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「……ねぇ」
棺桶の中にみんなでお花を入れてる最中、お父さんに声をかけた。
「おじいちゃんにお手紙書いたんだけど棺桶の中入れてもいいかな?」
少しのあいだ固まったお父さん。はっと気づいたように動いてから、
「……お前がおじいちゃんに手紙書いたの?」
それを聞いてたお母さんも同じことを言ってきた。
私はどんな人だと思われてるんだ。手紙ぐらい書きますよ、と言いつつそれもそうかと納得してた。
おじいちゃんにとって私は初孫。可愛がられたと自負してるけど、私はそれほどおじいちゃんに優しくしたことがなかった。
年に一度おじいちゃんに会ってご飯を食べる時、酒癖の悪いおじいちゃんから離れるように遠くの席を選んだ。おじいちゃんに出かけようと言われても何かと理由をつけて断った記憶しかない。
可愛がられたくせに、私はおじいちゃんになんにもしてあげられなかった。
おじいちゃんが死んだと聞いた時に、それを思い出して申し訳ない気持ちがたくさん溢れてきて、せめてもの気持ちと思って手紙を書いた。
おじいちゃんとどこに出かけたよね、おじいちゃんは何を買ってくれたよね、おじいちゃんが大事にしてた招き猫壊してごめんなさい、電話もしないし手紙も書かない薄情な孫でごめんね。
楽しいことをたくさん書こうと思ってたのに、書き終わってみるとごめんねがたくさん並んだ手紙になってた。
「入れるなら今入れな。顔の横に置いてあげて」
私は棺桶の中をまだ覗いていない。中に入ってるおじいちゃんを見たくなくてお花も入れてない。
父方のおじいちゃんが死んだ時にトラウマになってしまった。
父方のおじいちゃんの死因はヒートショック。湯船に浸かって何時間も経ってから見つかった。
綺麗にする必要があるのはわかってる。理解はできてるけど、棺桶の中で眠る父方のおじいちゃんの顔は蝋人形みたいになっててそれがとても怖かった。
でも、手紙はどうしても入れたい。意を決して棺桶を覗くと、眠っていたのは別人。いや、別人ではない。間違いなくおじいちゃん。わかってるけど、すごく別人に見えてしまった。
本当におじいちゃんなんだよね? そんな疑問を抱きつつ手紙を顔の横に置いた。
コロナ禍になってから二年半帰れていなくて、おじいちゃんと最後に会ったのは二年半前。長い間会ってなかったとはいえ、あまりに別人になってて。
遺影は私の知ってるおじいちゃんなのに、棺桶にいる人は私の知ってる人じゃなくて。
おじいちゃんが死んだ実感なんてなかったけど、もっともっと実感はなくなった。またおじいちゃんに会える。心のどこかでそんな風に思ってしまう。
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