自らの本性を理解した。女精は本来、生き物ではないと。  有翼人種は帰綱をただの精神的な支えだと思っているが、女精はそれを失うと、体の均衡も失うことも。 「もう食べないのか?」  向き合って食事を取っていたダミアが、心配そうに問う。  イリューシャははっとして、慌てて豆のスープを飲もうとする。  けれど喉を通った後、石が落ちるような違和感があった。  結晶化。イリューシャの体は生まれる前に戻ろうとしている。  既に胃が凍り付き始めている。じきに喉も動かなくなるだろう。 「具合が悪いのではないか?」  席を立とうとしたダミアに、イリューシャは笑顔を向ける。 「新しいダンスのことを考えていました。どうしても今踊りたくて」  それを聞いてダミアが微笑み返す。イリューシャは幼い頃から、何をするより踊るのが好きだった。 「いいよ。見せてごらん」 「はい!」  ダンスはイリューシャの元気の証で、喜びの源だ。そしてそれをみつめるのがダミアの楽しみでもあった。  ダミアが促すと、イリューシャは席を立って軽やかに踊り始める。  イリューシャが舞うと、食卓に飾られた花のつぼみはほころび、夜更けの空気は甘く香り始める。 (お願い。もう少しだけ動いていて)  目を細めて見守るダミアをみつめながら、イリューシャは鈍くなっている心臓の音に話しかける。 (私は石でしかないけど、にいさまは私を生き物のように扱ってくれたもの)  最終的に、体全体が石になる。だが幸いなことに、結晶化は体の中から始まっている。まだダミアには見えないはずだった。 「にいさまも」  イリューシャが手を引いて、ダミアもダンスに加える。すべてを教えてくれたダミアに、唯一イリューシャが教えることができたのがダンスだった。  肌に触れ、引き寄せてそのぬくもりを感じる。ダミアが教えた夜の営みに似ている。  軽やかなダンスのあとは、背に腕を回して頬に頬を寄せる。 「上手になった」  イリューシャがキスを贈ると、ダミアはくすくすと笑って、イリューシャの髪を撫でる。それでイリューシャを抱き上げると、首筋に顔を埋めた。  体の中心がじわりと熱くなるのを感じて、イリューシャはまだ大丈夫と安堵する。 「リィ。私の宝物」  銀の瞳の奥にちらつく獣性。それを見て、結晶化しているはずの体内が痛む。  ロジオンに身を奪われたときに見た、ダミアの怒り。ずっと優しかった兄が初めて見せたむきだしの獣性を、イリューシャは覚えている。  怖かった。けれどその衝撃で、帰綱に巻き取られずに済んだ。  ダミアも、自分を傷付けたロジオンにさえ、憧れた。らせんの中に落ちていくように生命を終わらせる精霊と違って、なんて力強い生き物だろうと。  自らの命が終息していくのは、本来の形に戻るだけ。だけどその痛みのような憧れが、まだ心臓を動かす。 「……大丈夫だ」  ふいにダミアは獣性を綺麗に消し去って、イリューシャに諭す。 「体調が悪いのだろう? 隠してもわかる。さ、温かくして、ゆっくりお休み」  イリューシャの身を奪うより、過剰に保護する方を選ぶ。獣性を見せず、怯えさせず。  それが兄の優しさだと知っているから余計に、イリューシャは切なくなる。  イリューシャを抱き上げて寝室に運ぶ。たぶん今夜は、ダミアはイリューシャに触れない。イリューシャが獣性を恐れる素振りを見せると、ダミアはたとえ途中でもその身に触れるのをやめるのだから。 「にいさま」  イリューシャはダミアを見上げて告げる。 「傷付けて」   この体がすべて石になる前に、何かあげられるものがあるのなら。  けれどイリューシャのその内なる願いに、ダミアは優しく首を横に振る。 「リィを傷つけるなど無理だよ」  いつものようにやんわりと受け流す兄に、イリューシャはそれ以上言葉を探すことができなかった。
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