腕時計の誓い

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あの人を、オレは忘れていた・・・? いつからだろう。 ここに来るまでは確かに覚えていた。同窓会に参加するから遅くなるとメッセージもした。だけど、オレは今、あの人のことを忘れていた。 最悪だ。 オレはなんて最低な人間なんだ。 これを貰った時、オレは彼になんて言った?ずっと一緒にいたいって、愛してるって・・・。なのに、今のオレの心はあの人のことを忘れ、あいつでいっぱいだ。 オレは一体・・・。 自分の心が分からない。そう思ったその時、ドンッという大きな音が鳴る。それは誰かがジョッキを勢いよくテーブルに置いた音だった。 「お前飲みすぎぃ」 誰かがからかう。そしてその言葉の先にはあいつがいた。 あいつはさっき追加で注文したばかりのビールを空にして、そのまま下を向いている。オレが来た時には既に酔っていた様子だったのに、さらにたくさん飲んでいた。 「やべぇ。こいつ寝てない?」 隣のやつがそう言うと、肩を揺する。するとそのまま崩れてしまう。 「ああ、ダメだ。寝ちゃったよ。今日はこの辺にするか。誰かこいつ送ってってよ」 そう言うと幹事は会計に行った。そして残ったやつの一人がオレに言う。 「こいつ送ってってくれない?仲良かったろ?」 無理だよ、そう言おうとして気がついた。みんな結構酔っているんだ。女子にはもちろもん頼めるはずもなく、男子もみんな結構酔っていて、他人を介抱している場合では無い様子。それに加えてオレは飲めないからと烏龍茶しか飲んでいなかった。 「・・・分かった」 そしてお開きになった店の前でタクシーを捕まえ、財布に入っていた免許証から住所を言ってここまで来たけど、このまま玄関に投げていく訳にも行かず、オレは靴を脱がせてどうにかベッドの上に転がした。 スーツ、シワになるな・・・。 本当は直ぐに帰りたかった。自分の気持ちに気が付いて、そして混乱している。このままあいつと一緒にいたら、自分がどうなるのか怖かった。だけど上着ぐらいは・・・そう思ってスーツのボタンを外し、そっと袖から腕を抜いていく。 よっぽど深く眠っているのか、あいつは起きる気配がない。それを幸いに、オレは最後に少しだけあいつの背を浮かせてスーツを引っ張り出す。そしてすべて引き出せたと思ったその時、オレの視界が突然回ってあっという間にベッドに転がされた。 オレは気が付くとベッドに仰向けに沈められ、その上にあいつが馬乗りになっていた。 いつ起きたのだろう? 泥酔して寝ていると思っていたあいつに両手をベッドに押さえ込まれ、オレは動けなかった。それにオレを見下ろすあいつの目が、まるで獲物でも捉えるように静かな光を放っている。オレは蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなかった。 自分がなぜこんな状況に陥っているのか、オレは訳が分からないままあいつを見上げる。 そしてどれくらい経ったのか、不意にオレの左手を掴んでいた手に力が入り、持ち上げられる。 「この時計、誰に買って貰ったんだ?」 オレを睨んだまま発せられる低い声。 初めオレは、あいつはまだ酔っているのかと思っていた。だから寝ぼけてこんな状況になったのだと。だけど、違う。あいつは酔ってなどいない。 「この時計、いくらするか知ってるか?自分で買うにも誰かに貰うにも高過ぎる」 オレはなんて言っていいのか分からない。 全く連絡を取っていなかった相手と6年ぶりに会って、ろくに会話もないままのこの状況。 一体何が起こってるんだ・・・? 「恋人に買って貰った?」 そう言って見下ろすあいつの目が怖い。 「男?」 その言葉にオレは僅かに反応してしまう。あいつは、オレが男としか付き合わないということを知らないはずなのに。 「女がこんな時計贈るわけないよな?男だろ?それも年が上の」 そう言いながら、あいつはオレに顔を近づけてくる。その時、オレの中になんとも言えない不快感が湧き起こる。 「やっ・・・やめろっ」 近づく吐息に顔を背ける。 いやだと思った。 そんな自分に、自分で驚く。 オレ、こいつが好きなんじゃなかったっけ? 高校時代の友人のチャットを見てから、ずっとオレの中から消えなくなったあいつ。そして、実際に再会したあの時から高鳴る鼓動。好きだと気づいたあの瞬間。 なのに、いつの間にか胸の鼓動は治まり、上からのしかかられたこの状況に、言いようもない嫌悪を感じる。
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